イワテバイクライフ 2003年9月前半
大間で鮪を追う初老の漁師が 口ずさんでいたのは、 美空ひばりの歌だった。 朝のテレビ小説「私の青空」。 伊藤四朗。「津軽のふるさと」。 ヘルメットに吹き込む潮風に 口ずさむ郷愁。 寒立馬は、蒼い波音に聞き入り、 群れをなす風車は、 全てを受け止められるはずもなく。 ただ、燦々たる秋光が、 下北の印象に影を与える。 |
時も判別つかぬ闇の出来事。 聞き覚えなき君の声に目覚め、 悪夢にうなされる肩を掴む。 指先ほどの窓の隙間から 黒い冷気が忍び込み、 入植開墾の家族は 時折、そんな夢を見る。 終日、トライアル修行。 したたる汗の中で 怖い夢を語らなかった君を想う。 |
自賠責の更新。不具合を修正。 達人からキャブレターについての講義を受け、 山野に繰り出す。 舗装路で、ぐづついた走りも ダートに入れば別世界。 野太い咆哮が、がしっとした駆動にシンクロして ぐいぐい進んでいける。 トライアルで馴染んだスタンディング走行が 黒い泥沼や川渡りを楽しくする。 お定まりの林道を離れ 廃道の匂いを求めて 行き止まりまで攻めては、引き返す。 戦場の弾倉交換さながら 背中の燃料ボトルから、がぼがぼ給油する。 その最中も、熊の気配に怯え大声で叫んだりする。 |
愛宕山から岩山へ。 麓に白い雲をたなびかせた岩手山は、 薄情きわまりないシルエットで、 とりあえず今日も在るという態度なものだから、 撮った画像をその場で消した。 勢い余って 盛岡秋祭りの山車の写真まで消した。 息巻いて、すぐに後悔する。 ありのままに従う分別があれば、 穏やかな一日を過ごせたかもしれない。 そんなこんなで、君と向き合ったんだね。 |
小さな隠遁は山林にあり、 中くらいの隠遁は街にあり、 大きな隠遁は朝廷(つまり組織の中)にある。 かつて読んだ本の一節が風に蘇る。 それにしても、この静けさは、どうだ。 行けども行けども人に出会わず、 振り返れば爽快な孤独が立っている。 隠遁の意味さえ霧散する朝。 |
「雨の気配」もすっかり心得た。 降り出すまでの時間を走行風に嗅ぎ出し、 散策路を決める。 中津川河畔で、 レンズを突き出したとたんの霧雨。 橋ふたつ分離れてみた盛岡の中心部は、 濡れた皮膜の向こうにぼんやり突っ立つだけで、 「ここは本当に盛岡なのか」と 川の流れに念を押す。 黙々と街に向かう通勤通学の傘を見送るほどに、 取り残されていく我が身が、切なくも身軽に思え、 しばし秋桜に寄り添う。 |
前夜、ワイパーも追いつかない大雨の中 ハンドルを握りしめていた。 無事であることを心底喜べるようになったのは、 40歳をとうに過ぎてからだった。 雨上がりの朝、 やりすごした夜に背を向けて走り出す。 道いっぱいの水溜まりを踏めば、 秋晴れが笑う。 小岩井に深まる季節を求める。 濡れた樹林が風に匂う。 海の底から浮上した者のように 呼吸を繰り返す。 |
明治橋のたもと、 北上川を見渡す土手で 霧雨は濃度を増す。 陰鬱な水辺の風景を 習性の如く撮りため土手を下りる。 そこに、コスモス。 「マシェリ」気分で秋のカタログ撮影。 慣れないアングルの中に 家の主が現れ、しばし歓談。 身を明かし笑い合う。 「また来ます」と言い残し、 強まる雨に顎を引く。 |
空前絶後の災厄など、誰も想像したくない。 相当シリアスな本場(?)東海地方でも 警告をあざ笑う若者が路上にしゃがみ込んでいた。 それはさておき、 近頃、行政などに漂う危機感は相当なものだ。 盛岡市の北上川河川敷で、 大地震と大雨を想定した防災訓練が行われた。 国や県、自衛隊など80の機関から3千人余り。 恒例行事の騒ぎの裏で、 パニックを避け、何かがひたひたと 進行しているように思えてならない。 |
一輪車となって斜面を蹴り、跳ね、 駆け上がる技「ダニエル」。 長いヒルクライムの終盤。 あるいは助走のとれない急登坂。 グリップが失われ、パワーが減衰し、 駆動力が得にくい場面で使われる。 最後の最後にバイクを押し上げる切り札。 世界選手権につながる力「ダニエル」を イワテの西根でぼんやり見つめる。 前夜の雨で松川は増水。 轟々たる流れの中に 人生の「ダニエル」を思う。 |
(もう、とっくに滝沢村に入ったはずだが) そう思いながら、みたけから続く住宅街を抜けていく。 と、サーキットのピットレーンを思わせる色彩が 直角コーナーを知らせてくる。 北陵中学を守るべく、 曇天の眼(まなこ)を覚ますアテンションカラー。 名付けて「北陵シケイン」。 すでに授業の時間だが、人気(ひとけ)は希薄。 学校の所在地は滝沢村でも、盛岡市立だから、 「市中陸上」(盛岡市中学陸上競技大会)の応援に 生徒は出払っている様子。 赤、青、緑・・・各校・地域のジャージが 県営運動公園のスタンドを埋めていた。 高松の池に白鳥。ひと月半以上も早い飛来。 |
東日本ホテルの近所で遅い食事。 親戚付きあいの叔父さん叔母さんと話し込み、 ほろ酔い気分で店を出る。 街灯がつくる影。民家の板塀や窓の明かり。 見上げるビルのネオン。あの日のままだ。 岩手を離れる前夜。 家族は、涙で店を出て、同じ夜道を歩いた。 あれから5年。 今夜も家族はイワテで待つ。 明日も職場はイワテに在る。 この幸せの為に流れた歳月の意味など、 もう問わない。 冷涼な闇に、ただ、秋の虫の音。 |
眩しく陽が射して 青空がのぞいたからといって 素直に「秋晴れ」と言えない空のように、 心の天気図も、一筋縄ではない。 健康マニアの3年生のアンケートに答えた結果 「まず相当の確率で無呼吸症候群」であり 「世界的権威の統計によれば、7年以内に死ぬ」と 宣告された。・・・どうする? 午後、西根町にトライアル選手宅を訪問。 東北選手権で国際B級に昇格すれば、 次は、全日本選手権。 けれど全国各地への転戦は至難。・・・どうする? |
板壁や漆喰が、残暑の陽に乾く。 頑張って来た日々は、すでに遠く、 頑張ることをやめたあなたに人は微笑む。 歳月がもたらす色や その昔の精一杯の意匠が ともすると不本意な孤高を招くのだけれど。 今、同じ空の下で、私達は、 懐かしんだり、惜しんだり、嘆いたりすることなく、 心地よい風化とはどのようなものか、 噛み締める。 |
秋空に岩手山が浮いている。 心は決まり、走り出す。 時折、見え隠れする姿を確かめながら急ぐ。 雲は流れ、陽射しは刻々移ろう。 求める山は、いつまでも待っていてはくれない。 思い描いたイワテと そこに在るイワテが符合することなど稀なことで、 だからシャッターを切る。 撮ることで願いが届くような気がして シャッターを重ねる。 |