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イワテバイクライフ 2004年5月後半


5月31日(月)
朝方、窓に吹き付ける雨は、昼前にあがり、夕刻、青空さえのぞいたのだが、天気回復の足取りは、ゆっくり。 @滝沢村


  厳しい気候にひるまず、けれど、抗わず、
  もの静かに暮らしを整え、
  確かに生きてきた人々の佇まいは、端正だ。
  

5月30日(日)
天気予報以上の青空や陽射しはあった。なにより忘れていた湿度があった。動くほどに真剣になるほどに、曇っていく気力。 @滝沢村


  ささやかなハードルだけれど、
  バンビのように、
  たおやかに、そっと越えていきたいよ。
  
  だから、いつまでたっても、
  僕は、立ち往生さ。

5月29日(土)
朝方、窓に吹き付ける雨は、小止みとなって、けれど、けして晴れ間を許さず、夕刻「つまり梅雨が近い」と告げている。 @岩洞湖


  雨雲がね、ざっ、と来た。
  あたり一面、ダークグレーの絵の具に染まった。
  光という光は吸い取られて、
  風景が目を閉じていくよ。
  
  雨は、みるみる湖を深くする。
  君の落胆や僕の失望が
  浮いては沈み、溺れていく。

  のこされた僕は、
  したたる雨滴をなめ、
  新緑の青臭さを食い、
  道を渡りきれなかった亡骸をかすめて
  コーナーに切れ込んでいく。
  
  洗われたセンターラインが流れ、
  呼吸のリズムを取り戻せば、
  里の風に、骨を焼く匂いがまじる。
 

5月28日(金)
岩泉で県内初の真夏日。内陸は、曇りながらも、北国の乾いた風。夕刻、盛岡で小雨。 @北上高地


  早坂高原からの帰り道。
  国道455号線の外山。
  サイレンが飛んでくる。
  パトカー2台の大慌て。
  (何かあったのか)
  続いて救急車の本気。
  (事故だ)
  更にパトカー、救助工作車、パトカー、救急車。
  (大きな事故だ)

  ミラーの中に、流れ去った道を思う。
  (私の最後も、サイレンは鳴り響くのか)
  撮った写真が遺影に見えてきた。


  玉山村・藪川で正面衝突、お年寄り一人死亡。
合掌

5月27日(木)
二日続きの夏日。空も疲労気味で不透明な皮膜が陽射しを濁らせる。 @北上高地


  今朝も山の中。真新しい林道だ。

  山腹を切り崩したばかりの道は、
  雨を吸って軟弱で、重機の轍に
  落石が加わり、うねりにうねる。
  さながらエンデューロコースだ。
  吠える愛機は、猟犬の執拗さで
  行く手に噛みつき、這い上がる。
  泥の急勾配で空転、失速、停止。

  荒れた呼吸の中に聞こえるのは
  樹林のざわめきや小鳥の鳴き声。

  山を下り、沢の水で泥を落とす。


5月26日(水)
盛岡でも夏日。屈託の無い陽射し。夕暮れ空は僅かに霞んで爽やか。1年前の18:24、震度6弱の地震。 @玉山村


  御大堂山麓の林道へ急ぐ。

  ハイオクガソリンを満たしたタンクは、
  カーブでゆらりと倒れたがる。
  リーンアウトのまま燃費を暗算する。
  幾度、演算してもリッター13kmと少しだ。
  今朝、走り切れる距離が見えてくる。
  背中に揺れる予備燃料の重さは、
  私をバランスさせるものの一部であり、
  空にしたとたん、航続距離は伸びても、
  不安だらけの道程になりそうだ。

  どこまでも走れない。いつかきっと止まる。
  だから、道の選択ひとつ、
  スロットルの開度ひとつ、考える。
  
  今朝も、タンクひとつ分の時を愛おしむ。

5月25日(火)
朝方の頑なな曇天は、昼過ぎに陽射しを許し、夕刻、さわやかな晴れ間、岩手山のシルエット、ひんやりと。 @盛岡市新庄


  岩手に出会ってから、無常の風が身にしみる。
  
  人は、それぞれ、
  あるべき風景を心に持っている。
  
  岩山へ向かう私にとって、
  急勾配の坂の左手には
  橋本美術館がなければならない。
  それが、私の盛岡なのだ。

  岩手の自然を愛した画家・橋本八百二が
  自らの手でつくりあげた美術館は、
  3年前、その歴史に終止符を打った。
  建物はそのままに、明日、
  漆芸美術館として生まれ変わろうとしている。

  おそらく、そこにさしかかる度、
  私は、心の目を伏せ、足早に過ぎるのだろう。


5月24日(月)
朝の曇天は、みるみる夏空にとって代わられ、眩しく爽やか。と、間もなく雲は戻って、宵闇の小雨。 @北上高地


  雲が払われ、行く手に陽が射していく。
  高原の冷えた朝は、にわかに解凍されず、
  風は、ひんやり、さらり、吹き抜ける。
  樹林にのぞく青空には
  夏雲が白くわきたっている。
  
  そんな大気を吸ってエンジンは
  すこぶる軽く乾いて弾ける。
  (どんぴしゃり)というやつだ。
  
  林道に連続する水溜まりを、
  浮かせたフロントがかすめていく。
  じゃっ、と後輪が飛沫を上げる。

  突き進む一途に待ったをかけ、小休止。
  少し濡れたブーツで笹藪に分け入る。
  間近く、カッコーが、全力で鳴いている。


5月23日(日)
よどんだ朝の雲は、気圧配置の後ろ盾を受けた陽射しに払われ、大地は、いきなりの厚化粧を強要された。 @雫石町


  堆肥を含んだ黒土の丘が
  初夏の陽射しを受け、白く呼吸し、けむっている。
  振り向けば、牧草が丘一面を占領し勝鬨をあげる。
  あたり一帯の興奮のただ中で
  何か言いかけると、肩を掴む手があった。
  (そこまでだ)
  
  新聞のコラムで私憤をはらす匿名や、
  世間の鈍感を呪う文学趣味の日記を思い出せ。
  綴ったところで、語ったところで、
  世界は何食わぬ顔で回り続けるだけだ。
  
  (やめておけ)
  ぽんと肩を叩いて、その手は離れた。

  なんだか、とても心が軽くなって
  上機嫌で風を浴び続けた。
  

5月22日(土)
台風一過のイメージなど微塵も寄せ付けない曇天と水滴。それに、夕刻の106号線で気温表示7度。 @宮守村(寺沢高原)


  力もなく、重さもないバイクだから、
  行ける所がある。
  心の軽さがある。

  排気量の小さなバイク6台が集まった。
  宮守村の寺沢高原。
  遠野市の荒川高原。
  風は、予想通り、どこも冷えていた。
  予想外のルート変更も度々だった。
  そんな時間を僕らは楽しんだ。
  
  同じ道を、同じ速度で走る。
  でも、君の道と僕の道は違う。
  一人になれば歩調も違う。
  だから、停まったとたん、
  みんな思い思い、なんだね。
  楽しいな。

5月21日(金)
眠りを破るほどの足音ではなかった。早々に雨は止み、特段の被害も残さず台風は去った。 @盛岡市(映画館通り


  夕べテレビの中で、
  信号が無意味に点滅していた。
  街路樹が踊り狂っていていた。
  誰かが波打ち際で叫んでいた。

  台風の進路は、手榴弾。
  ピンを抜かれた手榴弾。
  転がり込んだら一目散。
  足を踏ん張れ、マイクを離すな、
  波濤を睨め、風を伝えろ、雨を語れ。

  列島かすめてタイフーン。
  (さいわい台風2号は温帯低気圧になった)
  浸からず、流されず、飛ばされず、
  私の今宵を確保した。
  


5月20日(木)
曇天の予報に反して薄日が持続した。台風がもたらす南風で、蒸し暑さすら漂った昼下がり。 @玉山村


  景色が流れる。
  季節が流れる。
  
  けれど、流れているのは私で
  何百年という人の営みや
  咲いては散った花の屍は、
  この地から出たことはない。

  何故か、とても心が動いて
  今朝、ここに風を止めた。

  幾重にも折り重なった歳月の下に
  ずっと昔、この地に暮らしていた
  私の骸(むくろ)が眠っているかもしれない。

  こみあげるものを抱きしめ、
  (そうかもしれない)と呟いた。
  

5月19日(水)
青空こそなかったが、光はあった。わき立つ雲はなかったが、柔和な風があった。 @葛巻町


  見渡す限りの山野に、
  これから色を濃くする緑がひしめいていた。
  
  彼方からパステルカラーの蜜が匂う。
  ひとつシフトダウンして花の在処へ加速すれば、
  2サイクルオイルの白煙が散って、風に運ばれる。
  
  野太い咆哮は視界を震わせ、砂利を蹴立てる。
  蜜蜂となって、牧野を越え、風車にとまり、
  そのように、イワテの五月を探す。
  
  たらふくの幸福を、
  さて、どこに持ち帰るというのだ。

5月18日(火)
意固地な曇天は、天気予報通りの青空を許さず、制空権を譲らず、我を通した満足からか、夕空は、ほのぼの。 @盛岡市(根田茂川)


  国道4号線を離れ、岩山へ走ると、
  新緑に包まれた裏道は続き、
  競馬場を経由して国道106号線に合流した。
  区界方面に少し走ったところで、
  閉伊川を渡り、盛岡市根田茂の里山を楽しむ。
  水鏡に足を沈め、田植えする姿が美しい。
  砂小沢から大迫へ通じる道(長野峠)は、
  5月26日まで通行止めだった。
  仕方なく、紫波へ下り、396号線に合流。
  
  時速30km/hの散策に、
  呼び止められる瞬間は無数にあった。
  庭先に清流を見下ろす農家。
  裏山に続く清楚な小砂利道。
  緑の濃淡を豊かに重ねる丘。
  
  先を急ぐほどに、見落とすものも増えていく。
  見落としたものにこだわる心が新たな旅を誘う。
  

5月17日(月)
きらめく新緑の季節は終わる、梅雨にそなえろと、雨は降る。盛岡では1週間ぶりに10ミリ以上の雨量。 滝沢村


  濡れた土は
  油絵の具となって
  ブーツを迷彩色にする。

  濡れた村は、
  さながら戦場で
  物陰にひそむ目を感じたりする。

  濡れた私は、
  泥の重さを引きづり、
  斥候のように息を詰め、
  初めての道に分け入る。


5月16日(日)
精密な天気予報が存在するとすれば、前日の予報は、それだった。昼過ぎから夕方にかけて小雨。 @滝沢村のトライアルパーク


  夕べは、結局、1時半まで酔って歌っていた。
  その店は、映画館通りのビルにあり、
  まだ、あるはずだ、ぐらいの気分で
  なだれこんだ。
  変わった事と言えば、
  照明が明くなり、ママが若返ったくらいで、
  仲間とテーブル囲んで盛り上がった。

  脇にガランとしたカウンターは、
  あの夜のままで、
  誰かが飲み残した水割りが
  カラオケのエコーにふるえている。

  ずっと昔、そこに座って、
  何かを諦めようとした夜があった。
  夢を叩き割るような夜だった。

  見て見ぬふりをして、あの日と同じ歌を歌った。

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