イワテバイクライフ 2004年10月前半
10月15日(金)
快晴の予報にすがりついた身に、午前中の空を覆う雲は狼狽そのもの。結局のハッピーエンド。 @八幡平・樹海ライン
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一番きれいに紅葉したのは誰? 木々の葉は口々に言いました。 一等賞を決めてくれるのは誰? 森全体、誰だ誰だと騒ぎます。 「それはね」と声がしました。 赤く染まったお山の声でした。 決めて欲しければ街へお行き。 金銀胴だよ。一等二等三等賞。 入選、佳作、努力賞に最優秀。 手慣れた調子で決めてくれる。 いかめしい顔で決めてくれる。 どんなに合点がいかなくても けして、意見などしないこと。 焚火にくべられてしまうから。 |
10月14日(木)
雲の影なし。したがって放射冷却。区界、藪川では氷点下の朝。透明な秋空の中で部分日食のドラマ。 @八幡平
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繊細にして剛胆な油彩画に向き合っていると 小柄な年配の御婦人が笑顔で歩み寄る。 「ああ、お母さんですか」 プラザおでって2階のギャラリーで 平野諒(ひらのりょう)さんの油彩展が 初日(〜17日)を迎えた。 平野さんは、一戸町在住。 ライダー仲間・クマゴロウ氏のお母様である。 趣味とはいえ、絵筆をはなす日はない諒さんの 情熱が額縁の中に溢れている。 すべての絵が別人の作品のようだ。 「ひとつのスタイルにかたまりたくないんですね」 「母の挑戦です」と息子が解説する。 しばし八幡平の紅葉を忘れさせる色彩だった。 |
10月13日(水)
天気図の上では大陸の高気圧の到着は時間の問題で、薄日すら漏らす曇り空の温厚。 @盛岡市
タイヤ交換の日は、 曇っていなくてはいけない。 晴れていたら、 交換している時間に身をよじる。 雨が降っていたら、 滑る新品タイヤが余計に滑る。 だから、粛々と履き替え、 面白くもおかしくもない道と空のもと、 さっさとタイヤを慣らし、 未練なく走り終えるのがお決まりだった。 ところが、どうだ、 ミシュランAnakeeは、帰らせてくれないのだ。 |
10月12日(火)
薄日など射し、一関、岩泉では夏日寸前まで気温が上がったが、所詮、秋空のお愛想だった。 @盛岡市近郊
うまい酒のためなら、三日ぐらい我慢する。 暗黒の時代を葬るためなら、百年でも待つ。 この大地で無邪気に遊んでいられるのなら、 三日も、百年も、まことに心静かなものだ。 そして、また、何と申し上げてよいものか、 今朝のこの空のために、待ち続けた歳月を 忘れても良いと思えてしまう私なのでした。 |
10月11日(月)
空に落胆を運んで来るのは台風だけではない、これ以上の落胆を避けて、ことさらに荒波に向き合った。 @陸中海岸
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水平線は幾重にも盛り上がり、 波濤は白く防波堤に砕け、 飛沫が吹き付ける。 海水に濡れた軽四輪が停まり、 深い皺をたたえた老人が歩み寄る。 「波、荒いですね」 居場所をこう挨拶に、 海の男はニヤリとして彼方を眺めた。 「台風崩れの波だ」 (たいふうくずれ) 見渡す限りの海と空に向き合う人生に しみついた言葉のひとつ。 (たいふうくずれ) 家路を染める夕闇の中で反芻する。 |
10月10日(日)
台風22号は、太平洋へ遠ざかっていくのに、釈然としない霧雨が、終日イーハトーブを濡らした。 @安代町(秋トライアル)
恒例の「秋トライアル」に参加した。 台風に関わって睡眠時間3時間など、 まあ、よしとする。 台風の置土産で滑る黒土など、 これも、まあ、よしとしよう。 競技区間すら抜け出せない事態が5回、 これすら、実力と、納得しよう。 だが、最終の第18セクション寸前に エンジンがかからないっつ〜のは、困る。 (ぜんぶ私の責任ですが・・・) 火事場のなんとやらでタンクを外しプラグを交換。 その間にも仲間のトライが進行していく。 DNF「初のドント・フィニッシュ」の文字が浮かぶ。 手が振るえ、ナットがこぼれる。 セクションに最後の一人として 倒れ込むように入り、再び、5点(減点)を喰らう。 でもね、バイーンとエンジンが目覚めてくれたから、 気分はクリーン、ということにしておこう。 |
10月9日(土)
覚悟していた大雨と強風とはほど遠い小雨模様。台風22号は、微妙にスライスして太平洋へ。 @盛岡市南津志田
10月のイーハトーブを満喫する オートバイトライアル大会「秋トライアル」を 前日に控えて、あろうことか、 台風22号が向かって来る。 休日返上で嵐に備える一日。 それでも、出勤前の僅かな時間をぬって 師匠の店に愛機を持ち込み 点検・調整を受ける。 寡黙な職人芸を見守るだけで しばらく台風のことは忘れていられた。 |
10月8日(金)
最強と噂される台風22号は、ぴたり岩手に向かっている。それでも、日中は望外の陽射しなどこぼれた。 @国見温泉へ
秋田県境の紅葉は、 まだまだ先のことのようで、 さっさと散策など放り出し、 国見温泉に飛び込んだ。 新装なった石塚旅館の内湯に 浸かっていたら、 地元の方々に声をかけていただき、 裸の付き合いが始まる。 エメラルドグリーンの湯は 秋も深まり、刺すような熱さは薄れ、 長湯を誘う。 帰路の風に濃厚な硫黄の香りがまじる。 |
10月7日(木)
束の間の秋晴れ。玉山村の藪川で、最低気温が0度8分。いよいよだ、秋の鋭利を研ぎ澄ます季節は。 @葛巻町(袖山高原)
澄んだ光の中に、私を呼ぶ声がする。 「やあ、久し振り」 私は、ソファーから飛び上がった。 あの日、上司のあなたは言った。 「お前さん、絵は得意かい?」 (はい、芸大は落とされましたが) 「上等だ」 その日から、美術館巡りの仕事が始まった。 心の爆心地に緑が芽生えていくのがわかった。 あれから8年。 「そうか、盛岡に家を建てたか」 すべてを了解した声が、うれしかった。 恩人の立ち姿は、 別人のようにやわらかかった。 |
10月6日(水)
コールタールのような曇天は、小雨すら匂わせ人を嘆かせておいて、日が傾く頃、どんでん返しの青空。 @岩手山麓
森を抜けると、そこに出た。 濡れた緑が、ぽっかりと広がる。 エンジンを止め、バイクから降りる。 冷えた湖水を見渡すように、 肺の奥から微熱めいた息を吐く。 そっと、ハンドルを押して 空間のふちに佇ませてもらい、 私の今朝を眺める。 背後の森から、この場を拓いた老人の手が 肩に乗ったような気がして、振り返る。 幾度も振り返りながら、 あたかも、鎮静剤を打つようにシャッターを切る。 (もう少し、もうしばらく) 祈るような思いで静寂をかき集める。 |
10月5日(火)
冷えて光の無い一日も、秋の葉の色付きを促したに違いない。夕刻降り出した雨など、なおさら。 @盛岡市(喫茶「深草」)
「何か捨てましたね?」 男は執拗だ。 「何と引き換えに捨てたんですか?」 その目は、 単純な詐欺に遭った被害者に向けるような、 苛立ちをあらわにする。 「まさか、理想郷とやらと交換ですか?」 何故もっと早く相談してくれなかったのかと 大声を上げようとして、 男は、周囲の視線に気付いて、黙る。 (いいんだよ。もう、充分だから) 私の独り言を待っていたかのように 男は刺した。 「そういうのをね、自傷行為っていうんですよ」 私は、困ったように微笑み、席を立った。 |
10月4日(月)
俳句歳時記など寝床で開き、秋霖だとか秋寒だとか、納得しようとしても、所詮、陰鬱な悪天候のひとつ。 @玉山村(天峰山)
霧が払われるほど見えてくる。 友達の友達は、なぜか友達で、 恩人の友達は、やはり恩人で、 仇の友は、すなわち仇らしい。 誰が決めたことか知らないが、 どうやらそういうことらしい。 未だ、会ったこともない友人、 未だ、頼ったこともない恩人、 未だ、争ったこともない仇敵。 (君が選んだ楽園の仕組みさ) イワテは霧の中で笑うばかりだ。 |
10月3日(日)
冷たい秋雨にことさらの思いは無いが、重く黒く濡れる岩手は、北欧の大気に酷似している。 @岩手山林道付近
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中国製の828円。 ホーマックでレインパンツを買った。 13年間使ったフィンランド製のお気に入りが、 トライアルの激戦の末、逝ったから、 とりあえず今日をしのぐ。 びたびたと冷えた雨だ。 一瞬、大気が切り裂かれ、 何かが頭上をかすめた。 すぐさま次の一撃。 圧縮されたものが放たれる乾いた波動。 わずかな間をおいて、 鈍器で打たれる大地の呻き。 岩手山麓、砲撃訓練の午後 進むか引き返すか、ぼんやり考える。 |
10月2日(土)
湿ったグレーの朝を抜け出したつもりが、森に入る頃には、深い霧が待っていて、濡れ鼠、泥団子。 @北上高地
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雨の中で満たすハイオクガソリンは、 薄めすぎたバーボンのように頼りない。 霧を突っ切り、高度を上げるほどに、 秋霖は咆哮を湿らせ、 落ち葉のグロテスクがからみつく。 記憶にある道を辿っていくと、 山は、腹に落としきれなかった嵐の雨を 無造作に吐き、行く手をえぐる。 おびただしい熊笹の中で ルートを外れたことに気付き、立ち往生。 しのび寄る眼差しに囲まれた気がして スロットルを煽り、 一人、獣となって叫び続ける。 |
10月1日(金)
台風21号の置土産は、銭湯の富士の如き岩手山と、河川敷を飲み込んで濁流となった北上川など。 @岩手山麓
本日未明、 姫神の星吉昭(ほしよしあき)さんが お亡くなりになりました。 私が盛岡に赴任して 最初にお話をうかがった方が、星さんでした。 田瀬湖のほとりのスタジオでした。 平成8年6月。 ふと会話が途切れて視線を移した 窓外に新緑が踊っていました。 その夏、宮澤賢治の「永訣の朝」を 星さんの作品「東日流(つがる)」に乗せて 深夜のラジオで朗読させていただきました。 寂寥と熱い涙が 押し寄せてきたことを覚えています。 享年58歳。 ご冥福をお祈りします。 |