TOP

イワテバイクライフ 2005年4月前半


4月15日(金)
春霞の一日、とはいえ、放射冷却現象で氷点下の朝も。大船渡では、霜と鶯と桜が同居。 @安代町

  昨日、カメラのバッテリーを忘れて
  手も足も出せなかった風景を、
  今日、ようやく心におさめた。

  じっと待っていた山よ。
  寸分違わず曲がる道よ。
  白さを守っていた雪よ。
  昨日、僕が立ち去った後の、
  春の鳥の諍いや、
  宵闇に紫をしのばせた光達や、
  三日月に照らされ足跡を残した者の話しを、
  さあ、聞かせてくれ。


4月14日(木)
前日の晴天予報にこだわるから曇天の印象が強まるのだが、大船渡市ではソメイヨシノの開花。 @玉山村

  ゆっくり辿り着いた雪解けの七時雨に
  カメラを向けたところで、気付く。
  (バッテリーを入れ忘れていた)

  こんな時に限って風景は多弁で、
  白銀の山裾が、芽吹きのブラウンに染まり、
  見上げれば羽化したばかりの青空だ。

  なるほど、
  何もせず向き合うことで
  心に焼き付く時間もあるんだね。

  帰宅して、充電の済んだ電池を持って
  天峰山まで走って放電した。


4月13日(水)
朝方の小雨は、春雨というには、いささか冷たく、やがて雨上がりの街も、3月下旬並。 @盛岡市加賀野(岩山漆芸美術館)

  私が雨に濡れて走る。
  雨に濡れて私は走る。
  走る私は雨に濡れる。

  堂々巡りの雨の朝に、
  守るべきものは無く、
  抱え込むものも無く、
  誇るほどの事は無く、
  意地を張る気も無く、
  ただ通りすがるだけ。

  同じ雨に濡れるだけ。
  同じ街で濡れるだけ。
  同じ朝に濡れるだけ。


4月12日(火)
「春霞」というに不足なら、「曖昧な温厚」でいいじゃないか。上り下りの気配すら、ぼんやりだ。 @滝沢村

  街が動き出す前に走り出した。
  
  広く乾いた舗装路に
  伸び伸びとスロットルを開けていくと、
  跨線橋への勾配や、
  店じまいのシャッターが、
  暮らしの一部になっていく。
  もの心つく前からの居場所に思えてくる。
  
  見慣れた家並みに岩手山がせり上がる。
  山頂の雪解けは、春を告げる鷲のシルエットだ。
  
  田園に抜け、
  ほっくりとした土の匂いを胸におさめれば、
  私の朝が舞い上がる。


4月11日(月)
関東地方の震度5強が、岩手の沿岸部にも震度1をもたらした。晴れのち薄曇り。 @田代平

  起き抜けの珈琲とともに、
  関東の震度5強や異国の騒然を見つめる。

  1時間後、僕は、ここで風に吹かれている。
  道端の残雪に乗って360度を見渡す。
  まだ、何事も起きない、押し寄せない。
  
  人心のうねりや災厄から遠く離れ、
  朝に立つ岩手は、白磁の器だ。
  静寂をみたす端正な造形だ。
  
  いつの日か、
  何事か起き、何事か押し寄せ、
  空前の怒号と激震の中に
  叩き割られるのか。


4月10日(日)
「天気は下り坂」とテレビの文句を反芻し覚悟していたのに、、穏やかな曇天のまま夕闇を迎えた。 @滝沢村

  ひと冬眠っていた愛機だから、
  春一番のキックスタートは、祈る思いだ。
  それが、三度目で火が入るなど、
  まして、上機嫌のアイドリングなど、
  雪に閉ざされた時間まで
  解けて消えていく思いだ。

  目覚めきらないライダーを
  弾ける力が前へ前へ引っ張る。
  荒れてぬかるむ細道を駆け上がれば、
  冬の残したものが待っていた。

  いつも走り出す季節は、
  なにがしか痛みをともなう。
  新緑が風に踊り、
  光と影の迷彩色に染まる日まで、
  僕は、大地と寡黙にやりとりする。


4月9日(土)
いまだ冬が匂う奥羽山脈を挟んで、薄曇りの秋田。光に満ちた岩手。 @寒風山(秋田県男鹿市)

  雲は
  偏西風に乗って、
  日本海から押し寄せ、
  小さな丘など、ひと跨ぎだ。
  その度、
  光のカーテンが見渡す一面を撫で、
  雲の投影が鋭く割り込み、
  彼方に飛び去る。

  そのように
  道端で時を止めてみる。
  その時間の分だけ、
  シートはぬくもり、
  エンジンは冷える。

  チョークを引き直して
  Vツインを咳払いさせる。


4月8日(金)
春に三日の晴れ無し、どころか、曇天に小雨、山沿いの吹雪。偏西風に攪乱され、春は後ずさり。 @玉山村

  眼下に地球が広がる。
  闇の彼方に紫の薄明が地平をあらわし、
  宇宙と隔絶している。
  見渡す限りは、大陸の北に違いない。
  無力な歳月と腐乱した季節が沈殿し、
  荒野は濡れた漆黒だ。
  と、白い煙が散る。火の玉が上がる。
  無数の戦車が疾駆する。
  キャタピラは泥を巻き上げ、
  バウンドしながら高速で突撃していく。

  僕は、機窓のブラインドを下ろした。
  アイマスクに身を隠し、
  着陸までの数時間、まどろむことにした。

  誘導ミサイルの軌跡をどこまでも追う夢は、
  やがて、熟睡の僕を撃墜するとも知らず。


4月7日(木)
最高気温と遜色のない朝のなまあたたかさ。小雨まじりの曇天は、夜に至り、雷の主戦場へ。 @岩洞湖畔

  冬は、もはや残骸だ。
  純白の誇りもくすみ、
  春の泥を更にぬかるませ
  道を厄介にするばかりだ。

  僕は、貧弱なバネに身をあずけ、
  荒れた湖畔を辿る。
  突き上げられては、沈み、
  かたんかたんと音を立て、
  覚悟を決めた者どもを見回る役に似て、
  泥を纏い、ぬぐわず、
  水溜まりを避けず、
  抑制した眼差しで、かたんかたんと
  なまじの情を捨て、かたんかたんと、
  見届けていく。


4月6日(水)
一関は夏日寸前など、初夏の陽気。盛岡市では黄砂を観測。なるほど至福の春は、ぼんやり霞んでいた。 @西根町(岩手山麓)

  Tシャツ一枚で
  春霞の朝をタイヤに充填する。
  デジタルエアゲージは、
  張り詰めた季節を数値化する。
  
  どんぴしゃりの空気圧は、
  走るほどに火照り
  速度に攪拌された金属の重さを
  柔和に受け止める。
  おびただしい雪解け水を切り裂き、
  飛沫を浴びて輝き
  太陽の吐息を首筋に感じながら
  安比高原まで飛ぶ。
  
  ブナの二次林へ通じる道は、
  「岩畑の湯」で雪に塞がれていた。


4月5日(火)
二十四節気のひとつ「清明」とは名ばかりの冷えた曇天。気温は10度近くありながら、陽射しは希薄。 @岩手山麓

  春になると
  凍土の下から恐ろしい夢が這い出し、
  際限もなく遠くへ私を誘う。

  楽観の花園は満開で、
  終末の直観は葬られ、
  明日を膨らませることに
  時と命は浪費されていく。

  鏡の中の髑髏よ、
  黒土の丘からわいて出た
  春の化け物よ、
  振り返るがいい。
  未だ冬の未練を纏って立つ山に
  見覚えはないか。


4月4日(月)
ひと口に「春めいた」などと言われて歩き出すことなど出来ない。長い冬の記憶があればこそ。 @滝沢村

  季節の大断層に匂い立つのは、
  肥えた黒土と光を吸った鳥の羽。
  
  死への算段や鬱への螺旋を
  断ち切った大気の鉈は、
  すべての夜に花が噴き出すまで、
  大地に振り下ろされる。
  
  雲を突き抜ける早馬よ。
  神々の総入れ替えを告げる飛行機雲よ。
  僕は田園の孤独から天空を見上げ、
  鉈の鋭利に見惚れて、叫ぶ。
  (これが炎立つ朝か)


4月3日(日)
半分閉ざされていた春の目は、夕刻に至り、大きく見開き、命の季節到来を直感。 @石鳥谷町(北上川)

  太陽と山々の稜線の距離が、
  ぐっと狭まった時、
  にわかに大気は和んだのだ。
  
  私は、風の異変に気付き、バイクを停め、
  北上川の淵に釘付けになった。

  長い冬に堰き止められていた血液が、
  夕陽を浴びて流れ出している。

  許されて再び、
  この季節に生きられることを祈り、
  川縁にミレーを探したのでした。
  


4月2日(土)
鮮烈な光線を求めて走ると、霞みの皮膜に包まれ、白濁した風が、忘れていた季節の感触をもたらす。 @胆沢町への途上

  冬眠から目覚めた巨像は、
  不意の雪道に踏み込む。
  道は下り始め、傾斜と曲率は急を極め、
  奈落の底へねじこまれていく。
  一切のブレーキングが憚られる速度の中で、
  かすかな路肩を見つけコースアウトする。
  おそろしく深い吹き溜まりに飛込む。
  (これが待ち望んだ春か)
  そこへ、クレーン車が通りかかる。
  運転席から舞い降りたのは若い女で、
  レスキューを請け負うという。
  (ただし、私の猫になる覚悟はあるかい?)

  夢は、そこで終わった。
 
  同じバイクで県南を彷徨いながら、
  同じシーンを探したりしていた。


4月1日(金)
事態は何ら好転しないのだが、ま、四月なのだから、小雪も花に見立てて行きますか。 @滝沢村(姫神山)

  カラオケ好きで、
  ポエムを綴る夜もあり、
  たまにギターをつま弾く君だけど、
  見出しにすれば、イケテくる。

  「シンガーソングライターの夢間近」
  〜盛岡のギター青年、故郷に寄せる歌を求めて〜

  みんな、いつか見出しで踊る。
  人手不足の大地だから、
  演じ切れ、晴れがましく。

このページの先頭に戻る