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イワテバイクライフ 2006年8月前半


8月15日(火)
「雲り」の予報の隙間を突く晴れ間は、充分過ぎる真夏日の晴天だった。 @滝沢村

  (今日も、ここへ来たのは)

  「力」が有り余っているのか。
  「時」を持て余しているのか。
  あるいは、
  求めて止まぬものがあるのか。
  尽きる事なき思いがあるのか。
  
  (理由などない)

  挑むほどに、
  私という空白の領域が見えてくるだけだ。
  未踏の白地図が地平の彼方へ続くのだ。


8月14日(月)
朝方の薄雲は天気予報に促されるように流れて消えて、不快な熱気漂う午後になった。 @滝沢村

  夢を見た。

  光の在処も曖昧なバーのカウンターで
  親父は、私の目を覗きこむ。

  (さて、お前の噂だが)と
  他愛もない誤解や、くだらない風評を
  大小並べ立てるのだ。

  私が、ひとつひとつ説いて明らかにすると、
  (ほお)と親父は微笑む。
  「苛立たず、静かに、整然と説明した。
  お前は変ったな」
  (それで、いい)と幾度も呟いて父親は席を立った。

  窓からの生ぬるい風で夢は醒めた。
  ひとつ越えられたものを、
  あなたに報せたかったのに。


8月13日(日)
青空の印象無き晴天。蒸し暑い真夏日。夕刻に至り激しい雷雨。それも、いっときのこと。 @滝沢村

  (ねえ、あなたも不思議な人ね)

  縁もゆかりもない土地に
  すっかり惚れ込んで、
  人生まで捧げて
  森や雲や風がどうだとか、
  光線や大気がどうだとか、
  夜明けと共にどこかへ出掛け、
  泥だらけになって帰ってきて、
  満たされた顔して仕事へ向かうのよ。

  夜は夜で、今日の思い出に酔って
  「こんな幸せが、どこにある」と
  うわ言のように繰り返すのよ。

  (いったい山には何が待っているの)と
  君は微笑むのだ。


8月12日(土)
曇りがち。盛岡では10日ぶりに30度を下回った。夕刻、束の間の大雨・洪水警報。 @滝沢村

  目覚まし時計に不意を突かれた。
  (早朝5時だ)
  朦朧としながら「早起きの理由」を探す。

  仕掛けたのは、昨日の私に他ならない。

  (どうか練習して欲しい)という
  メッセージなのだろう。

  二度と無いこの夏に
  昨日の私は、よほど恋していたのだ。
  一夜明けた私の気持ちがどうであれ、
  (山へ向かってくれ)と
  祈るように「朝5時」を設定したに違いない。

  (わかったよ)
  昨日の私が出来なかったことを全て引き受けて、
  昨日と同じ夏に挑む。
   


8月11日(金)
息の長い熱波。アスファルト上に瞬間炎が立ちそうな真夏日。夕刻の雷。閃光と轟音、尽きること無し。 @滝沢村

  どんな不安定の中にあっても
  愛機を抑える。
  どんな急旋回を求められても、
  愛機を導く。
  単純極まりない課題こそ、難しい。

  ステップに乗せた爪先の意識。
  傾く車体を受け止める内側のふくらはぎ。
  前輪の角度にシンクロする外側の膝。
  進むべき方向に正対する胸板。
  そして、後輪に荷重をかける腰の位置。
  流れの中で、すべて均衡しなくてはならない。

  長尺のセクションを設け、
  クリーンするまで許さない。
  まれに思いを遂げては、
  号泣めいた雄叫びを上げ、
  大地にのたうって酸素をむさぼる。
  寄り添う木漏れ日の中で。
  


8月10日(木)
東北の太平洋南岸から東へ遠ざかる台風7号など、別世界の話で、今日も真夏日。宵闇に雷鳴。 @滝沢村

  例えば、英単語。
  幾度も書いて発音して覚えて、
  (もう大丈夫)と思ったところから、
  更に100回繰り返す。
  仕上げに例文を100回綴って(よし)とした。

  私のトライアル修行に
  理屈も根拠も、あったものではない。
  ただ繰り返す。
  形の上の余裕が生まれて、
  試技に意志を表現できるまで繰り返す。
  出来なければ、ぶっ倒れるまで、やる。

  一切の力みが汗となって流れた頃、
  さらり出来てしまう瞬間の嬉しさが
  わかってきたから、
  氷の様に醒めて、半狂乱の如く熱く、
  同じ事を幾万通りも繰り返す。
  


8月9日(水)
夏雲泳ぎ、陽射し遮る。けれど盛岡は7日連続の真夏日。台風の接近で不快指数上昇。 @岩手山麓

  まずは走り込む。

  高原の風だから、
  スタンディング走行だから、
  全身を真夏が貫通していく。

  次のセクションめざして
  森を駆け抜ける日のように、
  待ち構えるものに
  こちらから踏み込んでいく気概に満ちて
  速度をのせる。コーナーに切れ込む。
  しゃきっと気持を立て、行く手に向き合う。

  トライアルマシーンの部品が
  早々届いたという知らせが入らなければ、
  おそらく、私は、
  宵闇を照らす風となっていたに違いない。


8月8日(火)
一切の情報から隔離された夏休みであっても、まず、相当な真夏日であることに間違いなく・・・。 @田沢湖畔(秋田県)

  夏休み四日目。

  「イーハトーブトライアル大会」の
  参加受理票も届いたのに、
  マシーンは、2日前の泥を纏ったままだ。
  破損した一本のリヤブレーキペダルで、
  夏の過ごし方が大きく変る。

  トライアル修行を離れ、後生掛温泉で保養。

  夕刻、初回点検を済ませた(こいつ)で
  田沢湖へ夕涼み。
  
  バルブクリアランスを調整したはずだが、
  シリンダーヘッドから、シャラシャラと異音。
  (ままならぬこと)ばかりかかえて
  夕闇にまぎれる。


8月7日(月)
白濁の晴天は岩手から青森まで覆い、随所の道路標示も口を合わせて32度を告げていた。 @竜飛岬(青森県)

  夏休みも三日目。

  激戦のトライアルから、
  いち夜明けて、身体は鉛の様だ。

  「完全休養」を自らに宣告し、
  このソファーに腰をおろした。

  加速するのではなく、ただ彼方を求め、
  旋回するのではなく、ただ地形を知り、
  やすらかに
  潮風に包まれ、波動に満たされ、
  昨日までの「真剣」を
  束の間ねぎらったのだ。
  


8月6日(日)
今日一日を過ごした宮城県の山中においても、人から水分と気力を持ち去る陽射しと熱気に見舞われた。 @菅生サーキット(宮城県)

  22のセクション(競技区間)を巡って
  美しくも険しい山中を行く。

  出だしの5セクションをクリーン。
  手応えを掴んだ直後、
  リヤブレーキペダルが折れて無くなった。
  (急坂落としの場面は極僅か)と踏んで、
  競技を続けた。
  とはいえ、
  飛行機で言えば尾翼を失ったようなものだ。
  気合いを込めたアクセルとクラッチワーク、
  ぎりぎりのフロントブレーキ操作で
  不本意な減点を重ねながら何とか完走。
  それでも望外の成績が待っていた。

  敢えて総括するなら、私は愚かな競技者だった。
  万が一の部品も携帯せず難関に挑むなど、
  無謀の極みなのだ。
  挙げ句の果て、リスクを負い、仲間に心配をかけ、
  たまたま無事であったとして(それが、何だ)。


8月5日(土)
盛岡から仙台へ南下しても、べたべたの真夏日であることに変らず、車中はクーラー全開。 @菅生サーキット(宮城県)


  明日の競技会に向けて
  車にマシーンを積み、
  盛岡を出たのは午後3時過ぎだった。

  会場の菅生サーキットに入った時には、
  すっかり日が暮れていた。

  周囲に野営する灯は数えるほどで、
  我ら仲間三人の宴が始まる。

  麦酒なら底無しのY氏は、
  缶麦酒三本で世間話を切り上げ、
  早々に車中の寝床へ消えた。
  つまり、勝負に入ったわけだ。

  慣れぬ早寝の枕元には、ラジオが添い寝する。
  巨人戦の中継が、遙か異国から届く熱狂のように、
  波打っている。
  

8月2日(水)
梅雨明け、とはいえ霞み加減の晴天。混濁の大気。低温と日照不足の後遺症の方が鮮明。 @滝沢村(トライアルパーク)

  「あ」とか「ド」とか、
  ひとつの声や音で
  何もかも判明してしまうことがある。

  困難なものに対峙するには、
  (越えるべき声や音)がある。
  (山の頂へ届く呼吸)がある。

  その先を思うほどに、求めるほどに、
  挑まずにはいられない。

  神よ、
  今日も
  不可能と可能の境界線上に
  我を遊ばせたまえ。


8月1日(火)
薄雲を通した八月の光線は落ち着いていて、時折の風も爽やかで、真夏とは異質の一日。 @滝沢村(トライアルパーク)

  山上の風に
  エンジン音がまじる。
  弾ける2サイクルエンジンだ。
  山腹を這い上がり、駆け上がって来る。
  強弱緩急のスロットルワークが
  野太い咆哮にアクセントとリズムを与え、
  最後の斜面にさしかかる。

  とにもかくにも、この山において、
  火曜日は、名人の稽古の日と決まっている。

  目前に迫った全日本選手権(北海道大会)を見据え、
  崖に飛びかかり、岩を越えていた。
  ひとつひとつ噛み締める様に挑んでいた。
  心に一本のラインを探る様に間合いをとっていた。

  (静かだなあ。今日の山は、静かだなあ)
  幾度か、そう呟いていた。


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