TOP

イワテバイクライフ 2007年1月後半 


1月31日(水)
曇天の朝を見渡せば「天気好転」の気配無し。風に水滴と陽射し紛れ込んで、やがて束の間の晴天。 @盛岡市(神子田)


  今日
  答えが出なくてもいい。
  何が何でも正しくなくていい。
  曖昧でいい。
  何となくでいい。

  (いいなあ)と風に呟きながら
  幾度も同じ風景の中を駆け巡り、
  いつか正解に辿り着ければいい。

  この道程は鉄路ではないのだから、
  着々でなくていい。
  それとなく在ればいい。

  歳月が持ち去った色や
  季節が加えていった色を
  心にとどめて、
  誠実に色褪せるものでありたい。
  

1月30日(火)
流れる雲も僅かな快晴。陽射しの濃度は、すでに4月を断言させる。まさか2月に初夏の出現か? @八幡平市(岩手山麓)

  立ち去る影よ、
  「もうやめた」と
  殊更に言いふらすな。

  「止めた」のではなく
  つまり「止まった」のだから。
  未練がましく思い出を語るな。
  甘い涙声に恨みなど込めるな。

  真に走り続けた者の「決別」とは、
  さり気なく速度を落とし、
  粛々と風から離脱し
  振り向かれることなく、
  黙って路肩に佇み、
  遠ざかるものを
  すがすがしく見送るものだ。


1月29日(月)
山に続く雪道は光吸ってざらめの輝き。まるで春のようだと言っているうちに本当の春は来る。 @八幡平市(安比高原)

  十を持つ者が
  ひとつ出したからといって
  褒めないのが上策。
  (ならば、これでどうだ)と
  残りの九つを出して来るのを
  待てばよい。

  ひとつ持つ者が
  粗末なひとつを出したなら、
  褒め上げるが得策。
  (ならば、これもどうだ)と
  ふたつ、みっつと努力するのを
  待てばよい。
     


1月28日(日)
たまに降り積もってみせる湿り雪に居座る力などなく、陽射しの中で水しぶきとなって消えた。 @盛岡市

  人は
  目障りなものを潰すことには
  実に熱心で、
  精緻に策を練り、
  幾重にも罠をしかけ、
  我慢強く時を削り、
  悪魔になりきる。

  ところが、
  本業に戻ると、
  おおむね鷹揚で、
  まずまず明朗で、
  ほどほどだったり、
  そこそこだったり、
  ときに諦めたり、
  あるいは満足したり、
  ほろ酔いの天使に
  なったりするのに。


1月27日(土)
湿った雪が束の間厚みを見せたが、早々にとけて消えて、雨に洗われた。久々の大雪注意報が声を張り続ける。 @盛岡市

  雪の原に
  無数の赤い糸が並ぶ。
  ところが、
  どの糸を手繰ってみても
  結局、同じ顔に辿り着く。

  電話の糸は
  一見、複雑に絡み合っているが、
  詰まるところ、そこに筒抜けだ。
  (逃れようもないのだ)

  糸を我が身に巻き取り、
  助けを求めれば助けてもくれよう。
  けれど同時に
  すべてを捨てる覚悟も求められる。
  なるほど、
  この大地の寡黙の理由が、これか。
  
  叶うことなら、
  糸など手繰らず暮らしていたい。

  ただ温厚に降りつもる雪のように。
 


1月26日(金)
曇り空を断ち割る斧も無く、昼過ぎには雪も舞って街を湿らせた。下り坂の予報など所詮「春の範囲」。 @岩手山麓

  偶然を支配したくなると
  人は賭けるのか 

  白黒鮮明にしたくなると
  人は訴えるのか。

  人望を確かめたくなると、
  人は立つのか。

  一切の思念を
  即座に形にしてみたくなると、
  戦争が起きるのか。

  雪は賢いから、
  いくら問い詰めても
  真実を語らず
  春の大地に吸われることを
  指折り数えるばかりだ。
 


1月25日(木)
昼前後、大地を濡らすこともできない雪が舞った。真冬日の初観測など、まだまだ先の気配。 @滝沢村(トライアルパーク)

  四日連続のトライアル修行。

  きょうの私は三日前の私と
  何が違うのかよくわからない。

  相変わらず出来ないことばかりで
  纏う泥だけ増えていく。

  けれど
  昼飯の段取りや
  整備の手際はよくなった。

  山で一人すごすことだけは
  ずいぶん覚えた。

  もしかすると私は、
  もっともっと山の上の
  ずっとずっと森の奥の
  こんな時間に
  辿り着ける力が欲しくて
  ここへ
  通い続けているのかもしれない。


1月24日(水)
彼方を白く霞ませるのはスキー場を支える雪雲。それを遠目に盛岡の市街地は「暖冬」の晴天、。 @滝沢村(トライアルパーク)

  関わりたいと思うと
  人は
  足跡を残すか、
  石を投げるか、
  どちらかだ。

  気になって仕方ないと
  人は
  ほめちぎるか、
  こきおろすか、
  どちらかだ。

  癪に障って仕方ないと
  人は
  毎日近づくか、
  無縁を装うか、
  どちらかだ。

  どうにも許せなくなると、
  もはや後先は、ない。


1月23日(火)
青空から小雪が舞った。陽射しを浴びて冬雲がうねった。何より日が長くなった。実感としては3月。 @滝沢村(トライアルパーク)


  
支配した者ほど、
  自らの思いと歳月の重さを
  愛おしむ。

  追放された後も

  断崖の牢から
  巷(ちまた)を見下ろし、
  果たせなかった夢に手を伸ばす。
  (この目の黒いうちは)と
  脱獄の青写真を重ねる。

  衆人の前で
  大伽藍を完成してみせれば、

  すべては許され復権すると
  幻想する。


  その手で握りつぶした

  幾多の人々の思いと歳月など
  忘れ果て、

  過ぎた時代に追いすがる。

1月22日(月)
晴れ間も曇天も予想したほど青くも暗くもなく、ただ一時の午後の春雨もどきが予想外だった。 @滝沢村(トライアルパーク)

  湿った雪の厚さ10cm。
  いつもの山腹を
  下って、また上る。
  
  真っ逆さまのブレーキは、
  かけて緩めてかけて緩めて
  狙い定めた場所で、じわりしめ切る。
  折り返しのターンは鋭角だ。
  タイヤに体重をあずけ、
  包丁で押し切るように
  大地に面圧をかけていく。
  視線がまっすぐ行き先を
  捉えた瞬間、
  後輪に背骨を突き刺す構えで
  一気に駆け上がる。
  ハーケンを次々打ち込むように、
  スロットルを煽っていく。
 
  いつか迎える修羅場で、
  私を押し上げてくれるのは、
  こんな冬の感触なのだ。


1月21日(日)
日曜日の朝の人影もまばらな舗装路は、乾き切り、陽射しにぬくもり、靴をスキップさせる。 @岩手山麓

  「おだやかな日曜日です。
  氷点下の朝の中で
  田圃は凍っていましたが、
  みるみる眩しい陽射しを吸って、
  ぽろぽろと崩れ出し、
  ほっくり黒土がのぞきました。
  まったく雪のない
  一月の見晴らしです。
  青空の中に浮き立つ
  お山の雪の白さが
  何か遠い国のことのように思えて
  私は思わず手を振ったのでした。」

  ここまで綴ってペンが止まる。
  肩越しに覗き込む君がいた。
  (良い子になりたくなったのね)
  君の鼻歌がキッチンへ消えて
  (ふふん)と笑った。


1月20日(土)
どこまでも乾いた舗装路は、戸惑いどころか不安にすらなる心地よさなのだ。それでいて山にはサラサラの新雪だ。 @盛岡市(天峰山)

  ものごとに優劣をつけ、
  まして説明するなど、
  よほどの度胸というべきだ。

  「わずかな差」というのは、
  もしや、交わした杯の数のことか。

  「実に惜しかった」のは、
  もしや、貢いだものの重さのことか。

  「甲乙つけがたい」のは、
  もしや、しがらみの濃淡のことか。

  才能の上乗せは難しいけれど、
  そういうことなら
  なるほど、
  あと少し頑張れば、
  何とかなりそうな気がしてくるから
  不思議じゃないか。


1月19日(金)
置き去りにされた雪の薄化粧など、陽射しにさっさと消された。薄っぺらな大寒の予感。 @滝沢村

  心意気ひとつのコップ酒で、
  (まあ仲良くやりましょうや)と
  笑いあえば済むことなのに、
  筋がどうだ、歳がどうだ、
  順序がどうだ、上座はどちらだ、
  勲章の位と数はどうだ、
  頭を下げるのはどちらだと
  騒ぐ輩に限って
  ろくでもない権威の柱を
  雪の原におっ立てているのだ。
  黴臭い墨を筆に含ませるのだ。
  (だから何だ)と返されても
  説明のひとつも声にできない
  机上の繰り言など
  (まあ仲良くやりましょうや)と
  肩を叩く手の分厚さに
  ぺしゃんこだ。
   


1月18日(木)
去年12月から今日まで真冬日は無い。街に雪が舞ったとて、すぐにとけて雫。 @盛岡市(天峰山付近)

  湿った雪が風にまじる。
  高度を上げるほどに
  雫は粒に変わり、
  白くちりちりと頬を刺してくる。
  昨日の私の轍を辿るほどに
  昔日の痛みが蘇る。

  あの日、人払いされた牢にさす光の如く
  あなたは現われたのだ。
  「どうだ、元気か?」
  すでに言葉を失い果てた私に
  押し殺した声が差し出された。
  「いいか、こういう時にこそ、
  誰が何者であったのか、わかる。
  それを記憶せよ、克明に」

  その言葉の真意が
  行方を奪われそうな今日の私に
  何故か鋭く刺さってくるのです。
  いっさいの希望もなく進む胸に
  火をつけるのです。

 


1月17日(水)
所によっては春三月の陽気。岩洞湖に氷は張らず、沿岸にはフキノトウ。暖冬以上の何か。 @盛岡市(天峰山付近)

  (この至福の丘にあって)

  健全な者に、
  遠まわしな毒など効かない。
  明朗な者は、
  巧妙な皮肉など気付かない。
  賢明な者は、
  日々同じものに関わらない。
  自由な者は、
  誰かの轍に迷ったりしない。
  信じる者は
  自分の影を振り返えらない。
  
  実に蒼く澄み切った天地の狭間にあって
  切実なことは
  玩具の如き思念ではなくて、
  今日の意志を凍結させない血が
  流れているかということだ。
  


1月16日(火)
朝方、白い粒子が舞った。狂った季節の媚薬のように大地を染めかけたが、結局、水滴に変って消えた。 @盛岡市(天峰山へ)

  (もうだめだ)と誰が決めるのだ。
  深くなるばかりの雪か。
  稜線を白く飲み込む霧か。
  目を凝らしても見えない頂か。
  
  道の途中で火を消し、
  棄権したマラソンランナーの様に
  あえぎ、息する私よ。
  雪に汗の雫を落とし、
  退却の言訳を考える私よ。
  白装束の秋を思い出せ。
  刑場へ続く長い長い廊下を振り返れ。
  だくだく流れる汗が
  あの日の鮮血に似ていないか。

  生き延びた私よ。
  さあ、前にひとつ押し出せ。
  雪の下には絶望と希望が連続していて、
  もがき苦しんだことが嘘のように
  進み始めることもあるのだから、
  さあ、前にひとつ押し出せ。


このページの先頭に戻る