イワテバイクライフ 2005年6月前半
6月15日(水)
東北南部に至った梅雨入りのことなど、盛岡ののどかな夕空には遠い世界のことに思われ。 @八幡平・樹海ライン
愛ばかり求めていると、 疎まれる。 自分のことばかりでは、 嫌われる。 本当のことばかりだと、 消される。 だから、 たまには、知らんぷり。 だから、 ときには、我を忘れて。 だから、 すこしは、嘘に口づけ。 |
6月14日(火)
最高気温27度(盛岡)をもたらした紺碧の空と太陽は、梅雨明けそのもの。未だ梅雨入りせぬ地の幻覚か。 @盛岡市近郊
小さな池は、 飛び込む者の色にすぐ染まる。 染めたくなくても染まってしまう。 大きな池は、 染まるまでに幾度も冬を越す。 待てば待つほど春には美しく染まっていく。 さて、僕は、断崖から宙に舞う。 太陽と海原が回転し、 紺碧の海中に突き刺さり、 音の無い世界に目を凝らす。 一切の色を拒む静寂のブルーこそ、 僕が染まってみたい色なのだ。 |
6月13日(月)
薄日さす空の穏やかを見るにつけ、東北の梅雨入りのことなど「まあ、何時でもいいじゃないか」。 @岩泉町
夢や志を 尊大な塔にまつる者にとって、 誰かは、間違っていなくてはならず、 誰かは、愚かでなければならず、 誰かは、醜くあるべきで、 誰かは、破綻していなくてはならず、 誰かは、大嘘つきと決まっており、 誰かは、曰く付きのピエロで、 誰かは、芸術とは無縁の者でなければならない。 そうでなければ、 答えが合わないから、 誰かは、永久に「誰か」でなければならないのか。 ここまで逃れても、そうなのか。 |
6月12日(日)
晴れ間は、天気雨と戯れながら広がり、夕刻は、そこそこの清々しさ。 @滝沢村
走れば、何かが劣化し、摩耗する。 自ずと更新のサイクルというものが生まれる。 とりわけ、競技会には、 エッジのきいたブロックで臨みたいから それまでは、磨り減ったタイヤで頑張る。 8月最終土曜日の檜舞台、 「イーハトーブトライアル大会」寸前まで、 タイヤの延命を目論んだが、 さすがに限界というものがあって、 今年は、中途半端な春の交換だった。 すでに、充分の慣らし運転が済んだ爪は、 今が旬とばかりに、 濡れた土をうまそうに噛んでいく。 成績とは無関係な「切れ味」を 今が盛りの緑に解き放つ。 タイヤ交換の誤算は、 いつになく贅沢な雨季をもたらした。 |
6月11日(土)
どこへ向かったところで、梅雨めいた雨雲が待っている。冷却された大気は、そこそこ気持ちよい。 @十和田湖畔
六月の雨は、命の雨だから、 体温を奪わない 突き刺さらない、 陰気にならない。 喉が渇けば 空に向かって何か歌い、 樹林の雨滴を飲み干すだけだ。 濡れることを楽しむうち、 県境を越えていた。 十和田湖は、たらふくの雨を揺らし、 雨季の匂いが津波となって押し寄せる。 |
6月10日(金)
まれに薄日など射す程度だったが、雨さえ降らなければ良いと心の基準をシフトしたから、まずは上々。 @盛岡市近郊
片田舎で ひっそり老いていく男の 退屈極まる話に振り向く者はなく、 どう間違えようが、転ぼうが、倒れようが、 壁新聞の見出しにすらなれず、 数えるほどの友人と、 希に酒を酌み交わし、 昭和を煮詰めた駅前食堂のテレビで 傲慢不遜の末路を眺めては溜飲を下げ、 宗教じみた格言に汁をこぼしながら、 ラーメンなどすする日々が 待ち遠しくて、 麦畑の歳月を早送りしてみれば、 なるほど、 立っているのは、 その日の僕だ。 |
6月9日(木)
岩泉で真夏日に接近するなど各地で夏日。白濁した晴れ間など、晴天とは似て非なるもの。 @七時雨
時に、嫌な台詞を思い出し、 流れる道に引きずり回す。 時代がかった調子で幾度も声に出し、 白日に晒してみる。 (胸に手を当てろ) (心を入れかえろ) 思い当たるフシや、 入れかえるべき心を 道の後先に探してみても、 今まで通りの風が吹き渡るばかりだ。 |
6月8日(水)
薄日まじりの曇天が、梅雨の影をかくまっているように思えて仕方ない一日。 @玉山村
カッコウが鳴いている。 あの間合いで時を刻んでいる。 その鳴き声を審判する者は、いない。 (外角低めのボール半分)の気難しさから 遠く離れ、緑の中で鳴きたいから鳴いている。 もしも、鳴かないカッコウは、カッコウなのか。 もしも、押し黙るカッコウは、カッコウなのか。 井戸の中の正しさや誤りとは無縁の空に (カッコウ)と張り詰めてみせるから、 その鳥は、カッコウではないのか。 |
6月7日(火)
盛岡の最高気温22度1分は、単に数値の話。濁った陽射しと曖昧な風は、すでに夏日。 @盛岡市・北山
縁もゆかりもない岩手に家を建て、 家族を残して 950km西の地に単身赴任した4年間があった。 岩手の休日を終え、 盛岡駅前のバス停に突っ立ち、 花巻空港行きの高速バスを待つ間、 僕の目の前には、いつもこのバスが、いた。 やがて、運転手Bさんと挨拶を交わすようになった。 束の間の立ち話ではあったが、 季節の移ろいとともに深まる会話に、 とても励まされた。 すでに、Bさんは、悠々自適の日々と聞く。 年代物のこの車両も、いずれ姿を消す。 けれど、僕が愛おしむあの朝の記憶は、 いつまでも、この街を巡り続けることだろう。 |
6月6日(月)
不透明な雲が払拭されないまま、晴天の印象も無くはなかった。最良の季節は過ぎたのだ。 @八幡平
大排気量マシーンの質量が 道のあれこれを平らにして、 彼方をすんなり引き寄せる。 進めば何かが訪れるという まことに当たり前のことを 僕は、粛々と確認していく。 目的地があるからではない。 動きだし、流れる天と地に 宝石がひそんでいることを 澄んだ風が告げてくるから 今朝も、この庭の中にいる。 (鉱脈は、あまりに至近距離にあるのだ) |
6月5日(日)
白く霞んだ空に青空が割り込むまでには時間がかかったが、夕刻の夏空に積乱雲まで立ち上る。 @八幡平
休日前夜に突然の電話。 (自宅で待機せよ) 事の成り行きを待って、 眠れない一夜が明けた。 幸い、出動には至らなかった。 放り渡された自由が、けだるい。 昨日と今日の境界線だけでも引いておきたくて、 少し走る。 残雪の狭間を抜け、 霧を振り払い、高度を下げたとたん、 空が開けた。 天空の一切が投影される大地一面に 緊急事態は、無い。 今朝のそれだけを確かめて、 午後のトライアル修行に向かった。 大きく軋む未来を、ふと思いながら。 |
6月4日(土)
霧と小雨の間を往復する風は、雨季の匂いを含んで、行き先を曖昧にする。夕刻に至り、大気不安定。 @岩手山麓
別れを惜しむ宴席で我々は向き合った。 (何故、そこまで岩手が好きなのか?) 岩手県人のあなたは繰り返し尋ねた。 僕は、自然や人の素晴らしさを控えめに述べた。 (なるほど自然は良い。だがな) 人間社会の複雑を語るあなたは辛辣だった。 真実は酔いの彼方に遠ざかる。 (わかるはずがない) 焼土の心に緑を授けてくれた大地に寄り添い、 狂気の記憶を封印して、 ひっそり終わってしまいたい思いなど どのように語れというのだ。 |
6月3日(金)
梅雨の走りの空模様。かろうじて濡れなかったことなど、特段嬉しくもないほど覚悟は出来ている。 @小岩井農場
梅雨を前に、ようやくのオイル交換。 ひと冬の渋を含んだオイルを抜いて 無垢な3.5リッターを満たすと、 先送りしてきた宿題を片付けた気分だ。 エンジンは機嫌を直し、 適度に張った鞠をつくように弾力が戻った。 本来の性能というべきだろう。 さて、オイル同様、 心に更新すべきものがあるとすれば、 私は、私に何をしてあげたのだろう。 愛する風景と、季節の道と、爽快な孤独を 今朝の風に満たし、 焼き付いた夢を、なおも回そうとしている。 |
6月2日(木)
松尾村の最高気温27度6分を筆頭に内陸各地で夏日続出。白濁の晴天。 @八幡平アスピーテライン
陽射しを遮る術もなく 原形を失った雪の回廊が 遺跡のように断続する。 すでに旬を過ぎた白さは、 押し寄せる緑をひきたてるばかりで、 あたかも、 定年を控えた強面や 記録と別れた豪腕や、 名誉を捨てた重鎮や、 過去に生きる巨匠や、 それら、通り過ぎ、遠ざかるもの 全ての味わいに似て、 風は深く安らかだ。 |
6月1日(水)
官公庁はノーネクタイ・ノー上着で省エネをアピールしているが、北国の夏日程度なら上着は欲しい。 @玉山村
ひんやりする街の朝風は 山に至り 日が陰って冷えて まして メッシュのジャケットだから 夕べの酔いも 綺麗にとんで 丘の上で デイバッグのミネラルウオーターを 飲み干せば 一切がリセットされ 平凡な緑に上機嫌なレンズを向けていたら 背後に車が停まっていて シャッターを切るのを待っていてくれたから (申し訳ない)と笑顔を送ると (いいんだよ)と笑顔が返ってくる。 うまくいっている風に句読点はいらない。 |