イワテバイクライフ 2004年7月前半
7月15日(木) 梅雨空継続。ただ、雨らしい雨もなく、かすかに雲の切れ間など見え隠れした。高校野球岩手大会開幕。 @玉山村(姫神山) |
風邪薬を止めた。 とたんに外界と私を分ける皮膜が蘇生した。 風を浴びることの爽快や疲労すらリアルだ。 いつもの田舎道を流していると、 ヘルメットの中で弦楽器がざわめく。 混声合唱が幾重にも湧き上がる。 一定の周波数が走行風にシンクロし持続する。 なるほど、2004年7月15日の朝に違いない。 今朝、私は確かに走り、イワテは存在するのだ。 だから、光の薄い凡庸な道ではあるが、 体の軸を立て、呼吸を整え、 まなざしに力を込めて進む。 二度とないこの朝を 恥じることのない記憶にできるのは、 今朝の私だけなのだから。 走行風は、やがて神聖な旋律に移ろう。 |
7月14日(水) 県南部を中心に梅雨末期の雨。落雷で小屋半焼。夕刻、盛岡に晴れ間戻り、切れ切れの雲、宝石の如し。 @盛岡市厨川 |
日本が、まだ、 国の形を求めて闘っていた時代。 どんな分野にも、 官吏の思い詰めた顔があった。 とりわけ、北国・南部の先頭に立つ人々は、 覚悟と誇りに満ち、 使命に邁進していたに違いない。 当時の面影を残す建造物は、 イワテに多く存在し、 しかも、未だ、引退の意志すら表明しない。 かくしゃくたる明治や大正が、 平成の雨に濡れている。 |
7月13日(火) 陽射し無く、気温は五月下旬並。終日、走行風に水滴がまじる。油断ならない梅雨前線。 @滝沢村 |
築130年の南部曲り屋が、 廃屋となり、潰される運命にあった。 民俗的財産のあまりに悲しい末路だった。 歳月が刻まれた梁(はり)に向き合い、 老練の建築家が、動いた。 柱一本一本に解体し、滝沢村に移築した。 古い時代を忠実に再現するのではなく、 建築家夫婦の終の棲家として 現代的機能を備えた住宅が誕生した。 親子四代で家造りに向き合う人々と囲炉裏を囲む。 話題は岩手の自然で盛り上がる。 四代目が、静かにオートバイを語り出す。 炭火が、ぽっと明るくなった気がした。 バイクと暮らす曲り屋をイワテに建てた話をした。 濁酒も飲まないのに、初対面の僕らは 炉端で酔って話し出した。 |
7月12日(月) 曇り時々小雨、総じて梅雨寒。その一方で、関東からは梅雨明けカウントダウンのニュースなど伝わる。 @滝沢村 |
夏風邪をこじらせてから、 もう2週間が経とうとしている。 その間に面倒な仕事を抱え込み、 薬漬けで、だましだまし乗り切った。 束の間解放された朝だ。 3時間足らずの仮眠などもどかしく走り出す。 でもね、風が匂わない、道が踊らない。 行けども行けども舗装された虚脱感ばかりだ。 風の中に現れるイワテは、つまり、私の心だから、 小雨に濡れて微熱をおびた空咳と走り続けたら、 イワテにいることが、何か、ひどく さみしく思えてくる。 だから、もう帰ろう。 私が命に満たされる日まで、もう少し休もう。 |
7月4日(日) 晴れのち曇り。そして清明な夕暮れ。風邪の床から見えた範囲ではあるが。 |
激しい咳は夜通しで、 生きている感覚さえ麻痺してくる。 夜明け。 横になって仕打ちを受けるよりはと、 居間に出て所在なくアルバムの整理。 生まれたばかりの子供を見るうち、 何と俺は馬鹿な父親だったのかと思う。 お前達を抱く男は、 仕事で頭がいっぱいで、ひどく不機嫌で、 幼子を浜辺や野原に置き去りにしそうな 顔つきじゃないか。 (嗚呼、すまなかったなあ。ごめんなあ) 夕刻、咳き込みながら軒先で洗車。 たったそれだけで消耗。 |
7月3日(土) 快晴、炎天、ただ、まぶしく家から眺めただけ。 梅雨明けは意外に早いか、と何ら根拠のない期待。 |
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7月2日(金) 盛岡は、岩手一番の暑さ。本当か?と疑う根拠は、つくろいようもない秋雲。 @玉山村 |
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7月1日(木) 清楚な朝は「初秋」という呟きを誘うほどに澄んではかなかった。だから岩手山山頂に浄土の展望が降臨した。 @滝沢村 |
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