イワテバイクライフ2003年12月前半
朝から炬燵で横になり、 夕べの酒が消えるのを待つ。 消し忘れたテレビが議論する 「イラク」や「年金」を子守歌にウトウトするうち、 陽がさしてきた。 渋茶をすすり、プロテクターを身に着ける。 冬ごもりさせるつもりで磨き上げておいた モンテッサは、泥を求めて滝沢へ向かう。 総勢3名。 よほど好きなのか、何か恨みでもあるのか、 憑かれたように練習する。 U字溝や小岩や大タイヤをひたすら越える。 願いが叶うものなら、幾百、幾千越えてみせる。 滝のような汗の果てに、 雪解け水で車輪の泥を落としていると、 北の空に虹がかかっていた。 |
とけかけた雪道に いくらブロックパターンを刻印してみても、 泥まみれの印象を残すばかりだ。 タイヤが半分ほど浸かる 南氷洋のような水溜まりを這い出ると、 それ以上進むのが憚られるほどに 愛機は洗われていた。 小休止の間も、エンジンを冷やさないように アイドリングさせておく。 KTMは、沸々と煮えたぎり、 息を白く漂わせ、覚醒していく。 (きっと、黒い森の冬を思い出しているんだね。) 霧が、ゆっくり追いかけてくる。 |
雪がとけて 小雨にしては大きな水溜まりが続く。 前輪が巻き上げる水滴が ヘッドランプの前に白く跳ねる。 それは、線香花火のようで、 加速するほどに弾け、減速とともに萎える。 だから、今夜の灯を消さないように 雨滴を纏って走り続ける。 |
御所湖の周回路は、 随所に凍結の痕跡を見せながら ハイスピードで流れていく。 行く先など決めていないライダーは、 その速さに嫌気がさし、 人気(ひとけ)の無い湖畔で 「もう、いいだろう」と叫ぶ。 田園都市線が渋谷にさしかかり、 名城線が栄に滑り込む頃、 私は、岩手で、ぼんやり水鏡を眺め、 「これで、いいだろう」と呟く。 吊革を握りしめ、 すし詰めの不機嫌にもまれながら 思い描いた朝は、 ここに違いないのだ。 |
雪化粧の翌日。 昨日が消えていく様を 光を失った朝の中に見届ける。 黙りこくる風景は、 写実的なテンペラ画のようで、 眺める私まで、点景にしてしまう。 どこかで、白鳥が鳴いている。 いつまでも、その絵を忘れられない夜の帰り道。 路地裏の街灯に照らされて 瞬間、白鳥の腹が白く浮き立つ。 たぶん、朝の風景に足りなかったものは、 冷えた空を行く、その羽だったのだ。 |
旅に出る家族を盛岡駅まで送る。 通勤通学の時間帯、開運橋は人波に溢れ、 背中を押されるように駅前で別れた。 1時間後。 雪の丘に佇み、姫神山など 北上山地の朝を遠望する。 タイヤが纏った雪は、正面からの陽を浴びて みるみるとけていく。 取り残された私は、 雪に腹這い、頬を雪に付け、耳をすます。 しん、とこたえる雪の下の、草の下の、 黒土の中から、鉄路の音が響いてくる。 春に南下する列車の音に、 瞬きもせず、聞き入る。 |
職場の裏玄関を出ると、 あたりの植え込みは、すっかり白くなっていた。 冷えた街の匂いを胸にしまって家路につく。 氷点下の夜は 黒い交差点に赤信号を映して 「もう、走れない」と告げて来る。 ほんの半日前、 雫石川の土手に立ち、 冷害の跡に群れるカラスに舌打ちしたり、 とけかかった水溜まりの氷が、 キラキラ光るものだから、微笑んだりした。 闇夜の小雪を見上げる。 「あの朝は、 忘れていた季節が降って来る寸前の平和だったんだね」 |
冬晴れの路肩でキックバーを踏み抜くと、 2サイクルエンジンは、 きっぱりと弾け、走り出す。 ステップに立ち、街を抜けていく。 館向、前九年、みたけ、青山、そして滝沢。 競技用のバイクを現地まで運搬するのではなく、 ナンバーを付け、走って行くことを「自走」という。 自走を繰り返して7年。 走るほどに街の変化やリズムが体にしみて楽しい。 トライアルを始める前の、小さな旅。 心を立てる道程。 まぎれもない冬を全身に受け止め、 「つまり」と思う。 自走とは「自立して走ること」なのか。 (画像のライダーは、フジイさん) |
居間からガラス戸越しに見える バイクルームを掃除する。 寒空に引っ張り出した愛機達を 部屋に戻していくと、最後に、こいつが残った。 雨も雪も落ちてこない。 行けるところまで行ってみようと思う。 霧雨にけむる道沿いの気温表示は、 岩手町で4度。一戸町で3度から2度へ下がる。 コンテナ列車を追う覇気も無く、 黒光りするカーブに身構える。 二戸駅に隣接する物産館「なにゃーと」で お目当ての五穀豊穣ケーキ(800円)を買い、 84km離れた盛岡へ戻る。 ただ、それだけ。 それでけの為に、冷えた雨を吸って しばし、寡黙な男になる。 |
目的地などは、どうでもよいことで 確信犯となって道草を重ねる。 冬の雷か、あるいは、空前の発破作業か、 轟音が天地を震わせる。 雲は、下界の砲撃訓練には無関心で 音もなく流れている。 だから、再び走り出す。 愛機は、蒸気機関車のように私を揺さぶり、 ティンパニーとなって道を鼓舞する。 心に立ちこめていた硝煙が、 風に運ばれ、消えていく。 |
日本海に生まれた雲は、 雨を降らせ、雪を降らせ、 奥羽山脈を越えて来る。 降らせるものは全て降らせ、 抱えるものもなく、今度は北上山地を越える。 空高く吹き上げられ、 散り散りに、枯れ果て、太平洋に吹き飛ぶ。 だから、だろうか。 盛岡の空を行く雲は、 最後の力を振り絞り、うねり、踊り、 未練なく、原形を捨てる。 時に、グロテスクなまでの野性で 一切の些末を運び去る空を誇らしく仰ぐ。 |
その山の稜線は、特に印象深い。 盛岡に家族を残し、 単身赴任地から帰って来るたび、 花巻空港を行き来する高速バスの窓に 流れていた。 以来4年。 盛岡に帰った私の前に、 山は、あるべき場所にある。 その嬉しさが、時に極みに達し、 「嗚呼、南昌山、南昌山」と 憑かれたように口走り、 なまあたたかい草むらに転げ回って 撮影したりするのだ。 |
4号線を北上する。 いつも右手にある姫神山が見えない。 北上山地は暗い雲に覆われている。 馬返しまで走るうち、 雲の影の中に取り残されて振り向けば、 |
雫石の田圃道を行く。 雲間に岩手山の頂きがかすかにのぞいた。 寒さがゆるんでいたから、 思いのほか雪が消えていた。 バイクを停め、一服していると、 おばあさんが二人歩いてくる。 ゆっくりゆっくり歩いてくる。 仲良く寄り添って歩いてくる。 挨拶を交わし、あたたかい冬のことを話した。 大地は雪に覆われても、 岩手は、いつでも人の笑顔の中にあるのだから、 もう、冬は怖くない。 |