イワテバイクライフ 2004年3月後半
|
|
|
逆落としでブレーキを締め上げる。 前輪0.38、後輪0.29。 空気圧を下げても、乾ききった赤土の斜面は滑る。 その感触は、すでに初夏だ。 まだ三月だというのに、 思い切りの良い陽気の振る舞いだ。 遠慮無く汗を流す。 ひと息つくたびに、 気心の知れた仲間と言葉を交わす。 入会地で挨拶を交わすキコリのように。 至極当たり前の人と人の有り様。 何かを背負い、何かを引きずり、 けれど、突き抜けた笑顔を空にまっすぐ向ける。 だから待っていられた。この日を。岩手のこの春を。 (ライダーは、滝沢の名人の一人・シェルコ吉田さん) |
求めた気分は「県南の里山コースで日光浴」。 スポーツスターも初期の慣らしは済んでいた。 3500回転まで回してみる。 道を走る雲の影を追って、 やわらかな爆音をたなびかせていると、 胸の潰れる日々の記憶が風にちぎれ飛ぶ。 もう、いいのだ。 (今、こうして岩手を走っているではないか) 花巻から東和町。江刺から大東町。 室根高原。山頂に続く道を縁取る残雪。 気仙沼から唐桑半島。 陸前高田に北上して昼食。 磯ラーメン(450円)と焼きホタテ(550円)。 大船渡、釜石。45号線の難所は相変わらずだ。 仙人峠を越えて遠野に入り、宮守村、大迫町。 盛岡が近付くほど、光線は衰弱し、風は冷える。 幸福と残酷を考察し続けた380km。 湯船の中で、まだ、海がきらめいている。 |
|
風に向かって 聞こえよがしに声にしてみるほどの 諸問題も無い身にとって、 まことに、すがすがしい雨上がりでありました。 濡れた牧草地の丘を越えていくと、 ブーツやタイヤが、道にこぼれた泥をもらって つんと堆肥の匂いです。 春の汚れを落とそうと、 ことさらに残雪を踏み、 雪解けの水溜まりを選んで走ります。 けれど、見渡す限りの土の風景に誘われ、 いてもたてず、再び泥の中に進むのです。 |
羽化したばかりの春は、 湿って、脆弱で、不確かで、 目覚めきらない陽射しすら眩しくて、 無抵抗に車輪を受け入れる。 むき出しの黒土に甘酸っぱい発酵が香り、 かなたのトラクターの発動に目を凝らせば、 霞の中に岩手山。 ひばりは、天空にとどまり、さえずり、 じきに力尽き、田園に舞い降り、 再び、空に駆け上がる。 すべては、春を始めるのに懸命だ。 |
貸し借り無き我ら。 たまに向き合い、微笑む。 この大地の法典となって、 歳月を纏うあなたを、 飽きることなく眺める。 私が走れば、あなたも走る。刻々変わる。 私が止まれば、あなたも止まる。 止めようもないのは、 その山肌に移ろう季節の相貌で、 見つめる私には触れることさえ許されない。 だから、貸し借り無き我ら。 たまに向き合い、微笑むだけ。 |
旅立つ者は、 ことさらに息をひそめ、 痕跡の始末に打ち込むものですが、 一羽の白鳥が、 舘坂橋の路上を徘徊していたと聞き、 何故か胸が痛んだわけで、 現場に駆け付けたのですが、 すでに多くの白鳥は立ち去った後で、 取り残された家族に、 とんちんかんな返事をされることも悲しく、 その場を離れました。 あとで聞けば、 警察官二人が見守る中、 白鳥は、往来の狭間で 途方に暮れていたというのです。 (まるで5年前の私です。) |
性癖か、あるいは習性か。 引っ越した直後、 それまで住んでいた街やアパートを 見たくなって、よく旅に出たものです。 そんなDNAが 今日のツーリングに現れてしまいました。 新幹線で乗り越して一泊するはめになった 夕べの宿「ホテル・メッツ八戸」を 見たくなったわけで・・・。 7時間前引き払った 部屋の窓を見上げて 「馬鹿だなあ」と呟き、帰ってきました。 |
出張帰りの新幹線は、 懇親会のほろ酔いも手伝って、熟睡できた。 車内アナウンスで目を覚ますと、 見慣れない夜景が流れている。 すでに盛岡駅を出た後だった。 (オ〜、マイ、ガア〜) 八戸から引き返す電車は無かった。 駅ビルのホテルに一泊した。 朝、丘の上に突っ立ていたことが 遠い遠い出来事のように思えた。 「フール・オン・ザ・ヒル」な一日だった。 |
|
春なのに、 しずしずと冬の大名行列が通る。 ひれ伏す私は、くすくす笑う。 「笑ったのは誰だ」蒼白の冬が刀に手をかける。 「めっそうもありません」と舌を出す。 「無礼者」と、刀を抜く。 くすくす、くすくす、くすくす、 あたり一面、ひれ伏す大地が笑い出す。 私は、我慢しきれず吹き出した。 「おのれ」 怒りにまかせた刀は、手当たり次第に斬りつける。 私達は、血しぶきを浴びながら 腹をよじって笑い転げる。 (画像の色彩には、一切、加工は施しておりません・・・笑) |
やわらかく、ぬくもっていました。 確かに、春は来たようです。 もう、すっかり満たされて 何事も起きそうにない道に、 笑いが、こみ上げて来るのでした。 冬の間、飲み込んだ言葉は、 春の種となり、その数だけ花は咲くようです。 こんな道が、どこまでもどこまでも続くなら ひきかえに、ただ黙って微笑んでいてもよい。 そう思い始めています。 |
アテネオリンピック・女子マラソン 日本代表に高橋尚子選手の名前は ありませんでした。 今後、多様な場面で、 この国の判例になりそうな結論でした。 さて、今朝も気ままな散歩です。 この街の居心地の良さといったら・・・。 怖いほど平穏な時が流れます。 「欠伸にも値しなければ、 石を投げられることもない」 そんな川の呟きを、 心の判例として掬い取りました。 |