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イワテバイクライフ 2005年4月後半


4月30日(土)
晴れているのか、曇っているのか、半透明な皮膜の天空に白い太陽が、月の如く、もの静か。 @北上高地

  昨日落としたコンパクトフラッシュを
  探しに出掛ける。
  心当たりはあった。
  雪に閉ざされた山道を引き返す時、
  未練がましく撮影を続け、
  画像記録カードを交換したのだが、
  さっと現れた陽射しに慌てて、
  しまい損ねたのかもしれない。
  
  はたして、それは、あった。
  昨日の私の足跡のそばに落ちていた。

  ポケットにおさめたカードに、
  何が写っているのか思い出そうとしたが、
  脳裏に浮かぶのは
  山を照らす朧月ばかりだ。

  


4月29日(金)
未明の雷雨。濡れていた朝も、雲払われ光満ち、乾いた強風に満開の桜がうねった一日。 @北上高地

  街の桜は満開で、
  愛でる人は日毎に増え、
  賛美の声は高まるばかりで、
  とうとう、ずっと満開のような空気だから、
  僕は、街を離れる。

  (一番美しい時が、未来を霞ませる)

  花どころか、
  芽吹きすらままならない山岳は、
  大型連休に見向きもされず、
  見渡す限りを僕が引き受ける。
  
  (余命数日の残雪こそ、希望の色だ)

  命の季節を求めて
  雪に閉ざされた道の門を叩いてまわる。


4月28日(木)
一関市で最高気温28度1分。観測史上、4月としては3番目の記録。盛岡でも桜満開へ。 @玉山村

  花は、気ままに散っていく。
  人は、ひとひらひとひら血を流して
  散っていく。

  明日は無いかもしれない朝に、
  落ち着き払った無策の花は、
  やがて狂気の風に運ばれる。
  
  孤立無援の春ならば、
  いっそ、ボタンの花となり、
  光の中に落ちてみたい。
  影に音を立てて終わりたい。


4月27日(水)
岩手各地20度を越えて、春爛漫を越えて初夏の風。 @八幡平アスピーテライン

  八幡平とか、雪の回廊とか、
  そういうことではなくて、
  置き去りにされた膨大なもの。
  消えゆくまでの時間を宿すもの。
  高さや重さではなくて、
  光の居場所まで占領するもの。
  一切の思いや意識など介在せず、
  空の紺碧に一歩も引かず、
  鋭いコントラストを見せ、
  その純白の裏に鮮血を満たした雪を
  見ておきたかったのです。


4月26日(火)
石割桜満開、八幡平の雪の回廊開通。なだれを打って春爛漫の到来。 @岩手山麓

  いつまでも山は待っていてくれる。
  いっときも雲は待ってはくれない。
  
  移ろう季節は大河となり
  見上げる空に流れている。
  
  見上げる私も流れ流れて、
  結局、春の山麓に佇んでいるのか。

  それとも、
  私が恋した野鳥の歌が、
  澄んだエコーを纏って
  この風景に流れるばかりなのか。

  


4月25日(月)
桜開花の歩調は早まるばかりだが、モクレン、コブシの白さが先行する日々。 @北上高地

  春は、
  どこか曖昧で気紛れだから、
  青空を待っていては
  走り出せない。
  晴れ間は、自分で切り拓くものだ。

  道は
  曲折を重ねるものだから、
  直線を求めていては
  走りきれない。
  快走とは、大地に寄り添うことだ。


4月24日(日)
いくら冷えた朝でもいいのだ。澄んだ青空が春の朝日に白く霞むなど、いいのだ。終日安らかなのだ。 @滝沢村のトライアルパーク

  次の日曜日は大会だから、
  リヤタイヤを交換した。
  
  山には、競技区間が現れつつあった。
  試験問題の意図を間近に見て回る。
  
  奔放に駆け巡っていた山の斜面に
  テープが張り巡らされるだけで、
  技と構想が求められる。
  (なんと単純で純粋で困難なのだ)

  春の山野に、
  僕は、利害や思惑などから
  ほど遠い道程を熱望して本気なのだ。
  
  麗らかな岩手山麓に砲声は轟き、
  真剣勝負の休日を思う。


4月23日(土)
寒気を追撃する高気圧の淵には、形を決めかねる雲たちが集い、陽射しを皮膜に纏う。 @北上高地

  17ミリのスパナを探す。
  キャブレターの底のドレンボルトを緩め、
  ふるいガソリンを抜く。
  休日の朝が甘く匂う。
  プラグを外し、キックを重ね、
  シリンダーのガスを抜く。
  プラグを乾かし、装着。
  燃料コックを開き、
  タンクを満たしたハイオクをキャブレターへ。
  チョークを引いてキックバーを踏み抜く。
  エンジンがうめく。
  目覚めた火をスロットルで釣り上げていく。
  が、すぐに押し黙る。
  ひと息入れて、上死点を探り、
  春の大気に張りつめた鞠を、蹴破る。
  足の裏に火炎立ち、咆哮が弾ける。
  僕は、にやりとして、チョークを戻す。
  パンドラの箱を開けた歓喜は
  雪解けの山岳へ続いた。

  


4月22日(金)
青空と黒雲と風と雨と、ひとつの額縁の出来事。荒れるにもほどがある花の季節の錯乱。 @玉山村

  すでに、
  そこには誰もいない。
  あるのは、
  あなたが思い描く
  誰かのイメージだ。
  あなたにとって、
  愚かで哀れでなければならない
  誰かの幻だ。
  幻を追い、幻を撃ち、幻を諭し、
  いっとき満たされるあなたの心が
  そこに、あるだけだ。

  ほら、さっきの雲は、
  もう、そこには、ない。
  冷えた風が吹き渡るばかりだ。


4月21日(木)
予想や期待を嘲笑い午後まで残った雨。店じまいの頃に石割桜開花の知らせ。 @玉山村
  
  小雨は止まず、霧は晴れず、
  走ることをやめた私が居る。
  
  山の上に抜ければ
  あるいは、宇宙に続く青空か、と
  期待したのだが、
  春の墨は濃度を増して、
  行く手を混濁させるばかりだ。
  
  諦めて目を閉じると、
  山腹を這い上がる風の匂いがする。
  湿った腐葉土のなまあたたかい匂いだ。
  
  やがて、鉄錆びた空気に硝煙が漂い、
  機甲師団などが、
  現れるとでもいうのか。


4月20日(水)
昼前後から県内広く小雨模様。3月中旬から下旬並の肌寒さの中で穀雨の田起しも盛ん。 @玉山村

  雪が、すっかり消えて、
  その感覚は訪れたのですが、
  どんなオートバイで走っても、
  走ることの手応えが変わらないのです。
  どこまでも安らかで、心地よいのです。
  流れ来る風景は淀みなく
  迎える心は真っ直ぐです。
  バイクは私の前に出ず、遅れず
  シートに腰をあずけた、その一点に在り、
  道に向き合うだけで
  すべてがうまくいくのです。
  痛快な風は内蔵に微熱をもたらし、
  (そんな馬鹿な)と戸惑いながらも、
  春の幻覚は、鮮やかになるばかりです。


4月19日(火)
憂いも無き最高気温16度オーバー。桜開花の準備万端。一方で沿岸部は3月下旬並の花冷え。 @雫石町

  春の微粒子、光にとけて、
  雲雀、歓喜し、舞い狂い、
  戦闘機、天空をつんざく。
  囀りも轟音も睡魔を誘い、
  花時計は正気を失い回る。
 
  私の腕の中で骨になる君。
  命を叫び断崖から飛ぶ夢。
  地平から押し寄せる閃光。
  炎に包まれ加速する風車。
  海原を破り上昇する弾頭。

  一切の総天然色はつまり、
  春爛漫に居合わせる私が、
  冬の記憶を溺愛するから。


4月18日(月)
宮古測候所のソメイヨシノが開花。水沢でも桜が咲く。なだれを打つ春爛漫。  @秋田県(田沢湖)

  そこに立つから映るのではない。

  何かを知りたくて覗き込む心が
  そこにあるだけなのだ。

  願って叶わず
  求めて遠のき
  祈って届かず

  見えない理由を
  人は、鏡の中に探すのかもしれない。


4月17日(日)
冷えた小雨に濡れて朝を迎えた。落胆の肩を揺さぶる午後の陽射しと青空など、いい気なものだ。 盛岡市郊外

  峠道は小雨に濡れていた。
  スパイクタイヤを脱いだ単車は、
  かすかな飛沫を上げてコーナーに躍り込む。
  
  氷雪の上に
  タイヤを立てて走った季節から解放されて、
  道との対話に奔放な角度をつける。
  心に流れるラインは、自然で淀みなく、
  手応えも鮮明な加速と減速を噛み締める。

  陽射しが戻り、行く手に水蒸気が煙る頃、
  金属と筋肉は、すっかり温もっていた。
  
  仕事の時間まで、
  憑かれたように、そうしていた。


4月16日(土)
概ねの春霞。風もなく、少し動けば上着を脱ぎたくなるが、すぐ着たくなるのは寒気団の通過の為か。 @秋田県(鳥海山麓)


  軽ワゴンにみるみる追いついた。
  車はブーケに満たされていた。
  春を祝福する花束だった。
  すると、風は口笛を吹き、
  光と熱を含んだアスファルトが、
  しなやかな絨毯になった。
  
  鳥海山麓の牧野で赤土にまみれた。
  道路に溢れた雪解けの水溜りで
  タイヤを洗った。

  綺麗に生きて帰ることより、
  どんなに汚れても、
  行きたいところへ行って、
  思い描いたものを眺め、確かめ、
  夕闇に笑顔をとかし、
  辿る家路がうれしい。
  

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