イワテバイクライフ 2004年4月後半
KTM200EGSと暮らし始めたのは、 1999年の3月だった。 転勤で岩手を離れることを予感しながら買った。 イワテを見納めのつもりで、こいつを走らせ 春爛漫を撮影した。 その夏、異動した猛暑の名古屋で 別れたはずのイワテの写真に見入った。 夢のような風景だった。 (なあ、俺は、ここで生きてみたい) 妻は、黙って頷いた。(それで救われるなら・・・) 花巻行きの飛行機に飛び乗り、 盛岡で土地を買った。 その年の秋、深夜の東名高速をひた走り、 雨の東北道を北上して、こいつをイワテに戻した。 思い焦がれた暮らしにおさまった我ら。 物語を忘れ、この朝に生きる。 |
はっと目を覚ますと 時計が鳴ってから2時間が過ぎていた。 (夕べの私は、どこへ行くつもりだったんだ) まさか海峡を越える旅などあり得ない。 ならば、せめて海峡を見ようと走り出した。 濃厚な磯の香りだ。 津軽半島の突端、三厩(みんまや)村の 漁師食道で、甘いウニ丼を餓鬼となって食らう。 海の向こうに背伸びして、竜飛岬の風車は回る。 竜泊ラインで日本海の飛沫を、かすかに浴びる。 太宰治の故郷・金木町にさしかかり、立ち往生。 津軽随一の桜の名所・芦野公園の桜まつり。 初日のにぎわいに巻き込まれる。 最果てのたわわな春を堪能した。 |
撥水レザーを手厚く縫製した背嚢に、 僕は、エンフィールド双眼鏡をしのばせている。 鈍く光る真鍮のダイヤルを合わせれば、 焦点精度99.7パーセントを誇る芸術品だ。 その歴史は古く、ロンドン郊外に工房を持つ バードヤーズ卿が1789年に手がけた ジェラルド望遠鏡をもとに発展させたものだ。 霧にけむるノルバタインの海峡に 焦点を合わせるのだが、さすがに何も見えない。 見えないはずさ。 そんな望遠鏡も海峡も存在しないのだから。 視界が遮られた朝だから「気分」ばかり綴り出す。 唯一、確かなことは、北東北の霧の中で、 じくじくと、老いぼれた私が濡れていることだけだ。 |
(三國連太郎をイメージしつつ・・・) 「ほう、立派な作品を御存知ですね。 なるほど、立派な方々とお知り合いだ。 育ちというか、教養というべきか、 それはそれで、ま、結構なことです。 で、私が知りたいのは、 あなたが得意げに語る 確立されたものや、巨匠の言葉ではなくて、 つまり、なんというか、 あなた御自身が、どうなのか、ということ。 いいんんですよ、どんなに陳腐でも、構わない。 誰もがみんなミケランジェロじゃないんですから。 だからね、借り物ではないあなたを 見せてほしいんだな。・・・出来ますか。」 |
岩手で朝から元気なのは、 パチンコのテレビコマーシャルと、三馬力だ。 お前さんは、オイラと出逢わなかったら 今頃、どこを走っていた? 排気ガスに黒く染まった都会の幹線道路か。 1周数キロの離れ島の海岸線か。 あるいは、学生アパートの軒下で雨ざらしか。 それも立派な道だ。 でもな、よかったなな。イワテでよかったな。 ここに降る雪や雨には、心をおかす毒もない。 山野には、人を陥れる罠もない。 街には、巨悪というほどの仕組みもない。 だから、どうだ。何という風のうまさだ。 |
トライアルパーク目前で 脊椎プロテクターを忘れたことに気付く。 40分のロスを厭わず家に戻る。 微妙に挑戦し始めているから、慎重になる。 滝沢は、5月2日の大会に向けて セクション(競技区間)を示すコーステープが 張られていた。 のどかな山の空気が引き締まる。 普段出来たことも、テープ1本で出来なくなる。 (困難があるから人は力を出すのだ) トランスポーターを迎えて、 愛機から、スピードメーターを外し、ミラーを外し、 今日、ナンバープレートを外した。 屋外で飯を作って食べた。 なにやら、思い描いていたものが形になっていく。 |
初めての林道には、 思わぬ場面で残雪が待ち受けている。 道は、脆弱で、 前輪の導き方を間違えると 瞬く間に横倒しになる。 けれど、 滑るとか、傾くとか、倒れるとか、 そんなことは、雪と泥にまみれて進むことの 一部にほかならない。 意気消沈する暇が在れば、 行く手の匂いを嗅ぎ分けろ。 ここでは、息を荒くし、汗をかき、 上機嫌で乗り越えていく野性が全てだ。 |
(さて、イワテの他に何がある?) 花冷えの朝に、その答えはなかった。 馴染みの道が続くばかりだ。 精神の貧困を言う前に、 ひとつ確認しておこうか。 どう逆立ちしても、 一片の感想すら出てこないものに 真顔で向き合うのは、 もう、たいがいにしよう。 欠伸を殺して深く頷くのは、 もう、たいがいにしよう。 (つまらない)と そっぽを向く子供の残酷に罪は無いように。 |
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朝になっても雨は街を濡らしている。 もう、何十年もそうしてきたように プロテクターを着け、合羽を纏い、 通勤ラッシュにまぎれこむ。 よどみなく道を繋ぎ、車線を選び、粛々と進み、 渋滞の最前列に浮上する。 (さて、今日の行く先は決まっていない) 信号待ちで、習慣めかせて空を見上げ、 古びた看板や建物、桜など静かに観察し、 青信号に反応して走り出す。 あたかも、この街で暮らし続けてきた男を 演じ装うように、自らの生い立ちを 狂おしいほどに好きなこの街に探している。 (もしかしたら、ずっと昔、 私は、ここで生きていたのかもしれない) |
スプレー缶のガスを抜く。 空になったケミカル類を整理する。 まだ、かすかに残っているからと、 猶予を重ねてきたものと決別する朝。 |
車に愛機を積み込む。 キュッとタイダウンも決まり走り出す。 窓からの風がTシャツに心地よい。 後ろからバイクが覗き込んでいる。 少し遠回りして道に迷う。春だから、それも良い。 どんな道や時間も、自分で選んだものなら嬉しい。 ガソリンと食料を調達し、再び走り出すと、 田園の向こうに雪解けがすすむ岩手山だ。 心がふるえるほどの幸福。 (神様は、あの日の君に こんな日曜日を用意していてくれたんだね) トライアル場には、鬼コーチが待っていて、 この春、向き合うはずのない岩を越えたりした。 (あの日の君よ、大丈夫。自分を信じて、跳べ) |
雪深い会津に、 中学・高校の日々はあった。 春を待つ思いは切ないほどで だから、桜の記憶が際立つ町だった。 蔵だとかラーメンだとか、 私の青春の視野になかった。 バイクに乗るようになって、 喜多方への旅は恒例になった。 原点を確かめずにはいられない衝動。 桜の木々に囲まれた学舎だから、 春になると、そこに満開を求めて走る。 自動車道も国道も県道も、強風に胸ぐらを掴まれ、 振り回わされる騒ぎではあったが、 30数年の歳月を花とともに胸に納めた。 盛岡だから叶う、日帰りの夢。 |
不思議だ。 ほら、カーブに吸い込まれていくよ。 |