イワテバイクライフ2006年6月前半
6月15日(木)
東北北部も梅雨入り(平年より3日遅く、去年より10日早く)。曇天を揺さぶる南よりの強風に雨季の匂い。 @盛岡市
愛すべき古新聞を広げれば 居心地良き墓地の香り漂う。 古色蒼然の重鎮支配に憤怒せず、 (積年の味わいですな)と腕を組む。 地縁血縁の文化支配を非難せず、 (絆が支える美ですな)と手を叩く。 競争皆無の相互扶助を侮蔑せず、 (ともに歩む姿ですな)と深く頷く。 日々、ま白き頁を埋める事なし。 新しきインクの香り纏い踊るは、 何も変わらぬ事の安堵の見出し。 (それは何よりですな)と私は眠る。 嗚呼、楽園の午睡を覚す事なかれ。 |
6月14日(水)
少しすねた朝の薄雲だったが、昼前には、夏空に移ろい、その体温は夜風まで柔らかくした。 @盛岡市
明日に繋がるものでなく、 昨日に遡るわけでもない、 今日この時限りの旅がある。 行く手を思案するでもなく、 来た道を振り返るでもない、 今この時限りの場所がある。 進みもせず後ずさりもせず、 ここに立ち止まる永久の中、 弾む呼吸は、やがて鎮静し、 愛機の熱は、風に吸われる。 (それでよし)とするなら、 このけだるい夕暮れの森で、 鳥の囀りに聞き入ったまま、 神隠しになってしまいたい。 |
6月13日(火)
薄雲は陽射しに破られ、風に運ばれ、霞がかった青空が広がり、雨季の気配を乾かした。 @岩洞湖畔
走ることすら忘れ始めていたこいつは、 気紛れな火を入れられて 少し苛立っていた。 けれど、ダートにスロットルを開ければ そこは2サイクルエンジンのレーサーだ。 緑陰の迷彩色に染まって 森の懐に噛み付いていく。 まったく、こいつは、高周波の針だ。 6月の真昼に突き刺さる蜂だ。 焼けるような痛みだ。 軽く薄く乾いた怒りだ。 吠え狂うものの背で、 私は、静かに冷えて、 今日の心を決めていく。 |
6月12日(月)
朝方の小雨に濡れた街は、日中の陽射しに乾いたが、気温低調。「梅雨寒」の語感よみがえる。 @北上高地
花を愛でているだけなら 誰も異議など唱えない。 (花で私を飾らないことだ) 蝶々を目で追うだけなら、 誰も追跡など始めない。 (蜜を渡り歩かないことだ) 薫風に吹かれるだけなら、 誰も詮索などしない。 (風に血を匂わさぬことだ) 月を眺めているだけなら、 誰も邪推などしない。 (月の裏を語らないことだ) |
6月11日(日)
青空もあったが、冷涼な一日。内陸では20度に届かず、沿岸では10度そこそこの地域も多かった。 @遠野市
試合前のウオーミングアップが始まった。 一斉に火が入ったマシーンの群れは、 雷鳴を轟かせて大地に跳びかかり、爪を立てる。 強者達がねじ伏せていく朝の空気の中で、 私は、身震いし、今日の結末を確信した。 いいのだ。私に「私」が突き付けられる日なのだ。 出直すための決定的な事実を求めて、 私は「私」をここへ連れて来たのだ。 泥にまみれ、滑り落ち、叩きつけられ、這い回り、 みすぼらしい私の力を噛み締める場所なのだ。 成績とは言い難い惨憺たる結末を手に、 出直す決心をする記念日なのだ。 |
6月10日(土)
梅雨前線は南に遠ざかった。「空とは本来こうあるべきだ」と青空が、鬼の居ぬ間に広がってみせた。 @盛岡市
ふと風の中に笑顔が浮かぶのは、 閉ざされていた私の日々が この青空に行き着くことを見届けたからだ。 ふと頬の涙が風に運ばれるのは、 夏雲の様な若き日の希望が、 この空に届かなかった事を仰ぎ見たからだ。 遠い過去から流れ来る川よ、 叫び出す(歓喜)と 押し黙る(絶望)を 浮き沈みさせて流れ来る川よ。 今日という川縁から、この身を投げて 流れなくてよい日まで、 流れていきたい。 |
6月9日(金)
雨季は目前。梅雨の匂い濃厚。真綿でしめるような小雨の重さ。軽微な鬱の兆し。 @盛岡市(高松の池)
入梅の兆しがi池に漂う。 光は、十重二重の雲に濾過され、 辺りの輪郭を優しくなぞる。 この水彩の朝に、私は、私を描き加える。 太くやわらかい鉛筆の芯で 道の片隅に佇ませる。 束の間、ここで呼吸し物思った私を描きとめる。 いつの日か、 同じ場所に立ち止まる私に向けて描きとめる。 六月の雫にといた絵の具で 私は「はかない永久(とわ)」となる。 筆が雨季に洗われ、 すべてが、にじみ、ぼやけ、流れ、消える前に。 |
6月8日(木)
曇り空から、おずおずと青空など滲み出たのだが、大気の感触は、どこか薄ら寒かった。 @盛岡市近郊
あなたが、その英知を傾け、 守ろうとしているのは、何だ。誰のためだ。 すべてが規則通りであれば 寡黙な人物で終るあなたは、 ひとたび事が起きれば気色ばむ。 俄然精彩を放つのだ。 (そのナイフの様な眼差し。私には記憶がある) あなたは、窓という窓のカーテンを閉め、 ブラックリストを開き、手際よく調べ上げ、 口籠もる者を問い詰め、追い込み、言葉尻を捉え、 一気呵成に報告書を綴るのだ。 (その息をもつかせぬ論理。私には記憶がある) 心の襞や行間のこれっぽっちも無い 事実関係とやらを嬉々としてまとめる姿。 取調室を支配する己の鋭利に陶酔する姿。 (人には隠しきれない風が吹く) |
6月7日(水)
想定外の波乱雲。びたびたと叩きつける雨粒。それは梅雨の序章。なんちゃって。 @盛岡市近郊
人を、疑い、調べ、断じ、裁く者よ 血を流した者に迷いは無いのだ。 人を斬ったことしかない者は、 斬られることを怖れるものだ。 無傷への拘りで死に物狂いだ。 その心の有り様が 最後の踏み込みを鈍らせる。 どんなに立派な識見や威風堂々の剣も 傷だらけの野良犬の牙には遅れをとる。 その間合いは、 斬られた者でないと、わからない。 身を捨てて挑む刃に、かなわない。 真に危機を捌くには、 恐怖の縁に立った過去ぐらいでは 所詮、役不足なのだ。 |
6月6日(火)
転落へ向かう空模様は、絶妙の減速で、霞みながらも青空がのぞき、汗を誘った。 @滝沢村(トライアルパーク)
私が今していることは、 その場限りの勢いで何かを越えているだけだ。 とっくにお見通しの達人は、 「ものを越える道理」を説き始めた。 越えるべきものへの「間合い」「速度」「角度」、 マシーンの動きに応じた「操作」、 抜重などの「体の捌き」。 それらすべてを意識すると金縛りに遭ったように 無様なトライになる。 「そういうものです。それでいいんです。 一度バラバラになるんです。 体が考えているからです。 出来るようになって、また、出来なくなって、 そうして理論と実践が歩み寄っていく。 理屈を体が理解して本当の力が身につくのです」 達人は、静かな笑顔を残して私を一人にした。 |
6月5日(月)
透明度に欠ける晴天ではあっても、乾いた大気は依然北国の初夏。それにしても梅雨間近の週間予報。 @盛岡市(北上川沿い)
人は、そのまま、 天地の狭間で、 つつましくも正しく、 ほがらかに生きていけるのに、 気紛れに 値踏みの秤に乗りたがる。 一番輝く勲章欲しさに 無理に無理を重ねて努力する。 笑顔を歪めて無縁な者と契りを結ぶ。 審判を下す顔ぶれ次第で 結果は決まっているのに、 無残な汗をかきたがる。 |
6月4日(日)
白く濁った何とも曖昧な晴天。稜線以外に存在を確認できない岩手山。夕刻の曇り空も、うっすらぼんやり。 @盛岡市
6年目を迎えた愛機の痛みは、一目瞭然だ。 けれど、6年前より果敢に走る。 壊しては直し、調整を施し、あれこれ試し、 練習を重ねながら、 ようやく自分のものになって来た気がする。 その本領の片鱗に触れるまでには、 果てしない距離があるけれど、 日々私を前に進めてくれる。 遥々スペインから運ばれてきて、 倒され、落とされ、叩きつけられ、 なお走ろうとする魂に 私は支えられているのだ。 今、私が捧げられる感謝は、 一心不乱の練習と、 新しい歯車(スプロケッド)ぐらいのものだ。 |
6月3日(土)
最高気温23度4分(盛岡)は、あくまで参考。いわゆるピーカン。紫外線激烈。まぎれもない北国の真夏。 @滝沢村(トライアルパーク)
披露宴の寸前まで、ここにいた。 きらびやかな拍手の中で、 岩となった掌のマメを撫でていた。 晴れがましいフラッシュの中に、 立ち往生した斜面が浮かび上がった。 ケーキ入刀のクライマックスに 右足の青アザがかすかに疼いた。 夜空に炸裂する祝福の花火に、 攻めに入るエンジン音が重なった。 (ごめんよ) 幸福の絶頂の二人を前に 僕は、今日一日の僕の幸福を反芻していたのだ。 |
6月2日(金)
山並みに低く絡む雲。風に乗り流れ流れ、青空と陽射し途切れ途切れ。乾いた夕風かすかに冷えて。 @滝沢村(トライアルパーク)
(次なる修羅場) 行く手には深山幽谷。白い飛沫を上げる沢。 苔むした夥しい岩石。鬱蒼たる急峻な樹林。 (さて、私よ) 風景に漫然と向き合い圧倒されていないか。 眼に映るものは無数だが、 真に乗り越え踏み越え、かわすべきものは、 ごく限られたものだ。 (さあ、見極めろ) ひとつの岩、ひとつの木の根の意味が分かれば、 進むべき道筋は、自ずと決まるのだ。 人ひとりが辿る道筋など、ささやかなものだ。 見渡す限りの風景と格闘してはいけない。 |
6月1日(木)
雲の多い衣替えの朝だったが、順調に青空は広がっていった。 @滝沢村(トライアルパーク)
少し早起きした。 トライアル場を管理するIさんから鍵を預かり、 門の鎖を解く。 「山を開く」といった気分だ。 キックバーを踏み抜くと 雲間から新鮮な光が射す。 山の緑が透明に輝き出す。 野鳥のさえずりが高まる。 厳しいターンと短い助走を入れて 胸を突く急斜面で昇降を繰り返す。 来週のための練習ではない。 目先の大会の準備ではない。 こいつと幾つも季節を越えていくための いわば「決心」だ。 |