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イワテバイクライフ 2004年3月前半


3月15日(月)
最低気温が氷点下5度とか6度とか、すんなりいかない春の到来。昼前からの晴天など、他人事のような出来事。 @盛岡市愛宕町(国道4号線)


  早いものですね。
  3月も折り返し点にさしかかりました。
  
  年度末、というやつでしょうか。
  朝から晩まで仕事に追われています。
  よって、今朝は40分ほどの散歩でした。
  
  曇っていましたが、岩手山が立っていました。
  厚化粧のまま、青白くて、幽霊みたいでした。
  雪の中に飛び出した日々を思えば、
  乾いた舗装路に馴染むタイヤの手応えときたら
  いやあ、もう極楽です。
  
  でもねえ、なんだかなあ、寂しいのですよ。
  冬の思い出まで、今朝のお山のように
  幽霊みたいで。

3月14日(日)
なまじ快晴の天気予報など、出すな、この時季に。落胆の時をやり過ごして昼前走り出せば、冷えた青空。 @東和町


  こいつで走り出す日は、
  もっと上出来な青空と春風が
  欲しかったのですが、
  どうも、うまくいきません。
  道が乾いているだけでは、いけません。
  冬の邪気を含んだ大気は、
  冷えた欠伸や妄念を運んできます。

  束の間、オートバイのことを嫌ったり、、
  愛しいイワテが疎ましくなったり、
  人生の歯車を逆回転させようとしたり、
  ひととおりの鬱を駆け抜けた後で、
  気付くのです。
  名も無き農道で
  無心に演奏する私に気付くのです。

  道は楽譜。愛機は楽器。
  生涯かけても終わらないステージ「イワテ」。

3月13日(土)
前日の予報の晴天マークを信じて迎えた朝に大粒の雪が舞い降りてきて、予定差し替え。昼過ぎに青空到着も、冷えびえ。 @盛岡市手代森


  ひらりひらりと
  舞い降りてくるじゃありませんか。
  大粒の雪です。予定にはなかった雪であります。
  積もる雪ではないのですが、戦意喪失。
  
  所用で安代町へ。四輪で走ります。
  昼食は、モチのロンで、田山ドライブイン。
  キノコラーメン、大盛りであります。
  「うめじゃ〜」、キノコの風味と食感を堪能。
  親爺さまと若旦那は、お出かけとのことで、
  お母さんと娘さんが、厨房を守ってました。

  帰りの車中で地元局のラジオを聞く。
  これが正しいイワテライフであります。
  大塚さんのDJ、なんとも、なごむのです。
  (は〜、岩手県人になれて良かった)
  
  

3月12日(金)
陽射しは、病み上がりのように痛々しく、消えていく雪の白さばかりが輝いていた。街の埃が風に舞った。 @滝沢村


  春。・・・そのはずなんですが、
  先走る気持ちに、どうも季節が
  併走してくれません。
  
  なんといいますか、判断中止、というのでしょうか。
  とりあえずの晴れ間、とりあえずの陽射し。
  走っていても、どこか、現実味に欠ける風。
  
  でも、水田の雪がとけていました。
  先日の大雪にもかかわらず、写真の通りです。
  畦道の土が、ぬかるみまして、
  季節の言葉で言うところの「春泥(しゅんでい)」
  といった風情です。

  これで、どかんと春本番が現れても
  心身共についていけるかどうか、疑問。
  ちょうど良い加減の「猶予」と受け止めました。

3月11日(木)
雨に黄砂がまじり、春なのかと問われれば、山田、釜石では、最高気温17度を越え、4月下旬並。 @玉山村(笹平大橋そば)


  黒々と道が走る。
  雨に洗われ伸びていく。
  
  冬に疲れた
  辺り一面の殺伐は、
  青い合羽すら憚られ、
  うつむき、そそくさ駆け抜ける。

  心を向けるだけの旋回。
  耳を傾けるだけの加速。
  カーブの先に待つのは、
  すっぴんの日常ばかり。

  記録に値する朝か。
  論評に値する旅か。
  氷雪の消えた道程。
  ただ水しぶきだけ。

  
   

3月10日(水)
各地で最高気温は10度を大きく越えて4月上旬から中旬並の陽気。雪解け水は、点から線へ。 @南部片富士湖畔

 
   雪が落ちる。
   音を立てて
   雪崩を打つ。

   凍って鋭い
   雪ではなく、
   襲いかかる
   雪ではなく、
           
   泣き濡れて
   身投げする
   二人の様に
   陽射しの中
   こと切れる。

3月9日(火)
雪など舞う朝の頑なは、気弱な者を門前払い。ところが、ヤクザな輩が粘っていると見るや、段取り無視の青空。 @滝沢村


  「凄い、完璧だ」
  自然観察に長けた仲間が声を上げた。

  岩手山麓に3時間待って、
  ようやく滲み出した青空。
  それは、日陰の斜面に時間を止めていた。
 
  「雪まくり」
  冬の厳しい寒さが緩み雪解けが始まる3月頃、
  新雪が降り、湿度が高く、風が吹くと、
  雪が斜面を転げ落ち、
  表面の雪をロール状に巻きながらできる自然現象。
  
  道の彼方に
  岩手山が、みるみる稜線をあらわしていく。
  いずれ、陽射しは、ここにも及び、
  すべての奇跡は、リセットされる。

3月8日(月)
とけたのではなく、車の往来に砕かれた雪だけが、市街地を泥水の海にした。平年より寒い一日に、郊外の雪は安堵。 @盛岡市手代森


  風が、市街地のサイレンを運んでくる。
  赤信号に入るスピーカーが叫んでいる。
  そんな朝が白い丘の向こうに遠ざかる。
  耳を傾けていたカラスが枝から離れる。
  
  さて雪どもよ。3月に降った雪どもよ。
  その分厚さで街を騙すことはできても、
  消えていく日のことばかり考えている
  お前達の魂胆など、とうにお見通しだ。
  土を凍らせ屋根を押し潰す気概もない。
  じっと積もっていることさえ出来ない。
  行きずりの陽射しに身をまかせたがる。
  冬の幕引きを引き受けた大道具たちよ。
  踏み付け、蹴散らしても、もの静かに
  崩れるだけの、春目前の銀世界たちよ。
  やる気のない泥水が、お前達の正体か。

3月7日(日)
市街地の湿った雪は、早々と身を持ち崩し、茶色く濁って腐乱して、道路一面にぶちまけられ、やがて夕闇。 @岩手山南東麓


  抜き身の太刀を肩に乗せ
  雪野原を駆け下る。湿った雪だ。
  巻き起こす風に北上高地の春が匂う。
  
  まだ、斬られたことはない。
  今日も、冬を斬るために走り出す。
  
  雪は固く、飛ぶが如く伸びる歩幅を受け止める。
  とりかえしのつかない速度の中で、太刀を構える。
  みるみる数体の鎧姿が振り向き槍を向けてくる。
  まだ斬られたことはない。それだけがすべてだった。
  切ないほど鋭い己の気合いを聞いた。
  鋼の重さを、まっすぐ振り下ろすと、
  鎧の隙間に食い込み、腕がとんだ。
  ほとばしる鮮血は、五月の風のように奔放だ。
  返す太刀で背後を横に払った。
  半狂乱の視野に、呼吸だけが孤独で、
  転がる冬の首を見送っていた。
  
  

3月6日(土)
ざんざんざんざん舞い降りる。ざんざんざんざん埋め尽くす。やがて、みしみし押し潰す。そうはさせじと町をあげての除雪作業。



  わたくしは、
  つまり、かつて、ここに行き倒れたわたくしは、
  多くの皆様に抱きかかえられ
  白湯など飲ませていただき、手厚い看護を受け、
  どうにか生きるメドを立たせていただいたわたくしは、
  本日、どうにも、抑えきれない感情に従いまして、
  もう一度、ここに、行き倒れるのであります。
  あの日のように、雪は天地の境すら消して
  何を聞いてもこたえない冷たさではありますが、
  見渡す限り、わたくしに駆け寄る人影も無く、
  ああ、これで、あの日に戻って、
  存分に、のたれ死にできると、
  何故、あの日、ここで立ち往生していたのか
  もう一度、確かめられると、
  ざんざんぶりの、場所すら特定しがたい、ここに
  わたくしを置き去りにすること、お許し下さい。
  

  

3月5日(金)
見渡す限りの不機嫌だから、方角を求めることなく、動かず、やがて、午後の陽射し。 @盛岡市三ツ割


  しがらみ。
  あるいは、会員証。
  バッジのようなもの。
  
  しがらみなく100mを9秒で走っても、
  会員証付きの10秒には敵わないという仕組み。
  それでうまく回る程度の社会は確かにある。
  
  ならば、1ダースほど会員バッジを胸に並べ、
  12秒台で暮らすのも、ひとつの選択。
  
  さて、そのバッジだが、
  どうやら、貸し借りの山の彼方にあるらしい。
  厄介なことに、下界から見上げるその山は、
  ひどく物語に溢れ、美しいという。


  だから、9秒をめざす。

3月4日(木)
なまじ春の気配に浮かれた街に、北国の三月は毅然と雪を降らせた。真意を受け止めきれない車のスリップ事故多発。 @盛岡市


  跨る愛機は3速ギアに固定して、
  左右の長靴で雪をかきわければ、
  弾みが付き、するする前に出る。
  
  春めき空気圧を上げていたから、
  しばしば、後輪が前に滑り出す。  
  不本意ながらの180度ターン。
  パワースライドで再び向き直る。
  
  冷えた天空がもたらす雪は大粒。
  しかも止めどなく降る雪だから、
  重みに耐えかねた枝が反発して、
  瀑布となり、行く手は白く霞む。
 
  願わくば、我が身に降りかかれ。
  春の夢に溺れた私に降りかかれ。

3月3日(水)
朝方、撤退に決断がつかず、残存勢力を確かめる降雪行為が続き、しばし沈黙して、控えめな冬の晴れ間。 @滝沢村


  春を無効にするというのなら、
  なまじの光や色などいらない。
  言葉を探す余地すら奪う雪が、
  見渡す限りの音を消すがいい。
  無力な私は、瞬きを繰り返す。
  足踏みするうち、白く染まる。
  ちりちり透明な針が頬に痛い。
  乗り越えたはずの季節の遺言。

  そんな安泰でいい気になるな。
  束の間訪れる春や夏や秋など、
  次の冬への婉曲な道程なのだ。

  浮かれるもの一切を黙らせた
  あなたを許そうと思うのです。


3月2日(火)
午前中、それはもう、ほんとうに春が来たと喜んだものでした。昼過ぎ、すべての約束を破棄するかの如き雪、ざんざんと。 @玉山村

  
  話はついていないが、春だ。
  だから、決着をめざすのだ。
  
  誤解も解けないまま、春だ。
  だから、絡んだ糸をたぐる。
  
  仲直りもしないまま、春だ。
  だから、潔く全てを忘れる。
  
  釈然としないけれど、春だ。
  だから、覚悟を決めるのだ。
  
  あるのは思いだけで、春だ。
  だから、恋い焦がれるのだ。

3月1日(月)
平年並みかと問われれば、2度ほど寒いだけかもしれないが、3月の響きに期待した御祝儀には、ほど遠い陽射し。 @玉山村


  455号線。
  カーブに飛び込んで、はっとする。
  白く流れる路面は、乾いた融雪剤だった。

  二本のタイヤは、ザラリと道を噛んで
  小さく傾き曲線を切り取っていく。

  たかだか49ccが絞り出す「快速」。
  滑り出す瞬間に身構えながら走った日々を思えば、
  解放された速度と駆動の、何という恍惚。

  ところが、そんな時間は、
  ひとたび山に入れば絵空事で、
  贅肉を落とした氷の轍が待っていたりする。

  再び身構える私は、やがて笑顔で
  懐かしく、愛おしく、冬を回顧する。

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