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イワテバイクライフ 2005年2月後半


2月28日(月)
盛岡では真冬日、午後の雪に見舞われたが、先週末の寒気に慣れた体には、街の空気はやわらかい。 @玉山村


  そこまで気持ちを転がしてみると、
  待っていたのは、
  意外にも冬景色ではなかった。

  消えていく雪の、
  すべてを心得た温厚な起伏だった。

  春めいた光を吸って、
  なまあたたかい質量さえたたえ、
  もはや、風などに微動だもせず、
  けれど、刻々と崩れ、
  余命を告げられた裸婦のように横たわる。

2月27日(日)
盛岡で氷点下11度など、北国の冬のラストスパート。けれど、日の長さには抗えない。 @盛岡市

  この街に暮らし始めた物語が、
  不意に氷解し、溺れそうな気がして
  歳月を刻んだものにすがりつく。
  すると、飛んで来る来る、飛んで来る。
  僕の胸板めがけて飛んで来る。
  どすんと体当たりして突き刺さる。
  心を決めたあの日の僕を
  もんどり打って受け止め抱きしめる。
  涙が溢れてとめどなく、
  僕らは心が燃え尽きるまで号泣する。
  今朝の街も人も思いも言葉も
  やがて時の彼方へ飛び去ることを
  知っているから。
撮影現場は二輪はもとより原動機付き自転車の駐車・停車に問題がないことを東署に確認済みです。


2月26日(土)
寒気団に占拠され、青空は雪雲に包囲され、風は針となって刺さり、夕闇は、すなわち氷の世界。 @岩手山麓(西根町)

  岩手山東麓の林道は、
  おしなべて雪に閉ざされている。
  分け入るのは容易くても、
  すぐ雪の深みにはまって
  大汗の撤退になる。
  尻餅ついでに、しばらく
  新雪のソファーに身をあずけてみる。
  時折の風に林全体ざわめき、
  また、ぴたりと音無しの時間に包まれる。

  山の向こうにエンジン音が湧く。
  2サイクルエンジンだ。
  重量感をたたえた爆走が
  空気を震わせ現れる。
  2台のスノーモビルだった。
  胡座をかき、呆然と見上げる私を、
  彼らもまた、呆気にとられて見下ろす。
  曖昧に微笑み合って、一人に戻った。


2月25日(金)
春光にみたされた午前。冷えた冬の不機嫌な午後。夕刻の降雪で冬景色に念が入った。 @盛岡市(中津川河畔)

  光の中にひざまづき、
  シャッターを切る。

  同じ構図のまま、祈るように、
  息を詰めては、ほっと緩めて、
  シャッターを切り続けていると、
  心の水鏡が鎮まり、
  あたりの音が澄んでくる。

  色とりどりの白鳥の鳴き声。
  筋肉の質量を伝える羽の音。
  とろり揺らめく中津川の水。

  ひとつひとつに聞き入り、
  瞑想する朝をそっと掬い取る。


2月24日(木)
岩手の朝に青空の裸体が横たわり、春を誘ったけれど、冷えた2月下旬の風に、やがて、うやむや。 @岩手山麓

  この一時間後、
  職場の机にたまった地方紙を眺める。

  鋭い喧噪の中で
  偉人の言葉の欄に目がとまる。

  「西田幾多郎のような哲学者ですら
  心の底は見通せないというのだから
  我々ごときは、なおさらである」
  と、要約すれば、こうだった。
 
  ああ、いいなあ。懐かしい匂いだ。
  機関車の煙、祖父の仏間の匂いだ。
  有無を言わせぬ威厳と三段論法だ。
  そんな第一面が胸を張るこの土地にこそ、
  私は、深い安らぎを覚えるのです。


2月23日(水)
昼前の吹雪。瞬く間の銀世界。昼過ぎの強風。吹き飛ばされる屋上の新雪。一切は夕闇の中に凍り付いた。 @玉山村・鳥谷沢

  薄手の革手袋で飛び出したのは、
  高松の池で引き返すつもりだったからだが、
  新雪を踏みしめるのが楽しくて、
  行き先を見失い、
  玉山村で冷えた指を温めたりしている。

  ヘルメットの風防に張り付く雪は
  瞬く間にガリガリに凍るから、
  仕方なくシールドを上げて走ると、
  顎から頬に霜柱がおりたように痺れる。

  こんな馬鹿馬鹿しい話しを
  君に聞かせるのが嬉しい僕は、
  吹きすさぶ雪の中、
  ことさらに道草を重ねる。


2月22日(火)
岩手の45%の観測地点で真冬日。安代町で冬のスキー国体開幕。ふさわしい一日。 @盛岡市館向町(北上川と舘坂橋)

  ほら街の歳月が回っている。
  たわんでは張りつめて回る。
  スローモーションな縄跳び。
  鋼の糸を束ねたように重く、
  ぶんと鈍く風を切って回る。
  新参者の僕は縄の脇に立ち
  輪の中に跳ねる姿を眺める。
  天から振り下ろされる縄は、
  雪原を払い大河をかすめて、
  蒼い空に向かって弧を描く。
  何と心地よい歳月の回転だ。
  すでに飛込む間合いを失い、
  後悔もせず焦燥も無いまま、
  傍らに佇むだけで誇らしい。


2月21日(月)
気休めの陽射しなど、最高気温0度をもたらしただけ。春三月は、ひどく遠く感じられる。 @盛岡市紺屋町

  自らを
  崇高な台座に乗せる者にとって、
  人間とは従順でなければならず、
  勤勉で同質の汗と笑顔を浮かべ、
  自意識のかけらも持ってはならない
  存在なのかもしれない。

  ならば僕は、
  今朝も自意識の塊となって
  気ままに駆け巡る厄介な風さ。


2月20日(日)
湿った雪は、さながら土左衛門となって街に寄りかかった。遅れてきた陽射しと青空も夕闇に飲まれた。 @玉山村

  街は春の雪に濡れたが、
  里は粉雪の中にあった。
  街の道が地肌をあらわにしても、
  山へ続く道は、分厚く行く手を阻む。

  北国の冬はね、そう簡単じゃない。
  岩手の雪はね、風と一緒に変わる。

  いくら追いかけても終わりは無いから、
  やがて彷徨うだけの私がいる。
  
  いいんだなあ。
  こうして迎える夕闇が。


2月19日(土)
なげやりな空から舞い散るものは、雪のような、そうでもなさそうな。灰色の記憶に染まった一日。 @北上高地

  走り続ける私は
  かすかに前傾姿勢で
  うつむき加減だから、
  何か考えているのかと、
  我に返るのだが、
  何も考えちゃいないのは、
  はなから私にすらわかっていることで、
  要するに、
  安心していられる速度と
  心地よく流れる冬景色が
  ほどよく折り合った時間に
  じっと浸っていただけなのだ。


2月18日(金)
残骸と化した街の雪を片付けるだけの春光。「雨水」などと口にするのも虚しい北国の2月。 @盛岡市高松

  解釈の披瀝に明け暮れ
  鼻を高くしていると
  自らの立つところを失う。

  蘊蓄の披瀝に酔いしれ
  碩学を気取っていると
  我慢強い友人まで失う。

  自らの老醜を顧みず
  他者に歳月ばかり要求する
  経験主義を披瀝できる場所は、
  所詮、それ相応の場所なのだ。


  本文と写真は一切関係ありません。
  


2月17日(木)
分厚い白銀の世界は3月上旬並み(盛岡で6度に迫る)の陽気に、ゆるみ、とけて、ぬかるんだ。 @盛岡市郊外

  競う力もなく、誇るものもなく、
  ただ、岩手が好きなだけなんですよ。

  走る道と、
  見上げる空と、
  心に吹き込む風があれば、
  ただ、もう、うれしいのです。

  遙か山の彼方の暗闘など
  語る言葉も無い
  何とも無力な私が
  うれしくてうれしくてうれしくて
  血を吐きたくなるほど
  うれしいだけなんですよ。
  


2月16日(水)
イワテ全域、分厚い銀世界へ。全ての観測地点で真冬日を確認。夜の雪、砂金の如し。 @盛岡市(北上川・南大橋西側)

  本町通りの
  焼鳥屋「さい川」あたりで、
  一杯、どうですか。
  
  私は、もっぱら白いワインですが、
  そちらは、やはり熱燗ですか。
  胃の腑が、ほかほかっと温まって、
  二人して(早く春にならないか)と
  お銚子をお代わりするなんて、
  いいじゃありませんか。
  
  ねえ、ご隠居。
  久しぶりに説教が聞きたくなったよ。

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