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イワテバイクライフ 2004年4月後半


4月30日(金)
けだるく白濁した晴天に「初夏」を感じていたら、一関市など県南部で夏日を観測。 @北上高地


  KTM200EGSと暮らし始めたのは、
  1999年の3月だった。
  転勤で岩手を離れることを予感しながら買った。
  イワテを見納めのつもりで、こいつを走らせ
  春爛漫を撮影した。
  
  その夏、異動した猛暑の名古屋で
  別れたはずのイワテの写真に見入った。
  夢のような風景だった。
  (なあ、俺は、ここで生きてみたい)
  妻は、黙って頷いた。(それで救われるなら・・・)
  花巻行きの飛行機に飛び乗り、
  盛岡で土地を買った。
  その年の秋、深夜の東名高速をひた走り、
  雨の東北道を北上して、こいつをイワテに戻した。

  思い焦がれた暮らしにおさまった我ら。
  物語を忘れ、この朝に生きる。

4月29日(木)
雨に潤った大地も海も、精気を取り戻し、初夏の陽射しをうまそうに吸った。 @青森県津軽半島・竜泊ライン(R339)


  はっと目を覚ますと
  時計が鳴ってから2時間が過ぎていた。
  (夕べの私は、どこへ行くつもりだったんだ)
  まさか海峡を越える旅などあり得ない。
  ならば、せめて海峡を見ようと走り出した。

  濃厚な磯の香りだ。
  津軽半島の突端、三厩(みんまや)村の
  漁師食道で、甘いウニ丼を餓鬼となって食らう。

  海の向こうに背伸びして、竜飛岬の風車は回る。
  竜泊ラインで日本海の飛沫を、かすかに浴びる。

  太宰治の故郷・金木町にさしかかり、立ち往生。
  津軽随一の桜の名所・芦野公園の桜まつり。
  初日のにぎわいに巻き込まれる。
  最果てのたわわな春を堪能した。

4月28日(水)
黒土はねっとり濡れて花の養分となる。オイル交換をしたような大気の潤いだが、気温だけ見れば3月下旬並。 @玉山村


  撥水レザーを手厚く縫製した背嚢に、
  僕は、エンフィールド双眼鏡をしのばせている。
  鈍く光る真鍮のダイヤルを合わせれば、
  焦点精度99.7パーセントを誇る芸術品だ。
  その歴史は古く、ロンドン郊外に工房を持つ
  バードヤーズ卿が1789年に手がけた
  ジェラルド望遠鏡をもとに発展させたものだ。
  霧にけむるノルバタインの海峡に
  焦点を合わせるのだが、さすがに何も見えない。
  
  見えないはずさ。
  そんな望遠鏡も海峡も存在しないのだから。
  視界が遮られた朝だから「気分」ばかり綴り出す。
  
  唯一、確かなことは、北東北の霧の中で、
  じくじくと、老いぼれた私が濡れていることだけだ。

4月27日(火)
もっと清めてくれる雨ならば、時を惜しまず、感謝状も書いたのだけれど、陰々滅々たるモノトーンの一日。 @盛岡市・櫻山神社向かい


  (三國連太郎をイメージしつつ・・・)

  「ほう、立派な作品を御存知ですね。
  なるほど、立派な方々とお知り合いだ。
  育ちというか、教養というべきか、
  それはそれで、ま、結構なことです。
  で、私が知りたいのは、
  あなたが得意げに語る
  確立されたものや、巨匠の言葉ではなくて、
  つまり、なんというか、
  あなた御自身が、どうなのか、ということ。
  いいんんですよ、どんなに陳腐でも、構わない。
  誰もがみんなミケランジェロじゃないんですから。
  だからね、借り物ではないあなたを
  見せてほしいんだな。・・・出来ますか。」

4月26日(月)
盛岡では1972年4月26日に並ぶ観測史上2番目に遅い積雪。朝から銀世界をとかす陽射し。 @玉山村


  岩手で朝から元気なのは、
  パチンコのテレビコマーシャルと、三馬力だ。

  お前さんは、オイラと出逢わなかったら
  今頃、どこを走っていた?
  排気ガスに黒く染まった都会の幹線道路か。
  1周数キロの離れ島の海岸線か。
  あるいは、学生アパートの軒下で雨ざらしか。
  それも立派な道だ。

  でもな、よかったなな。イワテでよかったな。
  ここに降る雪や雨には、心をおかす毒もない。
  山野には、人を陥れる罠もない。
  街には、巨悪というほどの仕組みもない。
 
  だから、どうだ。何という風のうまさだ。

4月25日(日)
朝、みぞれが刺さる、大粒の雪が舞う。盛岡で観測史上3番目に遅い積雪を観測。その後も小雨まじり。 @滝沢村のトライアルパーク


  トライアルパーク目前で
  脊椎プロテクターを忘れたことに気付く。
  40分のロスを厭わず家に戻る。
  微妙に挑戦し始めているから、慎重になる。
  
  滝沢は、5月2日の大会に向けて
  セクション(競技区間)を示すコーステープが
  張られていた。
  のどかな山の空気が引き締まる。
  普段出来たことも、テープ1本で出来なくなる。
  (困難があるから人は力を出すのだ)
  
  トランスポーターを迎えて、
  愛機から、スピードメーターを外し、ミラーを外し、
  今日、ナンバープレートを外した。
  屋外で飯を作って食べた。
  なにやら、思い描いていたものが形になっていく。

4月24日(土)
晴れとか曇りとか雨とか雪とか、判別不能の空模様。ほんの数キロの差で春と冬。夕刻、均一な光線。 @北上高地


  初めての林道には、
  思わぬ場面で残雪が待ち受けている。

  道は、脆弱で、
  前輪の導き方を間違えると
  瞬く間に横倒しになる。

  けれど、
  滑るとか、傾くとか、倒れるとか、
  そんなことは、雪と泥にまみれて進むことの
  一部にほかならない。
  
  意気消沈する暇が在れば、
  行く手の匂いを嗅ぎ分けろ。
  ここでは、息を荒くし、汗をかき、
  上機嫌で乗り越えていく野性が全てだ。

  

4月23日(金)
真冬並みの寒気の接近で3月を彷彿とさせる冷え込み。強風にも耐えた桜だが、戦線離脱の花びらが目立つ。 @小岩井農場


  (さて、イワテの他に何がある?)
  花冷えの朝に、その答えはなかった。
  馴染みの道が続くばかりだ。
  
  精神の貧困を言う前に、
  ひとつ確認しておこうか。
  
  どう逆立ちしても、
  一片の感想すら出てこないものに
  真顔で向き合うのは、
  もう、たいがいにしよう。
  欠伸を殺して深く頷くのは、
  もう、たいがいにしよう。

  (つまらない)と
  そっぽを向く子供の残酷に罪は無いように。

4月22日(木)
眠りを破る未明の轟音。雨に濡れる盛岡では、春雷4発(盛岡地方気象台観測)。やわらかい雨は昼前には止んだ。 


  かんかん雨がシールドを打つ。
  ぱちぱち雨が合羽の胸を打つ。
  はらはらタンクに雫が流れる。
  くるくる散った桜を巻き取る。

  僕が走ると道が流れる。景色が現れる。
  僕が呼吸すると土が匂う。草が香る。

  僕がいなくても岩手は、ある。
  山以上のものではない山と
  川以上のものではない川と、
  春以上のものではない春が、ある。

  そこに、今朝も僕の心を運ぶ。
  それ以上のイワテを見たくて。


4月21日(水)
晴天は、さておき、沿岸部を中心に春の嵐。アパートの屋根がはぎ取られたり、鉄の巣箱が人に当たったり。 @七時雨山


  シールドの内側に猛烈な砂埃が舞い込み、
  顎や頬をちりちり刺してくる。

  七時雨一帯に、春の嵐が吹き荒れていた。
  落ち葉の群れを、寄せては引く波のように踊らせ、
  牧野の木立を掴んで離さず、
  丘全体をごうごうと揺さぶる。
  牧草が根付く前の丘には、
  さながら戦場の土煙が立ち、頭上の陽射しを遮る。
  季節の波動を受けて、鉄馬の道は弄ばれる。

  (口下手な大気よ、荒れるがいい)
  幸せが怖くなって、叫びたくなったのか。
  その終焉を思うほどに、乱れ狂いたくなったのか。


4月20日(火)
盛岡で降水量7ミリ。13日ぶりの雨らしい雨。しっとり濡れた桜を11メートルの風が煽る。陽も傾いて青空。 @石割桜(盛岡市)


  朝になっても雨は街を濡らしている。
  
  もう、何十年もそうしてきたように
  プロテクターを着け、合羽を纏い、
  通勤ラッシュにまぎれこむ。
  よどみなく道を繋ぎ、車線を選び、粛々と進み、
  渋滞の最前列に浮上する。
  (さて、今日の行く先は決まっていない)
  信号待ちで、習慣めかせて空を見上げ、
  古びた看板や建物、桜など静かに観察し、
  青信号に反応して走り出す。
  
  あたかも、この街で暮らし続けてきた男を
  演じ装うように、自らの生い立ちを
  狂おしいほどに好きなこの街に探している。
  (もしかしたら、ずっと昔、
  私は、ここで生きていたのかもしれない)

4月19日(月)
花曇りとは、ほど遠い凡庸な曇天。夕刻、おしめりにもならない雨。12日ぶりの雨を祈るばかり。 @高松の池


  スプレー缶のガスを抜く。
  空になったケミカル類を整理する。

  まだ、かすかに残っているからと、
  10年近く捨てずにいたものも多い。
  歳月に見切りをつける道具は単純なもので、
  吸盤を貼り付け、針を押し出し、穴を開ける。
  つめていた息を吐き出し、解放され、ガラガラ騒ぐ。

  猶予を重ねてきたものと決別する朝。
  憂いも何もない眠そうな空だ。
  ついでに私の10年に鋼を立て、貫く。
  かすかな悲鳴の後で、どす黒い記憶が溢れる。
  (それが、どうした)
  ホースを向け4月の水飛沫でさっさと洗い流す。
  (終わったね)と妻を見上げると、
  (ほんとに)と笑った。


4月18日(日)
砂煙もうもう、にじむ汗。なので、春風春陽(?)ということか。雨はまだか、雨は。 @滝沢村のトライアルパーク


  車に愛機を積み込む。
  キュッとタイダウンも決まり走り出す。
  窓からの風がTシャツに心地よい。
  後ろからバイクが覗き込んでいる。
  少し遠回りして道に迷う。春だから、それも良い。
  どんな道や時間も、自分で選んだものなら嬉しい。
  
  ガソリンと食料を調達し、再び走り出すと、
  田園の向こうに雪解けがすすむ岩手山だ。

  心がふるえるほどの幸福。
  (神様は、あの日の君に
  こんな日曜日を用意していてくれたんだね)

  トライアル場には、鬼コーチが待っていて、
  この春、向き合うはずのない岩を越えたりした。
  (あの日の君よ、大丈夫。自分を信じて、跳べ)

4月17日(土)
静岡に真夏日をもたらした大気は、東北をも覆った。ただし強風が、温暖の印象を減衰させたことは確か。 @福島県喜多方市


  雪深い会津に、
  中学・高校の日々はあった。
  春を待つ思いは切ないほどで
  だから、桜の記憶が際立つ町だった。
  蔵だとかラーメンだとか、
  私の青春の視野になかった。

  バイクに乗るようになって、
  喜多方への旅は恒例になった。
  原点を確かめずにはいられない衝動。
  桜の木々に囲まれた学舎だから、
  春になると、そこに満開を求めて走る。

  自動車道も国道も県道も、強風に胸ぐらを掴まれ、
  振り回わされる騒ぎではあったが、
  30数年の歳月を花とともに胸に納めた。
  盛岡だから叶う、日帰りの夢。

4月16日(金)
高気圧の本気が押し寄せて、所によっては夏日寸前。北国の6月をまんま再現して見せた気圧配置。 @松尾村(前森山)


  焼走りから上坊牧野。
  松尾村から安比高原。
  安代町繋沢口から田代平。
  七時雨の残雪を見渡す。

  不思議だ。
  しずかに道を見つめるだけでバイクは走っていく。
  熱をおびた光にとけて、
  金属の質量と慣性に寄り添い
  安らかな呼吸を繰り返すだけで、
  バイクは大地の変化を優しく撫でていく。
  加速や減速とは異なる風。
  持続する一定の移動感。
  実は、オートバイのことは、もう、いいのだ。
  流れ来る春のあまりの美しさに夢中なのだ。
  岩手の一瞬の点景となりたくて、今朝も走る。

  ほら、カーブに吸い込まれていくよ。

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