TOP

イワテバイクライフ2003年12月後半


12月31日(水)
晴れのち曇り、夕刻の雪。 @滝沢村(三上トライアルパーク)


  街の氷はとけた。
  歓喜の風を浴びて今日も走る。

  いつか何かあるにせよ、
  いつか終わりがあるにせよ、
  走らせる志を凍土に打ち込み、
  岩手に生きる今を確かめる。

  北上山地だよ。
  盛岡の街だよ。
  2003年最後の雪と泥だよ。
  
  越えるべきもの。譲れないもの。許し合うこと。
  大きく胸を開いて走れ。
  新しい年の風を求めて。

12月30日(火)
陽射しは燦々、路地裏は凍結。 @盛岡市梨木町(北上川)


  今日は、
  家族とイオンに行きました。
  初めて屋上の駐車場に上がりました。
  姫神山がよく見えました。
  岩手山も少し見えました。

  冷凍エビの一番大きなのを買いました。
  気が大きくなって
  ロシア産のボイルタラバ(2980円)を買いました。
  包丁も買いました。

  「あのね、お父さん」と妻は呟きました。
  「心情を吐露している場合じゃないのよ」

  そうだね。もうすぐ除夜の鐘だし。
  

12月29日(月)
岩手の年の瀬を洗う雨、そして雷鳴。 @岩手山林道近く(西根町)


  私がバイクに乗ってやって来た。

  雪になりきれなかった
  膨大な雨滴が雪をとかす。

  私は、岩手山林道と牧草地を往復し、
  墨絵の中に道の記憶を辿っている。
  
  ずぶ濡れの体を休める樹林を求めて
  吹き溜まりに飛込む。

  空転する後輪を両足踏ん張って引っ張る。
  頑張って辿り着いた所ほど、案外、寂しい。

  手袋を交換し、放尿する私の頭上に
  岩手山山頂を切り裂く雷鳴。

  あたふたと私が逃げ出していく。 

12月28日(日)
晴れ時々曇り、周囲の山岳に雪雲。 @雫石町


  私がバイクに乗ってやって来た。
  
  北にぽっかりのぞいた青空を睨んで
  私が街を抜け出す。
  
  その頃、婆さんは、孫を迎えに慣れない車を出す。
  私は、家族で過ごせる久し振りの正月を思っている。
  婆さんの運転席で携帯電話が鳴る。
  私は、見通しの良い農道を岩手山に向かう。
  婆さんは、聞き慣れない電子音楽に慌てる。
  私は、前方に軽自動車を見ていた。
  婆さんは、掌に踊る着メロに気をとられている。
  
  さて、今日のところは、
  激突の瞬間を数秒ずらしてあげた。
  
  ほら、私は直進し、婆さんは右折していった。
  

12月27日(土)
放射冷却現象の贈り物。霜の絨毯に分厚い氷。山という山は上機嫌で愛想をふりまく。 @岩手山の東側


  私がバイクに乗ってやって来た。
  
  凍った水溜まりの脇に停まった。
  ひどく慌ててカメラを取り出す。
  ポケットから小銭までばらまく。
  拾い集めるのももどかしそうだ。
  
  まだ、シャッターを切っている。
  日が陰り、再び日が差してくる。
  どうやら納得した私が立ち去る。

  五円玉一枚、ここに取り残され、
  五円玉一枚、ここで、冬を越す。
  


12月26日(金)
朝方の小雪を銀世界に維持する力もなく、不本意な晴れ間や陽射しを許した冬。 @盛岡市郊外


  国道46号線から
  岩手山の欠落した空を見上げる。
  角度を変えてみても頑として雪雲が覆う。
 
  背後に風圧が迫る。
  大型貨物のタイヤが
  肩口をかすめ、追い越していく。
  
  避難したくとも、路肩は凍っている。
 
  原付バイクの法定速度は、
  なるほど、こんな朝のためにあるのか。
 
  風に翻弄され、避けきれず、激突してくる雪を
  目を見開き、受け止める。 

12月25日(木)
天気予報の「曇り」とは、多少の霧雨などは暗黙の了解事項なのか。濡れたまま夕闇。 @南部片富士湖畔


  三日ぶりの湖畔は、少し水が引き、
  露出した淵は、生臭く、霜柱が立ち、
  愛機は、流木のひとつとなって俯いた。

  空咳とともに玉山村まで走る。
  
  冷えた朝靄を突っ切ることを諦め、
  田園地帯に減速する。
  薄氷の水溜りを、よろよろ避けて進めば、
  私は、野良犬の臓器そのままに
  肋骨(あばらぼね)をちぢめて
  霧雨に濡れる。

  惨憺たる朝に対峙するのは、
  上着の下の薄っぺらい体温。 

12月24日(水)
10月下旬並の最低気温は、わけありで、「曇りのち時々晴れ」などという通り一遍を嘲笑う。 @岩手山の空の下


  清明な丘の朝。
  前を行くトラックが黒煙を吐く。
  息を詰めていると、風はみるみる浄化される。
  イワテは、ディーゼルの排煙すら
  純粋な汚染物質として大気の中に
  分別してみせる。

  めざした場所は、
  岩手山の見える昨日と同じ空の下。
  店じまい同様の曇天に
  一種の落胆を求めてみた。
  (いい日もあればこんな日もある)
  突き放され、相手にされない時ほど、
  人の気持ちはリアルだ。

  イワテには、何にせよ、鮮明な境界線がある。
  

12月23日(火)
今回限りと言う春光は、師走下旬にあってルール違反であり、事実、人々は冬を乗り切りつつあると感じている。 @岩手山の空の下


  「いいんだね」
  「これで、ほんとうに、いいんだね」と
  念を押したくなるほどに、
  岩手山をモデルにした年賀写真の撮影は、
  うまくいった。

  申(さる)年だから、モンキー(猿)などという
  必然性に、ようやく気付くほど、
  ご立派な絵はがき風景だった。

  さて、歳月の段取りやセレモニーなど
  実際、どうでもよいことで、
  数分の間に、
  現れ、流れ、かすれ、別人になっていく雲を
  春の童子となって、見送る。
  

12月22日(月)
雨のち唐突な晴れ間。昼下がり、街の匂いは春先のそれ。 @四十四田ダム沿いの小野松橋

  暗い雨に潰されそうな朝。
  
  月の裏側に潜むものどもをあげつらい走っていると、
  南部片富士湖を渡る手前で雨があがった。
  それは、もう、見事なまでの場面転換で
  濡れた橋が青空を映し、瞬間、あたりが蒼く染まった。
  
  水滴をとどめたシールドを上げて走り出せば
  ひょおおおおおお、と風が口笛を吹く。 
  
  ついさっきまで、
  「ショーウインドウの友情」について考察し、
  「黒幕の工作」を推理していた私が悲しくなり、
  光に向かって叫んだ。

12月21日(日)
晴れのち雪雲の旅団が陰影をもたらし、冷えた夕闇に師走のヘッドライトが行列する。 @滝沢村・三上トライアルパーク(第3ステージ)


  胸を突くような雪の斜面に、
  真新しいタイヤの跡がある。
  剥き出しの泥に刻まれたブロックパターン。
  イワテの先人に誘われ、行く。
  3速にかき上げ、全開で駆け上がる。
  ラインをはずし、雪の厚さを感じた瞬間
  失速の気配。即座にステップに踏ん張り
  車体を立て、スロットルオープン。
  後輪は空転まじりに爪を立て、私を押し上げる。

  姫神山は、陽射しを浴び、
  冷えた北上山地の灯台となって明るい。

  濡れた丸太、泥を纏った岩。
  前輪を乗せてから後輪を回しても遅い。
  惰力に寄り添う全身運動に
  湯気が立ち上る。
  

12月20日(土)
朝方の温厚な晴れ間は、寒気団の号令のもと、片っ端から地下壕へ押し込められ、夕刻、雪。 @花巻市のデパート前


  日本全国、転勤して来ると
  今、通過している街が
  瀬戸内か、それとも北陸か、あるいは三陸か、
  にわかに確定できない瞬間がある。
  
  見慣れたコンビニエンスストア。
  郵便配達車。交通標識。
  築20年前後のアーケード。
  それに、ランドマークたらんと踏ん張る老舗。
  類似品めいた大通りの懐かしさ。
  
  見知らぬ街で行き倒れた人生が、
  そっと助けられ、
  説明のつかない優しさに、

  「ここを故郷に」と思い詰める話は、よくある。

  (雪の中、無事、水沢から帰還)

12月19日(金)
夕べの涙も乾かしてあげられないような曇り空は、優柔不断な光をこぼし、夜、ミゾレとなって街を打つ。 @綱取ダム


  正確に言えば、
  写ってしまったもの。

  その始末こそが、写すことの本質だったりする。

  写ってしまった幾千枚の朝を
  ひたすら消した夜。

  小雨にけむる山中の朝、
  消去する権利や、選ぶ自由を放棄してみる。
  258枚撮った朝は、この1枚から始まった。
  泥だらけの林道や、
  腐葉土に埋まる山道のことはさておき、
  冷えて、濡れて、ひどく寂しい「ここ」を
  起点に選んだ私が
  ありのままに写ってしまった1枚目。

12月18日(木)
灰色の朝は、みるみる血色をおび、インク瓶を倒したように青空が飛び散った。 @玉山村


  丘をめざして走っていると、
  鬼が追いかけてくる。
  言っておきたいことがあるらしい。

  濡れたカーブで加速し、振り切り、
  脇道に息をひそめる。

  心に鬼を呼ぶことなかれ。
  一切を問わず、責めず、
  すみやかに修羅を離れ
  気配を残さず、
  意味すら求めず、
  きこりの如く、
  炭焼きの如く、
  雪を踏み、
  道を残せ。

12月17日(水)
曇り、ひたすらの曇り、そのくせ、光学的にしか語り得ない瞬間の陽射し、のち、夜の小雨。 @小岩井農場


  鉛筆は、太くてやわらかいのに限る。
  
  風の中にあって、心に入ってくるものを、
  つい、鉛筆デッサンしてしまう。

  基本は、本物に向き合うことかもしれない。
  建造物ひとつとってみても、
  面や傾き、遠近法に照らした上での奥行きが、
  ゆるぎない骨格がもたらしたものは、
  なまじのデッサンを許さない。

  岩手の山野は、その応用の極みで、
  神経質で、ためらいがちな鉛筆を遠ざける。
  一筆で掬い取るべき季節の相貌は、美しい。
  

12月16日(火)
雨のち曇りなどと言っているうちに晴れ間はさっさと広がり、午後、早々に撤収。取り残された冬雲が山間部で泣き出し吹雪。@岩手山麓


  雨合羽を纏う夫に
  「雨はあがってきた」と妻は言う。
  「フィールドワークだから」と言い残し、
  そのまま走り出す。

  軽いバイクと完全防水。
  ささやかな冒険には、最高なのだ。

  岩手山麓に広がる森林。
  張り巡らされた林道は、99%が未知。
  だから、濡れた静寂に迷い込む。

  見たこともない高さの幹の上に
  雲は流れていく。
  かすかに伐採の音が聞こえる。
  叶うことなら、そんな朝の汗を流してみたい。

戻 る