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イワテバイクライフ 2005年8月前半


8月15日(月)
目を覚ます雨音。朝方の大雨で盛岡の住宅に浸水被害。午後には回復した空のもと、川は濁流。 @岩手山麓

  激しい雨音に
  やり残した仕事を思い詰める
  未明のお前よ。

  毒は雨に薄まる。
  志は欲に薄まる。
  夢は時に薄まる。

  安楽へ流れる生き様の希薄を
  堰き止めることに疲れた者よ。
  轟々と踊る泥水を飲むがいい。
  押し流す勢いに飛込むがいい。
  混濁のただ中に仁王立ちして、
  お前が先送りしてきた難題が、
  土石流となり押し寄せる様を、
  覚悟してその身に受け止めろ。


8月14日(日)
朝方の雨を吸った山野は、湿度が高く、かすかな陽射しに滝の汗。一切を洗い流す夕暮れのスコール。 @滝沢村

  急斜面を昇降し、蛇行する。
  木立や横たわる障害ををかわしながら、
  ぎりぎりの制動と旋回、
  助走もままならない登坂。

  僕にそんなことが出来るかどうか、
  あなたは、お構いなしに、
  練習問題を出してくる。

  向かう先へ視線を送り、
  ステップ荷重で向きを変え、
  重心を素早く移動して・・・。
  
  熱湯と化した汗の中で、
  僕は、僕に欠落しているものを思い知り、
  泣きべそかきながら這い上がる。

  あなたの設問は、いつもそうだ。


8月13日(土)
波乱の雲は、ずっと南にあって、時折の小雨に濡れたが、午後には薄日射し、にじむ青空。 @イーハトーブ

  「見た目に惑わされてはいけない。
  困難に見える道筋が、
  実は、ゴールへの最短距離だったりする」

  「少々の抵抗に驚いてはいけない。
  柔らかく構え、じわりと受け止め、乗り越える」

  「最大の難関を突破出来るかどうか,
  それは、ひとつ前、ふたつ前、みっつ前の
  小さな関門の
  選択や視線、姿勢や速度で決まる」

  
  立ち往生の荒い息の中で
  僕は、走りきる魂に耳を傾けていた。

  心がしずまる程に、水音が澄んでいく。


8月12日(金)
空は、夏にも秋にもなれないまま、30度前後の蒸し暑さ。大気も混乱して雷注意報。 @盛岡市(前九年)

  終わってみないとわからない。
  まっただ中では、わからない。

  ひとつひとつの出来事の意味は、
  すべてが終わり、振り返り、眺め渡して、
  初めて見えてくる。

  (ところが、人は知りたがる)

  自ら選んだこと、起こしたこと、
  その意味を知りたがる。
  だから(これまで)や(これから)に縛られる。

  私がしてあげられることは、
  (今)にしかないのに。


8月11日(木)
曇りベースの天気予報など晴天寄りに裏切られても誰もクレームはつけない。大当たりは真夏日前後の暑さ。 @岩手山麓

  光よ、この衰弱は何だ。
  何かが終わったのか?
  誰かが、逝ったのか?
  なのに、皆、休暇中で、
  この見渡す限りが放置されているのか。

  山よ、今朝、誰を見た。
  ここで誰と向き合った。
  一途にお前を求めた者は、何人だ
  取り返しのつかない夏を語った者は、何人だ。
  ただならぬ秋にうろたえたのは、
  俺の他に誰と誰だ?


8月10日(水)
真夏日寸前の暑さなど、青春の勢いのようなもので、空の蒼さは、隠しようもない秋の深さだ。 @玉山村(岩手山遠望)

  老人は、丘に立ち、言い張る。
  
  好き嫌いを言い張る。
  人間の道を言い張る。
  花鳥風月を言い張る。
  
  心に降り積もった記憶から
  砂金でも探し当てたように、
  爛々たる眼差しで言い張る。
  待ち焦がれた勝負所とみて、
  息の限りを尽くし言い張る。
  聞き覚えのあるフレーズで、
  幾通りもの道を言い張って、
  いつもの孤独にたどり着く。
  
  なあ、私よ。もう気が済んだか。
  何時でもこの丘を下りるがいい。


8月9日(火)
最高気温がいくら真夏日を主張しても、もはや、これまで。朝晩の冷気は、すでに秋の序曲。 @イーハトーブ


  私は、向上するためなら、
  無様な姿をさらすことなど何とも思わない。
  幾度転び、泥にまみれても
  黙々と繰り返すだけだ。
  何年もかかって指先ほどの前進でよい。
  その喜びは大きいから、
  躊躇や、羞恥や、見栄などに
  構ってはいられない。
  人に頭を下げ、素直に教えを請い、
  無様にも叩きつけられ、挑みながら、
  鍵を見出し、ドアを押し開くのだ。

  はじめから優れていなければならない者は、
  守るべき立場を磨くばかりで、
  無傷で清潔を誇りながら終わるのだ。

  ガラスケースに勲章を並べて
  終わるのだ。
  

8月8日(月)
午後になって陽は射したが、不安定な大気が告げる雷注意報。和らいだ暑さが救い。 @岩手山麓

  朝、体に青アザを見付けた。
  昨日のトライアル土産だ。
  闘った余韻が、あまりに濃厚だから、
  今朝も、鬱蒼とした樹林帯を求める。
  
  雨が森を濡らし、タンクにしたたる。
  
  僕は、ずっと考えていた。
  昨日、山中で雷雲に包囲され、
  砲撃のような稲妻にさらされた時、
  もしや、願っていなかったか。
 
  (雷にうたれることを)

  スコールに身をまかせ、空一面の緑を仰ぎ、
  苔むした夏の山に終わることを
  願っていなかったか。
  至福の中で終わることを
  瞬間でも願わなかったか。


8月7日(日)
下界の真夏日と上空の寒気。必然的に空の暗転、雷鳴、スコール。 @宮城県(菅生サーキット)

  熱気に晒されて消耗も極まった午後、
  森は暗転した。
  スコールは樹林の屋根を貫通し、
  トライアルライダーの一団を叩く。
  稲妻が交錯し、
  山を根こそぎ引き抜くような轟音。
  眼前には、見上げるばかりの黒土の壁だ。
  幾筋もの泥水が斜面を削っている。
  それでも、
  スコットランドの大地を走破してきた猛者が、
  果敢に天を突いていくのだが、
  頂上を目前に失速し、泥まみれで滑り落ちてくる。
  困ぱいした僕は、駆け寄る気力すら失い、
  呆然と、修羅場を眺め、
  口を開けて雨水を飲むばかりなのだ。
 
  どこをどう彷徨ったのか、
  森を抜けると、
  いまいましい青空が待っていた。  
  


8月6日(土)
猛暑のスタミナは衰えることなく記録更新。内陸各地36度前後。我慢比べの域へ。 @八幡平

  この地に暮らし、
  この地で働いて、
  この地を駆ける。

  (うまくやっていけると思うんだがな)

  この地の暮らしを失い、
  この地の仕事から離れ、
  私は、初めて、そんな人生を求めていた。

  (もう、走り出してしまったのよ、あなたは)

  君は、彼方の朝を胸におさめるように呟いた。
  5年前、同じオートバイ、同じ場所だったね。


8月5日(金)
記録的な猛暑。胆沢町、一関で36度1分。盛岡でも34度9分。太陽がやたらに近い日々。 @八幡平(樹海ライン)

  ほら、君の尻尾が
  僕の手に握られて、
  風になびいている。

  君は、気付かず闇に飛び歩く。

  自らの足跡を振り返るがいい。
  不注意にも消し忘れたものが
  鮮やかに君の後を追っていく。


8月4日(木)
今更、ではあるが、お約束の発表。東北北部で梅雨明け。そんなことより猛暑。県南などでは35度前後。 @雫石町

  君によく似た女(ひと)に
  夜通し愛を告げる夢を見たよ。

  しらじらと夜が明けて
  光の中に佇む
  君によく似た女(ひと)が、
  実は、君だったことに気付く夢だったよ。

  夢を告げようと
  隣でまどろむ君の肩を揺らせば、
  それは、君によく似た女(ひと)で・・・。
  

  (そこで、夢は終わったよ)


8月3日(水)
夜は熱帯夜近辺、昼は真夏日周辺。曇天に控えめな陽射しと侮っていると滝の汗。 @岩洞湖畔
  
  暗号にまみれた社交家。
  呆れた女好きの愛妻家。
  没落を傍観する資産家。
  権威に接吻する理想家。
  旅先が常に同じ冒険家。
  安定が拠り所の野心家。
  
  政治家、芸術家、評論家、人情家
  楽天家、夢想家、起業家、格闘家・・・。
 
  ぞろぞろぞろぞろ列をなし、
  ぐるぐるぐるぐる輪を作り、
  どんどんどんどん膨らんで、
  朝が来るたび街は別人。
  夜が来るたび森は別人。


8月2日(火)
動かしようも無い北国の緯度に、熱帯の風がしのびこみ、なす術もなく汗にまみれる。 @盛岡市中央通り

  ここに、夕べ、
  祭りの熱気が轟々と流れていたことなど、
  想像しない限り、
  事実すら曖昧になる。

  絢爛な舞いも
  豪壮な鼓動も
  途切れることのない日常の前には、
  所詮、ひと夜の夢だ。

  朝を走らせる習慣が、
  すでに祭ではなく、
  この街の緩慢に、深く同化し、
  この沼の淀みに、言葉を控え、
  この王国の主に、頭をたれる、
  「行」の如きものであることを知り、
  道の埃を浴びて微笑んでいる。


8月1日(月)
盛岡でも32度に迫り、この夏最高の暑さ。三日続きの真夏日に後押しされ「さんさ踊り」スタート @玉山村


  それにしてもだ、
  私の不器用ときたら、
  この非力な単車すら、
  ろくに扱えないでいる。
  
  地形に寄りそう力だとか、
  地形を越える呼吸だとか、
  そんなこんなの理屈があるようだが、
  生来、面倒は嫌いだから、
  来る日も来る日も、
  核心の周辺を巡るばかりだ。
  
  すると、どうしたことか、
  どんな単車に乗っても、
  走る手応えが、日々同質になっていく。

  (何に跨り、何処を走る)なんて、
  どうでもいいほど、
  安らかに地形と戯れる。

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