イワテバイクライフ 2004年5月前半
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明るくなっていく南の空を捨てる。 暗い北の空など、誰も心を向けないはずだから、 きっと、陰気な野山の自由は独り占めだ。 ぱらりぱらりの雨は、 岩手山麓に接近するほどに強まり、 滝沢村の柳沢あたりで、 胸板が水滴で覆われる。 微細な宝石の粒をこぼさないように走る。 悪くない朝だ。 濡れた牧野で野鳥のさえずりに耳を傾ける。 すると、ぱらりぱらりと自動小銃が火を吹き、 やがて、凄まじい銃撃音の束になる。 (射撃訓練だ) 穏やかな大気の皮膜が叩き割られていく。 弾丸が尽きるのを、じっと待つ。 |
二十数年ぶりの電話。 昔の仲間からだった。 自伝を書いているという。 いくら流行とはいえ、その歳で早すぎないか。 いや、早死にしそうだからと大真面目だ。 ならば、遺言のつもりで綴っておけと励ます。 声は浮かない。 書き出してみると、暗い話ばかりだという。 俺と高田馬場でへべれけになった話はどうした。 いや、あんな時代は可愛いもので、 巨悪と闘ってきた日々がメインテーマらしい。 盗聴されていないか、と確かめると、 かもしれない、と笑う。 お前は、岩手くんだりで何をしていると尋ねられ、 まさか、仙人の如く花鳥風月を追いかけているとは こたえにくい。 声をひそめ、俺も、いろいろあったんだよと 呟いておいた。 |
広げた両手を胸の前に送り出せば、 白濁の湯が波打ち、硫黄の匂いがわきたつ。 露天の汗を、眉間に流し、 陽射しを吸った岩の上に座り込む。鶯が鳴く。 目の前には、牧野のなだらかな傾斜が続く。 小岩井の新緑と、南昌山のシルエットが広がる。 見上げれば、太陽に光の輪がかかっている。 何の前触れだ。 地が割れるのか。天が裂けようというのか。 それとも、 失ったものが元通りになるとでもいうのか。 割れて裂けた私の道は、 五月の隙間風を遊ばせ、 口笛を吹く。 |
ディーゼルエンジンの振動は、 四半世紀の運行で角がとれ、 まろやかに五月の昼下がりを揺らす。 窓から吹き込む風は、 どんな南風より心地よい。 差し込む光は、 オイルを吸った板張りの床をあたためる。 バスが好きだ。 古いバスが走るイワテが好きだ。 錆びて、ひび割れ、リベットを打って修繕してきた 満身創痍の箱が走る。 滝沢鵜飼〜国立病院〜県立中央病院〜岩手医大 〜日赤〜友愛病院。 岩手県交通・217系統・病院回り線。 |
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ナンバープレートに続いて、今日、前照灯を外した。 かわりに、ゼッケンプレートを装着した。 あとは、ウインカーを外し、 大型タンクをノーマルに戻せば、戦闘態勢完了、か。 トライアルを始めて7年間、 競技用のオートバイにライトなど保安部品を付けて 練習場に通っていた。 いわゆる「自走」と呼ばれるスタイルは、 運搬用の車(トランスポーター)を迎え、 みるみる変化していく。 工具、燃料、空気入れなどを詰め込んだ デイバッグが背中から消えた。 その数十倍の荷物を車は運んでしまう。 便利ではあるが、一抹の喪失感が漂う。 トライアルで汗を流した後、 私は、夕暮れの山野に移ろう季節を追いかけた。 トライアルバイクの闊達と、背中に踊るバッグが、 たった一人のイワテの手応えだった。 |
野心が歯牙にもかけない男。 (だから、怪我をしない) 保身が鼻もかけない旅。 (だから、詮索されない) 強権が警戒もしない人生。 (だから、潰されない) 狂乱の摩天楼から粛々と離れ、 地平線の彼方で、スキップして手を振り、微笑む。 ここは至福の安全地帯。 イワテバイクライフ。 |
(この山に寄り添って生きていたい) そう願いながら、 山を遠く離れた日々があった。 新聞の片隅、テレビの一瞬に現れる山を 憑かれたように抱きしめた。 そんな歳月を乗り越えて 再び、山に向き合う暮らしを取り戻した。 今朝も、山の構えは、あまりに盤石で、 ささやかな思いを語ったところで、 返ってくるのは、鳥のさえずりばかりだ。 (さあ、思い出話は、おしまいだ) 山は、呟くと、すたすたと夏に向かった。 |
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挨拶のたび、 誰もが冷えた朝のことを言うけれど 和気藹々の風は、今年も変わらない。 イワテにトライアルの春を告げる大会に、 北東北各地から47人の参加は、嬉しく頼もしい。 積み重ねた経験だけが通用する世界。 多くの挑戦者にとってやわらかく輝く木々の葉も、 舞台装置のひとつにすぎない。 けれど、次のセクションのことも忘れ、 吹き渡る五月の風に身を任せていると、 私の紆余曲折は、結局、この日この場所に至る 「夢の途中」だったように思えて仕方がないのです。 |
(あなたの方が上手だから)とおだてられ、 珈琲をいれるのは、おおむね私だ。 お湯さし、蒸らし、泡立て。コップに充たした香り。 (どう?)(うん) はんで押したようなやりとりは、平和の証。 地元紙を丹念に読み込む私に、 (遠く、なのね)と君は尋ねる。 (いや、近くだ) 行き先も決まらない私の返事は、いつもこうだ。 だいいち、明日はトライアルの大会じゃないか。 (無理はしないよ) 大型連休なのに、道はどこもガラ空きだから、 何かに行き当たるまで走っていたら尻屋崎にいた。 往路は、伸ばし切れなかった巻き尺で、 復路は、途中で巻き戻されるドラマ、みたいな。 約束通り、夕飯前の帰還。 だから、彼女は、行き先を尋ねることも忘れている。 |