TOP

イワテバイクライフ 2004年5月前半


5月15日(土)
澄んだ青空は、午前中に白濁し、風景から陰影を奪い、生あたたかい風が吹くばかり。 @八幡平(樹海ライン)からのぞむ岩手山


  八幡平の雪は、とけたはずだ。
  仕事の前に確認しておきたくなる。
  
  見慣れた風景や、馴染んだ地形の変化は
  それを思うだけで、季節の感触までよみがえる。
  あとは、現実の風を浴びて、  
  思い描いた通りの道を辿るばかりだ。
  そんなことで、人の気持ちは落ち着くものだ。

  ところが、今朝は、少し勝手が違った。 
  頂上へ通じるアスピーテランが、
  土砂崩れで通行止めになっていた。
  樹海ラインに迂回する。
  おかげで、いつもと違う光線、違う視界。
  岩手山麓を這い上がる緑の、なんという濃密。

  またひとつ、岩手の初夏を胸にしまい、
  山をおりる。


5月14日(金)
朝方、岩手山麓の空が暗い。滝沢村の柳沢で小雨に濡れる。が、みるみる空は開け、乾いた陽射しと青空。 @盛岡市近郊


  明るくなっていく南の空を捨てる。
  暗い北の空など、誰も心を向けないはずだから、
  きっと、陰気な野山の自由は独り占めだ。

  ぱらりぱらりの雨は、
  岩手山麓に接近するほどに強まり、
  滝沢村の柳沢あたりで、
  胸板が水滴で覆われる。
  微細な宝石の粒をこぼさないように走る。
  悪くない朝だ。

  濡れた牧野で野鳥のさえずりに耳を傾ける。
  すると、ぱらりぱらりと自動小銃が火を吹き、
  やがて、凄まじい銃撃音の束になる。
  (射撃訓練だ)
  穏やかな大気の皮膜が叩き割られていく。

  弾丸が尽きるのを、じっと待つ。

5月13日(木)
人の嗅覚を試すような朝の曇天。持つか持つまいか迷って携帯した傘が嬉しい夕方の雨。田植えの進む水田を潤す。 @盛岡市手代森の林檎畑


  二十数年ぶりの電話。
  昔の仲間からだった。
  自伝を書いているという。
  いくら流行とはいえ、その歳で早すぎないか。
  いや、早死にしそうだからと大真面目だ。
  ならば、遺言のつもりで綴っておけと励ます。
  声は浮かない。
  書き出してみると、暗い話ばかりだという。
  俺と高田馬場でへべれけになった話はどうした。
  いや、あんな時代は可愛いもので、
  巨悪と闘ってきた日々がメインテーマらしい。
  盗聴されていないか、と確かめると、
  かもしれない、と笑う。
  お前は、岩手くんだりで何をしていると尋ねられ、
  まさか、仙人の如く花鳥風月を追いかけているとは
  こたえにくい。
  声をひそめ、俺も、いろいろあったんだよと
  呟いておいた。

5月12日(水)
昼前、雨上がりでもないのに虹。太陽と薄雲が醸し出すプリズム現象。どんな前触れか知らないが、光も風も柔らかく。 @雫石町網張


  広げた両手を胸の前に送り出せば、
  白濁の湯が波打ち、硫黄の匂いがわきたつ。
  
  露天の汗を、眉間に流し、
  陽射しを吸った岩の上に座り込む。鶯が鳴く。
  
  目の前には、牧野のなだらかな傾斜が続く。
  小岩井の新緑と、南昌山のシルエットが広がる。
  
  見上げれば、太陽に光の輪がかかっている。
  何の前触れだ。
  地が割れるのか。天が裂けようというのか。
  それとも、
  失ったものが元通りになるとでもいうのか。
  
  割れて裂けた私の道は、
  五月の隙間風を遊ばせ、
  口笛を吹く。
  

5月11日(火)
雨は、いずれ止むものだけれど、今朝の雨上がりは、白黒、雲の混在で、もめた様子。つくろうように強い陽射し。 @盛岡市内


  ディーゼルエンジンの振動は、
  四半世紀の運行で角がとれ、
  まろやかに五月の昼下がりを揺らす。

  窓から吹き込む風は、
  どんな南風より心地よい。
  差し込む光は、
  オイルを吸った板張りの床をあたためる。

  バスが好きだ。
  古いバスが走るイワテが好きだ。

  錆びて、ひび割れ、リベットを打って修繕してきた
  満身創痍の箱が走る。
 
  滝沢鵜飼〜国立病院〜県立中央病院〜岩手医大
  〜日赤〜友愛病院。
  岩手県交通・217系統・病院回り線。

  

5月10日(月)
終日の雨は、回復とか光とか、一切の希望を遮断して、とりあえず、働いたり暮らしたりせよと、諭してくるばかり。 @盛岡市近郊


  花だ緑だと、浮かれた気分を
  終日雨が洗い流す。

  梅雨を思わせる明度の中で、
  ひとつの時代に向き合う。
  
  歳月という言葉すら、すでに無力で、
  見事に古びた骨格と地肌、
  光に頼らないものの質感、
  人の営みを受け止める構え、
  そぼふる雨の朝も迎え入れる懐。
  私が、岩手に出会い、離れ、戻るまでの時間など、
  なまあたたかい暗がりにあっては、
  牛馬のくしゃみ程のものだったに違いない。
  
  どんな時代の波が押し寄せようと、
  身じろぎもしなかったその様を思う。
  待つのではなく、求めるのではなく、
  ただ在り続けること。全うする力を教えられる。


5月9日(日)
遠のく高気圧の余韻が、けだるい曇天をもたらし、雨の到来にはほど遠く、土煙と汗。 @滝沢村のトライアルパーク


  ナンバープレートに続いて、今日、前照灯を外した。
  かわりに、ゼッケンプレートを装着した。
  あとは、ウインカーを外し、
  大型タンクをノーマルに戻せば、戦闘態勢完了、か。

  トライアルを始めて7年間、
  競技用のオートバイにライトなど保安部品を付けて
  練習場に通っていた。
  いわゆる「自走」と呼ばれるスタイルは、
  運搬用の車(トランスポーター)を迎え、
  みるみる変化していく。
  工具、燃料、空気入れなどを詰め込んだ
  デイバッグが背中から消えた。
  その数十倍の荷物を車は運んでしまう。
  便利ではあるが、一抹の喪失感が漂う。
  トライアルで汗を流した後、
  私は、夕暮れの山野に移ろう季節を追いかけた。
  トライアルバイクの闊達と、背中に踊るバッグが、
  たった一人のイワテの手応えだった。
  

5月8日(土)
走っても走っても、道路の気温表示は20度を越えている。眩しく白濁する空は、残雪すら夏へ追い立てる。 @栗駒山麓(岩手県南部)


  野心が歯牙にもかけない男。
  (だから、怪我をしない)
  
  保身が鼻もかけない旅。
  (だから、詮索されない)
  
  強権が警戒もしない人生。
  (だから、潰されない)

  狂乱の摩天楼から粛々と離れ、
  地平線の彼方で、スキップして手を振り、微笑む。

  ここは至福の安全地帯。
  イワテバイクライフ。

5月7日(金)
「快晴」かもしれない。でも、出過ぎた陽射しが遠望を白く霞ませるなど、上出来とは言い切れない晴天。何より強風。 @岩手山麓


  (この山に寄り添って生きていたい)
  そう願いながら、
  山を遠く離れた日々があった。
  新聞の片隅、テレビの一瞬に現れる山を
  憑かれたように抱きしめた。
  
  そんな歳月を乗り越えて
  再び、山に向き合う暮らしを取り戻した。

  今朝も、山の構えは、あまりに盤石で、
  ささやかな思いを語ったところで、
  返ってくるのは、鳥のさえずりばかりだ。
  
  (さあ、思い出話は、おしまいだ)
  山は、呟くと、すたすたと夏に向かった。
  
  

5月6日(木)
立夏の翌日だから「初夏」というべきところだが、実は、透明な早朝の陰影に「初秋」が漂った北国。  @雫石町


  夢を見た。
  猛烈な銃撃戦に巻き込まれた。
  機関銃弾は、壁を砕きながら近付き、
  私の胸板を貫いていく。
  けれど、それは現実のことには思えず
  吹き出る鮮血を見つめるばかりだ。
  ドアを蹴破って兵士が飛び込んでくる。
  観念し目を閉じかけると、虫の息の黒人牧師が、
  私に歌えと言う。助かるかもしれないと言う。
  私は、渾身の力をこめ、魂について歌い始める。
  すると私の心が共鳴体となってうなりをあげた。
  
  何かを叫んだような気がして、目が覚めた。

  結局、助かったのかどうか、わからない。
  窓にのぞく空は、おそろしいほどに澄んでいた。
  もしかしたら、この地は、
  夢の中で息絶えた私を迎えてくれる天国なのか。 


5月2日(日)
朝、祭り前夜の宴の記憶を遠ざける冷えこみ、のち、砂煙舞う真昼のセクションに汗。 @岩手県滝沢村


  挨拶のたび、
  誰もが冷えた朝のことを言うけれど
  和気藹々の風は、今年も変わらない。

  イワテにトライアルの春を告げる大会に、
  北東北各地から47人の参加は、嬉しく頼もしい。

  積み重ねた経験だけが通用する世界。
  多くの挑戦者にとってやわらかく輝く木々の葉も、
  舞台装置のひとつにすぎない。
  
  けれど、次のセクションのことも忘れ、
  吹き渡る五月の風に身を任せていると、
  私の紆余曲折は、結局、この日この場所に至る
  「夢の途中」だったように思えて仕方がないのです。
  

5月1日(土)
およそ青空の気配も無い朝。鉛色の空に別れを告げて北へ向かうほどに、大気は冷えて澄んでいく。 @尻屋崎(青森県下北半島)


  (あなたの方が上手だから)とおだてられ、
  珈琲をいれるのは、おおむね私だ。
  お湯さし、蒸らし、泡立て。コップに充たした香り。
  (どう?)(うん)
  はんで押したようなやりとりは、平和の証。
  地元紙を丹念に読み込む私に、
  (遠く、なのね)と君は尋ねる。
  (いや、近くだ)
  行き先も決まらない私の返事は、いつもこうだ。
  だいいち、明日はトライアルの大会じゃないか。
  (無理はしないよ)
  
  大型連休なのに、道はどこもガラ空きだから、
  何かに行き当たるまで走っていたら尻屋崎にいた。
  往路は、伸ばし切れなかった巻き尺で、
  復路は、途中で巻き戻されるドラマ、みたいな。
  約束通り、夕飯前の帰還。
  だから、彼女は、行き先を尋ねることも忘れている。  

戻 る