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イワテバイクライフ2003年11月前半


11月15日(土)
見渡す山岳に雪雲は陣取り、お人好しな晴れ間から蹂躙されていく。 @寺沢高原(宮守村)


  およそ、見晴らしの良い所から
  人影は消える季節。

  今日も、見晴らしを求めて、
  結果、一人になる。

  稜線に走る冬の雲など眺めていると、
  四半世紀前にやめた
  缶ピースの濃厚が懐かしい。

  無骨なライターを手に馴染ませるように
  XL1200Rの慣らし運転。

  午前中は安代に用を足し、
  午後は遠野の初冬を見納め。
  3000回転に風を収めて
  遠出もままならず。

11月14日(金)
氷点下の朝は、上機嫌の陽射しに懐柔されて、秋でも冬でもなく、気圧配置に迎合する構えだ。 @盛岡近郊


  樹林の朝。
  ツインの鼓動に身を任せていると、
  かすかに聖歌が聞こえ、
  加速の度に地の底から沸き上がる。

  ここを選び、ここに生きる意志を歓迎して、
  風は、道の彼方から喝采を運んでくる。

  ただし、と、旋律は中断される。

  「一日たりとも倦むことなく
  大地の行方を見届けられるか?」

  カーブに待ち受ける、そんな静寂を
  陽気なアメリカンはドゥラランと蹴飛ばし、
  行けるところまで突っ走るだけなのだ。
  

  

11月13日(木)
冬の脅しにふるえた朝も、みるみる温もる陽射しに相好を崩し、とりあえずの平和。 @岩手山麓


  流れる雲の音も静かに、
  雪の白さをファインダーに収めていると、
  パラパラと、ためらいがちに、
  やがて蜂の巣を突いたような
  自動小銃の集中砲火が大空に破裂する。
  
  ヘリコプターの轟音が右往左往する中で
  重機関銃が、お山に野太く跳ね返る。
  
  裾野では、みんな無口で、
  その音を多く語らない。
 

11月12日(水)
おずおずとやって来た青空は、冬の雲に闊歩され、冷たい通り雨など黙認させられ、夕刻、やっと解放される。 @高松の池


  暦に付和雷同するなど、
  およそプライドが許さない樹木。

  あたりは、とうに落葉を済ませたというのに、
  頑として今日が旬。

  暑さ寒さは自分で感じ、
  出所進退も自ら判断する幹。

  檜舞台は、
  自分で用意するあんたの枝の下は、
  悲しいほどに鮮血の匂いがするよ。

11月11日(火)
朝からの雨は、山間部でみぞれに変わり、ぼたぼたと重く冷えていく。夜になって今更の晴れ間。 @盛岡市役所前


  一枚づつ順番を待つ落葉なのに、
  たわわなイチョウの房を
  トラックの肩が、ざっくり削り取っていく。

  住民票の写しを求めて雨の中、市役所へ。
  
  駐輪場の傍らでは、防災訓練。
  市庁舎6階に取り残された職員2人を
  梯子車が救助するなどの演目があり、
  見守る人垣とテレビカメラの視線を受ける。

  これも、待ち望んだ暮らしの一場面。

  忘れかけていた市民カードの暗証番号を
  ひとつひとつ指先に確かめ、微笑む。
  

11月10日(月)
氷点下の朝も知らず埋もれていた布団に、やがて陽は射し、うららかに日は暮れる。 @盛岡市(国道46号線脇)


  月の裏側に入った夜。
  正気を保ち、布団に倒れ込んだ朝。

  まどろみの中に聞く
  「スリル・イズ・ゴーン」(BBキング)。

11月9日(日)
2日続けて同じ道、同じ空。昨日より少し明るく足早の雲。午後は密室に缶詰。空の記憶無し。 @雫石町


  決断劇は、何度かあった。
  だから、今日も、ここで暮らしている。

  決断ごっこは、星の数で、
  だから、今朝も、ここを走っている。

  決断もままならず、失ったものもある。
  だから、今、ここに立ち止まる。

  何も決めず、ただ風を食らい、
  はらはらと涙を流す日を思って。


11月8日(土)
雨のち青空混じりの曇天。機嫌を直す気配もなく、夜になって水滴。 @雫石町


  刈り取りの終わった牧草地の縁に
  長靴を片足おろすと、
  夕べの雨が、じくじく滲みだした。

  雲は、黙って東に流れる。
  守りの手薄な雲の一団が、
  不覚にも瞬間の陽射しをこぼす。

  濡れて冷えた大地の匂いが
  光線にとける。

  「今のことは無かったことにしてくれ」と、
  雲の本隊が、光を回収していく。

  「ああ、いいさ。見ていたのは私一人だ」

11月7日(金)
晴れ間は、あった。でも、それは、たまたまの印象で、結果は濡れた夕闇だった。 @小岩井農場


  杉の枯れ葉が、風に乗って頬に当たる。
  パラパラ、チリチリ、乾いた針の感触を
  受け止め、進む。
  
  立冬を明日に控えながら、
  秋の色彩は、ますます冴え渡る。

  同じ道を幾度も走るのは、
  一度として同じもののない
  季節の筆使いを確かめる為。
  
  記憶に刻まれた「カーブの先」に、
  恐ろしい夢のような色彩が待っていたとしても、
  驚かない。

  すべてのものは、
  輝き、朽ち果てていく仕組みを了解すれば、
  もう、ほんとうに、驚かない。

11月6日(木)
意気地のない雨に、纏ってみせた合羽のおかしさ。午後には晴天が戻り、湿った枯れ葉が所在なく。 @盛岡近郊


  濡れた茅葺き屋根を見上げて
  曲り家の玄関に立つ。
  すっとんきょうな挨拶は、
  古風な錠前に遮られた。

  夕刻、家の主に連絡がつく。
 
  屋根の寿命の為に
  裏山のカナダカエデを切ってしまった
  無念を聞かされる。

  赤く染まった生け垣の鮮やかを伝えると、
  愛おしそうに微笑まれた。

  縁側で語り合う春を思う。

  
(撮影は、所有者の了解済み)  

11月5日(水)
盛岡でも氷点下。この秋一番の冷え込みも、透明な大気は陽射しの熱を増幅し、瞬く間の小春日和。 @馬返し駐車場(岩手山登山口)


  樹林を貫く一本道。
  温まった水平対向エンジンに耳を傾けながら、
  お山の裾野を駆け上がる。
  
  葉を落とした枝々は、
  無抵抗に秋の稜線を指さすばかりだ。

  馬返しの駐車場で、
  イーハトーブの象徴を仰いで
  照れ笑い。
  ただ、それだけ。
 
  思い焦がれたものに、 
  近付き過ぎたかもしれない朝。
  
  向かう道々の思いを失念させるほどに、
  今朝のあなたは、鮮明だった。


  

11月4日(火)
おそるおそる窓のカーテンをめくれば、アメリカ人のような笑顔で待ちかまえていた秋晴れ。そのまま乾いた夕闇。 @盛岡市近郊


  たとえば、シベリアのような、
  あるいは、フィンランドのような、
  その森は、やがて訪れる厳冬を予告する。
  
  蒼白い雪灯りに
  樹木は黒く突き刺さり、
  一陣の風が枝の氷雪を払う夜を思う。

  盛岡の家から25分。
  杉の枯れ葉が、極上の絨毯となって続き、入り組む。
  
  陰影の迷路の中で、
  出勤までの間、行き倒れてみる。

11月3日(月)
冬に完封されることを知りながら、東北道の気温表示が20度に迫ることなど、気休めなのか。 @十和田湖畔


  ほぼ徹夜で仕事の仕込みを済ませ、
  家人の声に朝を知ったのは午前10時過ぎ。

  2日間のダート走行が残した疲労も凄まじいが、
  青空を見上げれば、走り出す習性なのだ。

  昼前、東北道を4000回転で北上し、
  小坂ICから樹海ライン経由で十和田湖。奥入瀬。
  八甲田山の麓から青森市街地に下り、
  自動車道を6000回転で南下。
  
  色彩の散った観光地に
  人は群がり、流れは滞り、逃げ帰っただけの午後。
  薄暮に連なる盛岡の灯に再会し、
  イワテの広さと濃密を思い知る。

  

11月2日(日)
まったく緩む気配のない安定。そんなはずはない、と青空や秋雲を睨んだところで、すぐ笑顔。 @滝沢村


  練習中、突然、エンジンが止まった。
  プラグがかぶった様子もない。
  トライアル場は、静まり、
  みんなが愛機を取り囲む。

  歴戦の先輩達が、みるみる分解に取りかかる。
  見守る身の忸怩と快感。
  秋晴れの下で、キャブレターは、
  ひとつひとつの部品に仕分けされ、清掃された。

  冷却水やリヤブレーキのホース破損を手当。
  走りとマシン整備の因果関係を噛み締める。

  走りにおいては、
  また一段、ステアーの高さが上がったが、
  それがどうした、と喜べない帰り道。

  バイクの仕組みを思ってキックスタート。
  

11月1日(土)
最高気温は盛岡で20度を越えて、眉唾物の晩秋。春霞のような日中は捨て、透き通っていく夕暮れこそ全て。 @上外川牧場(岩手山かすかに)


  そこに居る、ということ。
  そこに在る、という感覚。
  
  刻々光は減衰し、夕闇が深くなるほどに、
  そこに至った道筋が見えてくる。

  つまり、一人だ、と気付いた9年前の晩秋。
  その事実をありのままに受け入れた歳月。

  孤独と表裏の自由を
  純粋な大気の中に確かめておきたくて、
  夜明け前の家出のように、
  あるいは、夕暮れの神隠しのように、
  宇宙に抱かれ、
  本当の闇にまぎれる時を、
  じっと待つ。

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