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イワテバイクライフ2006年6月後半


6月30日(金)
まあ、たしかに午前中は霞み加減に晴れていた。空の下り坂は予報を嘲笑い、早々に夕刻の雨。 @滝沢村(トライアルパーク)

  ざっと見渡したところ、
  山にいるのは私だけだ。
  
  確かに人間は私だけだ。
  カモシカは息をひそめ、
  樹林越しに窺っている。
  野ウサギは低く身構え、
  関わりたくない風情だ。
  
  斜面と格闘し叫ぶのは、
  赤土まみれの私だけだ。
  
  息も乱れて喘ぐ肩口に、
  神が鳥となってとまる。
  円熟したウグイスの歌。
  悟りをひらいた命の笛。
  澄みきってたくましく、
  迷いの枝を離れた野性。
  (さあ飛べ)と励ます。


6月29日(木)
梅雨の中休みどころか梅雨明けを幻想させる透明な青空。心地良く乾いた夏日(盛岡で25度1分)。 @盛岡市(岩洞湖畔)

  砲手は、やがて老境に至り、要塞を離れる。

  もの静かな暮らしに欠伸して
  湖畔で鉄砲を撃ってみると、
  嘘のように良く当たる。
  正確に鋭く的をとらえる。
  銃口は森羅万象に向けられ、
  闊達に火を吹く。
  やがて要塞の大砲が愚鈍に思える。
  「だから俺じゃなければだめなのだ」

  (ならば、要塞で、お前は日々何をしていたのだ)
  砲身を向けてはいけない方角でもあったのか。
  けして設定してはいけない角度でもあったのか。
  使ってはいけない強力な砲弾でもあったのか。
  空砲と知らず撃たされていたとでもいうのか。
  
  背負うものもないお前が撃ち放つものは、
  所詮、真昼の気ままな「花火」だ。


6月28日(水)
盛岡では午前10時頃激しい通り雨もあったが、何食わぬ顔で梅雨の晴れ間が現われ、各地真夏日前後。 @盛岡市

  霧は山頂に届き私を隠していく。
  
  吹き上がる風に緑の甘さが匂う。
  濡れてさえずる野鳥の翼が匂う。
  白い風が運んで来る過去が匂う。
  ナパーム弾の壮烈な火炎が匂う。
  決戦の場へ行進する軍馬が匂う。
  戦車に踏みにじられた花が匂う。
  幾多の人々を焼いた重油が匂う。
  銃剣を握り息を殺す鉄兜が匂う。
  明日を捨てて飲んだ酒気が匂う。
  とどめの一撃を免れた兎が匂う。
  捨てられ水求める獣の汗が匂う。

  この霧が払われた時、私ひとり。

  世界を閉ざす悪魔の前にひとり。
  不条理の記憶を手斧に私ひとり。


6月27日(火)
夕べからの雨は、弱いながらも降ったり止んだり、梅雨到来を周知した一日。 @盛岡市

  強まる雨音が後を追ってくる。
  鬱蒼たる緑を叩いて追ってくる。

  私は、ここに立ち止まり、振り返り、
  梅雨を待っている。

  みるみる道が黒く艶めく。
  見上げる木々の葉が光り出す。

  (嗚呼、これが雨滴の温もり、雨滴の重さ)
  
  したたる雫、首筋濡らし、
  したたる血、夏草染めて、
  したたる涙、私に届いた。


6月26日(月)
昨夜の雨に濡れた街は、不透明な晴天もどきに乾いたのだが、幾分の蒸し暑さは、梅雨本番の気配。 @滝沢村・鵜飼

  つまり、それぞれの地において、
  それは、そういうことなのだ。
  あれは、ああいうことなのだ。
  遙か昔から決まっているのだ。
  
  理由を問う者などいないのだ。
  それで、うまくいくのだ。
  誰も困らないのだ。
  
  動かぬ風にしびれを切らせ、
  殊更に声を上げ、頭をもたげる者は、
  打たれるのではなく、抜き取られるのだ。
  
  ならば孤立無援の杭は、
  ぬくぬくと、深々と、この地に埋まり、
  そういうことや、ああいうことを
  季節のひとつと受け止め、
  梅雨の土中で穏和に腐乱し、
  そういうことや、おおあいうことに
  とけてしまうだけなのだ。


6月25日(日)
イワテの6月下旬はいつもそうなのだが、梅雨入り後も爽やかなのだ。そして、それは今日までのことだ。 @滝沢村

  庭の芝生に白バラが溢れている。
  見上げれば抜けるような青空だ
  眩しくも静まり返る日曜日の朝。
  北国の水をコップに満たし飲む。
  愛機も燃料もブーツも車の中だ。
  早起きし、いつもの山へ向かう。
  イメージ通りの朝風が流れ出す。
  
  (確かにここまではその通りだ)
  
  山腹で昨日の続きを始めた途端、
  何も向上していない私に出会う。
  思い描くラインに乗れないのだ。
  身体と意図がひとつにならない。
  それでも私を信じて挑み続ける。
  
  (心意気だけはイメージ通りだ)


6月24日(土)
力強い夏空。一関で28度、盛岡でも26度。流れ出す汗も日陰に入ればすんなり乾く。爽快な大気。 @滝沢村

  山腹の緑陰には爽快な風が吹き渡る。
  (それは、さておき)
  朝の山は少し湿っていた。
  練習問題は「這い上がりながらの急旋回」だ。
  いっぱいに切ったハンドル。
  バイクを倒し込み、Y字バランスを保っている。
  ぬめる赤土が「動けば掬う」と警告している。
  目の前に、木の根が泥を纏って露出している。
  (どうする?私よ、どうする?)
  こんな「立ち往生」を果てしなく繰り返して来たのだ。
  (だから、基本を身につけてください)と
  師の言葉が蘇る。
  「ステップを踏み込んだ内側の足のふくらはぎで
  倒し込んだ車体を受け止め支え、
  外側の足の爪先と膝は前輪と同じ方向を向き、
  立てた胸板はハンドルと平行になるように・・・。」
  立ち往生から逃げ出したくてスロットルを開けるのか、
  見定めた方向へ私と愛機を導くのか、
  その差は大きい。


6月23日(金)
午前中の急速な天気回復は「大雨洪水注意報」を撤回させ、夕刻の「雷注意報は小雨に笑われた。 @盛岡市

  殊更に
  結論を要求する者に限って
  何も決めない。

  殊更に
  遠くを見つめる者に限って、
  下世話に拘る。

  殊更に
  美を論じたがる者に限って、
  政にうるさい。

  殊更に
  相手を覗き込む者に限って
  視線をそらす。


6月22日(木)
夏日、それも、不快指数を伴った晴天。夕暮れの疲労感も殊更に濃く。 @盛岡市

  見渡す限りの荒野で、愛馬が病に倒れた時、
  助けを求める声に足を止めてくれる人影が
  天使だとは限らない。


6月21日(水)
盛岡では夏日に迫り、沿岸部では27度に届くなど、まずまず夏至らしい梅雨の晴れ間。 @雫石町

  抗うために積み上げる城もいらず、
  輝くために並べ立てる功もいらず、
  覆すためにくわだてる策もいらず、
  私は今日も風に吹かれるばかりだ。

  夕べの雨に濡れ今朝の薄日を吸い、
  刈り取られた草は列を成し波打ち
  丘一面に吹き渡る風を青臭くする。
  いずれ牛達が反芻する草の匂いだ。

  幾度となく此処で確かめたことは、
  この季節の眺めと風の匂いだけは、
  私が土に還った後も変わらぬ事だ。

  抵抗と野心と画策が人を変えても、
  刻まれた大地の記憶はそのままだ。


6月20日(火)
そういえば小雨がぱらついたかもしれない。けれど概ね崩れる気配もなく朝は昼へ昼は夜へ移ろう。 @滝沢村

  朝の山に寝ころぶ。

  鶯が鳴く。
  自らの喉に惚れて鳴く。
  自在に調子を変えて鳴く。
  (恋は成就したのか)

  雉が鳴く。
  警戒か威嚇か、騒ぎ立てる。
  胸をかきむしり大気を引き裂く。
  (夕べ殺し合いがあったのか)

  嗚呼、こんな火曜日の朝。
  動き出した街の轟音を彼方に聞き、
  大地に身体を預け、目を閉じる朝。
  野性に耳を傾け呼吸する朝。
  何もかも失い、あるいは、真理に至り、
  今夜の野宿を算段する男の気持が
  この胸板に忍び込むのだ。


6月19日(月)
梅雨前線は南へ遠ざかったが、陽射しは曖昧で、時折の小雨に洗濯物も濡れた。 @盛岡市

  凡庸ゆえに矢面に立たず。
  退屈ゆえに期待もされず。
  無欲ゆえに敵役にされず。
  非力ゆえに背負わされず。
  人知れずこのまま流れろ。
  面白可笑しくなく流れろ。
  素っ頓狂な笑い声を慎め。
  思いついて頑張り出すな。
  このままじっと潮に乗れ。
  めざす暁の浜へ辿り着け。
  頭など上げずに流れ着け。
  海原埋める上陸用舟艇よ。
  諦観の大群を無事に運べ。
  


6月18日(日)
曇ってはいたが、空気はさらっと心地良く、夕刻からの冷涼は、いかにも北国の梅雨。 @滝沢村(トライアルパーク)

  山腹の踊り場で昨日の続き。
  いや、辿るべき道筋は更にタイトを極める。
  ひとつの円を描いていた所に
  ふたつの円を描くような設定だ。

  斜面を這い上がりながらの急ターンは、
  宙に身をねじり上げてリーンアウトの構えを保つ。

  クリーン(足つき無し)など出ようものなら
  仲間の雄叫びだ。

  傍目には、ひどく地味な練習問題だが、
  軸を常に立てるバランスと筋力、
  それに構えと呼吸が整った瞬間に動く決断が
  試される。

  さて、マシーンを完全に押さえ込み、
  辿るべきラインを心におさめた精鋭の
  もの静かな凄味が、私は好きだ。


6月17日(土)
梅雨前線の射程から外れて、そそくさと青空が現われた。幾分の蒸し暑さは、まあ許せる。 @滝沢村

  昨日の雨を吸った赤土は、
  作法を誤ると
  進ませてくれない。
  上らせてくれない。
  曲がらせてくれない。

  山の斜面に設けた練習問題は、
  厳しいターンの連続だ。
  有効な道筋は、タイヤ一本分の幅で、
  加速の呼吸は、数センチの中にある。

  トライを重ねるほどに
  クリーン(足つき無し)など不可能と思える頃
  うまくいったりする。

  (何故うまくいったのか)
  自らに説明がつくまで、再びトライを重ねる。
  曖昧な成功ほど向上を阻むものはないから。
  


6月16日(金)
テレビやラジオが警戒するほどの雨雲もかからず、いささか暢気な週末の気配。 @盛岡市

  (そんな夕暮れがあったな)と
  いつか私は、
  今日の私を思い出してくれるだろうか。

  (そんな時期もあったな)と
  いつか私は、
  今日の私を笑ったりするのだろうか。

  (でもね)
  いつか、そこにいる私の一切は、
  この夕闇に染まる私の手に握られていることを
  忘れちゃいけないよ。

 

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