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イワテバイクライフ2006年10月前半


10月15日(日)
気圧配置の安穏は、まったく天空の政権交代すらイメージさせず、ただ欠伸を誘う一日。 @滝沢村(トライアルパーク)

  まだ陽も高いというのに
  見上げれば
  秋晴れだというのに、
  あたりの空気は黄金色なのだ。

  赤土の急斜面に挑むライダーは
  冷えた光の中に駆け上がり、
  深い影の中に降下して、
  再び陽射しの中に現われる姿は、
  すっかり夕焼け色に染まっているのだ。

  懐かしい匂いではないか。
  少年の日の帰り道だ。
  
  まだ陽も高いというのに
  見上げれば秋晴れだというのに。


10月14日(土)
最低気温が2度6分(盛岡)とは不意を突かれた。けれど日中の穏和に、一切はうやむや。 @岩手山麓

  (もう、ずいぶん前の話だが)
  岩手に辿り着いて間もなく、
  私は、こんな秋に出くわしたのだ。

  目を見張り、言葉を探すことすら忘れ、
  その瞬間が現実であるかどうかの判別もつかず、
  わけもなく溢れるものに濡れて、跪いたのだ。

  何かと闘ってきた心が一気にとけ出し、
  崩れようとする柱を
  大地と光は、やわらかく受け止めてくれた。

  その深い深い情けの微熱に触れて、
  私は、原始人のような声で泣いたのだ。

  あの日以来、
  私は、ずっと、ここに跪いたままだ。


10月13日(金)
盛岡市で最低気温が氷点下と言われても、それは別格の藪川のこと。夕刻の急速冷却の方が身に染みる。 @花巻市東和町

  斜光に照らされて
  東和町へ急いだ。

  東京から岩手に移り住み
  音楽活動をしているM氏に会うのだ。

  約束の時刻は16:00。
  そんな時に限って
  路傍の秋に足を止めたりする。

  影はみるみる長くなる。
  制限時間は刻々と迫る。
  
  冷えゆく田園に
  振り返るべき時。先を急ぐべき時。夢中の時。
  黄金色の時間。


10月12日(木)
異様になまぬるい大気と濃霧注意報で迎えた朝は、やがて不透明な晴天をもたらし、うやむやな夕暮れへ。 @花巻市

  帰るべき場所へ帰って来たという感慨は
  変らぬ山や川の眺めに迎えられて
  こみあげてくるものだが、
  花巻空港に降り立つ窓から見えるこの文字も、
  何故か心に入って来る。

  それは、すでに文字ではなくて、
  思い焦がれた土地の印象なのだ。
  
  四季の大地が、
  空に舞う望郷の群れめがけ
  「岩手は、ここだ、ここだ」と手を振る。
  そんなサインのひとつに見えて仕方ないのだ。


10月11日(水)
秋空の安定期に入ったようだ。ただし、透明とか爽快とは凡そ無縁な記録上の「晴天」 @岩手山麓

  「あなたの寝顔を見ていて、思った。
  ほんとうに気力だけで生きている人なんだって」

  風の中で、君の言葉を反芻する。
  残念なことに、僕は僕の寝顔を知らない。

  (けれど)
  12年前の秋、
  心で生き延びることを覚え、
  10年前の夏、
  この地に巡り合って以来、
  懸命であることが、
  苦しみではなく、むしろ喜びになり、
  そして日課になった今、
  僕の夜は、
  どこまでも安らかなのだ。
  


10月10日(火)
太陽はあっても蒼くならない空。霞を一枚二枚と重ね、冷えた曇り空になりたがる。 @秋田県由利本庄市 
  
  風車ではない。
  見たかったのは、
  秋の風だ。

  白いプロペラに
  ざくざく切り落とされていく
  風を見上げたかったのだ。

  海ではない。
  見渡したかったのは、
  秋の光だ。

  寒気団が匂う海原の琥珀を
  この目に掬い取っておきたかったのだ。


10月9日(月)
快晴。この秋一番の寒気で岩手山は初冠雪(平年より4日、去年より15日早く、東北では最も早い初冠雪)。 @岩手山麓

  昨日のトライアルのせいなのか。
  泥を纏って重く、滑ってままならず、
  行きたい所へ届かなかった記憶のせいなのか。

  不思議だ。今朝のこいつは、驚くほど軽い。
  不思議だ。今朝のわたしは、とても自由だ。

  行きたい所へ視線を送るだけで
  こいつが至極従順に付いて来る。

  見上げる眼差しの先に初冠雪だ。

  不思議だ、
  季節の流れまで、今朝は間近だ。
  進むべき道筋が、今朝は鮮明だ。


10月8日(日)
さんざん岩手を叩いた強風や大雨。その余韻は小雨の断続。完全収束への感触は皆無。 @八幡平市

  大雨だとか強風だとか、
  一切合切を山野は受け止め、
  道という道を困難の極みに引きずり込んだ。

  牛糞をこねて滑る(ぬめる)牧野の黒土。
  苔むす岩や艶めく木の根。雫を吸った腐葉土。
  そこに傾斜や急旋回が用意されている。

  (もはや、泥団子となり笑わなければ挑めない)

  進み、もがき、着く足を
  「減点」とされる競技において、
  嵐の後、何十回も足を着いて優勝する者もいれば、
  晴天のもと、着いた足が、たった1回でも
  1番になれないこともある。

  人と自然の「駆け引き無し」だ。


10月6日(金)
水滴から小雨へ、冷えてずぶ濡れの一日の記憶など、もう忘れたいほど重い。 @盛岡市(某ディーラー)
  
  (それどころではないらしい)

  天を突く塔がへし折れ、吹き飛ばされても、
  (明日発つ者は、荷造りで忙しい)

  大地の淵に聳える山が、轟音立て崩れても、
  (明後日発つ者は、見て見ぬふりだ)

  暁の空を真紅に染めて、星が落ちて来ても、
  (三日後に発つ者は、立ち尽くすだけだ)

  旅人にとっては「離れる日」が全てだから
  その日までの無事が最大の関心事で、
  次の旅路を思い、指折り数えたりするのだ。

  まったく、真面目な顔をして、うわの空で、
  (今日も、その様だ)

  
  (画像と本文は一切関係がありません)


10月5日(木)
濁った大気を通して陽射し(最高気温23度3分)が届く「秋らしさ」の希薄な一日。宵闇に雨の気配。 

  隠然たる力が
  どれほど穏やかな口調であろうと、
  「何とかならないものか」と話を持ち出すのは、
  命令であり、最後通告なのだ。

  恐怖の鎖で繋がれた徒党を引き回し、
  「何とかならないものか」と迫ることは、
  もはや、待ったなしの津波なのだ。

  ああ、善意と温厚な風に満たされながら
  何かを根こそぎ持ち去られる里の地獄よ。

  (ねじ伏せられた静寂を平和とは言わない)


10月4日(水)
冷えた朝霧は早々に払われ、育ちの良さそうな秋晴れが主役になった。その「ぬくぬく」は夏日に近かった。 @八幡平市(岩手山麓)

  小さな窓から
  空ばかり見上げていると、
  達観の幻覚がおとずれ、
  不覚にも人生を断言したがる。

  (だから、ほら)
  昨日の箴言も、今朝は紙屑だ。

  ただ山だけが、
  悠然として答えを出さず、
  不用意に明かすことなく、
  雲の彼方に連なっている。


10月3日(火)
束の間の青空も暗い雲に包囲され、やがて連れ去られた。けして寒くはないが、何だか肩をすくめたくなった。 @滝沢村(トライアルパーク)

  私が、この地へ来た理由など
  もはや誰も問わない。
  
  私が、ここで最期を迎える理由など
  もはや誰も質さない。

  あの秋、コンクリート詰めにされた私は、
  腐乱の果ての白い骨だ。
  巨大なものの安寧のために封じ込められた真実は、
  わたくしという体(てい)のよい美談にすりかえられ、
  不器用な幸せを演じている。

  (もし語り出せば、すべてが崩れ出すから)
  私を、ここに置き去りにするがいい。


10月2日(月)
妙に空気はやわらかく、風もなく、控えめな曇り空から、やがて、すべてをしっとり濡らす小雨が断続。 @盛岡市(鉈屋町)

  本当にやりたいことから
  十数年も引き離されていると、
  錆び付くのか。

  (そうではない)

  歳月を受け入れる日々の中、
  大きく見渡す目が備わる。
  野心が洗い流されて、
  ありのままを楽しむようになる。
  守るものもないから、
  のびやかに打ち込んでいける。
  多くを求めないから、
  核心を掴みあげるのが速くなる。
  そして、さんざん泣いたから、
  よく笑って人を励ますようになる。

  (なあ同志よ、そうではないか)


10月1日(日)
雲は流れて青空広がり、陽射しに夏の残り香。夕刻から薄雲に覆われ、天気下り坂へ。 @滝沢村(トライアルパーク)

  わたくしが日々綴るものは、
  実は、わたくしの呼吸と肉声を通して生まれた
  思いの抑揚といいますか、間合いといいますか、
  そのようなものでございます。

  他人(ひと)様には
  不可解なリズムかもしれないのですが、
  しかし、
  私という楽器に寄り添う楽譜のようなもので、
  すべては、
  私の声音になろうと
  あらわれたものでございます。

  胸におさめた四季を吐息にかえて
  私の弦をふるわせるために
  今日も風を呼吸するのでございます。


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