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イワテバイクライフ 2007年 3月前半


3月15日(木)
陽射しの印象は良好。空も青かった。だが風は冷えて、山並みは冬雲に覆われていた。最高気温5度1分(盛岡)。  @岩手山麓

  (では、ひとつ教えてやろう)と
  風神は舞ってみせた。

  躓きや、乱れや、焦りを
  呼吸してはならない。

  透明な力を
  すみやかに胸の底におさめ
  迷いなく吐き出す風で
  言葉を削り出すのだ。

  ものごとの意味や、宿る心を
  風にこめ、
  魂の弦をふるわせ、
  大気と共鳴せよ。

  (自らを楽器と心得よ)


3月14日(水)
春本番への助走は失速気味で、陽射しを浴びながら、せいぜい4度では心も動かない。 @盛岡市(天峰山)

  微笑み黙り通すことも、力だ。

  凡庸という城壁に囲まれて
  ぼんやり佇んでいればよい。
  見向きもされないのがよい。
  話にすらならないのがよい。
  睨まれず憎まれず恨まれず
  無駄な傷など貰わぬがよい。

  実りの季節が来たら
  群れに紛れ収穫し貪り食えばよい。
  時の波が寄せたなら
  群れに紛れて鮮血に染まればよい。

  あとは微笑み黙り、
  温厚な砦の薄暗がりで
  次を窺うだけだ。


3月13日(火)
最高気温1度6分(盛岡)。思いの外の陽射しだが、視界を広げるほどの青空も無く、山並みは冬雲に占領されたままだった。 @盛岡市

  この時を求めて
  どれほど歳月を見送った。

  この日を思って、
  どれほどの希望を捨てた。

  ここにあるのは
  とめどなく移ろう雲と
  飛び去る光と
  置き去りにされていく私なのに、
  どれほど佇むつもりだ。

  すべてが流れ過ぎた後の空を
  見届けたくて、
  走り出した朝のことさえ忘れ、
  これから先、
  どれほどの季節に染まるのだ。


3月12日(月)
遅れて来た冬型の気圧配置。寒波そして大雪。忘れていた雪の勢い。刺し込む冷気。 @盛岡市

  背負うものが
   とてつもなく重くなって

  吹雪の中に立ち往生した。
  すると
  白髪の老人が現われて私に尋ねた。
  「まだ捨てられずにいるのか」
  どうやら
  私は、歩けなくなるほど、
   日々の記憶を

  背負い込んでいるのだった。
  「では、楽にしてやろう」と
   老人は微笑んだ。

  たったひとつの思い出を残して
  あとはすべて消してやると言うのだ。
  私は迷いに迷って申し出た。
  (今日一日の記憶を永久に)
  よかろう、と
   老人は雪原に杖を突き立てた。

  
   夢は、そこで終った。

  窓の外に冬の記憶が舞っていた。


3月11日(日)
冬雲に支配され、気温は下がる一方で、夕方には氷点下(盛岡)。宵闇を白く染めていく雪。 @滝沢村(トライアルパーク)

  天気予報は
  青空や光や希望を
  告げなかった。

  むしろ
  重い冬雲や
  彷徨う小雪や
  凍る黒土を予感させた。

  それでもなお、
  鉛のように沈んだ朝、
  仕事の前のほんのいっとき、
  春泥にまみれることの
  意味があるとすれば、
  ここに自らを置いたことだ。

  積み重ね、
  磨き上げる前に、
  まずは、ここへ向った心こそが、
  すべてなのだから。

  


3月10日(土)
薄雲はしぶとく天空の隙間を塞ぎ陽射しを許さなかった。かわりに風にまじる小雪を黙認した。 @花巻市(山屋トライアルパーク)

  景観を求めて
  走り続ける道程も良いものだ。

  めざす場所を
  遂に手にする時も良いものだ。

  (そして)
  愛する地形と
  とことん戯れる日も良いものだ。
  求めても求めても
  届かないから
  なお良いのだ。
  そこへ手を伸ばすのは
  他でもない、
  私の思いと力だから
  何とも良いのだ。 


3月9日(金)
早朝の小雪にうっすら白く染まった街も、青空を見上げ陽射しを浴びるうち、半歩春を取り戻した。 @岩手山麓

  ものごとの行方は、
  思いもかけない場所で
  決められている。
  
   どれほど正論をふりかざし、

  通念に従って明日を確定しようと
  すでに誰かが決めた結論に向かって
  今日という日は転がっていく。
  
   颯爽と夢を語り

  あるべき道筋を決然と示す姿も
  誰かが用意した役回りだ。
  
  熱弁すればするほど
  動けば動くほど
  どんでん返しは劇的だ。


3月8日(木)
粉雪の薄化粧で朝を迎え、青空と小雪の断続に心揺れた早春。 @盛岡市
  
  人は
  先を急ぐから、
  ついに完結することのない物語に
  付き合ったりしない。
  
  春を迎え
  夏と秋と冬を知った気になる。
  
  花を見て
  命の誕生と終焉など語り出す。
  
  人に触れ
  善か悪かを決めつけたりする。
  
  (まあ、待て)
  
  急ぐ理由がないのなら、
  移ろう風の懐に遊べ。
  永久の花を心に探せ。
  善と悪の狭間を知れ。


3月7日(水)
春へ逃げ切りを目論んだ人々を落胆させた朝の銀世界。雪かきをしたのに夕暮れの雪の追い打ち。 @盛岡市

  気を許した途端
  大欠伸に飲まれそうな日々にあって
  
  鳥は
  見慣れた山岳を越えようとしない。
  
   獣は

  牙以上の獲物を追いかけようとしない。
  
   人は

  錆びた掟や鎖を断ち切ろうとしない。
  
   村は

  居座る迷信を叩き割ろうとしない。
  
   夢は、

  遠ざかる昨日から離れようとしない。


3月6日(火)
たまに明るくなっても、おおむね雲に支配された一日。朝方は小雨。夕暮れには小雪。 @盛岡市


  自らの言動は
  自らの動機に拠るべきものである。

  他者の言動を追い掛けて
  己を主張したところで、
  他者の心次第で
  いつか道は途絶える。

  道なき原野にこそ
  拓くべきものあり。

  無人の天地にこそ
  告げるべきことあり。
  
  (先に立つことを恐れてはいけない)

3月5日(月)
南の異様な温風は、北国の大気まで緩ませ、小雨を吸った雪は進もうとする力を沈ませるばかりだ。 @盛岡市

  知らぬふりして利用され、
  少しばかりの名誉と引き換えに
  大切なものを失って
  それでも差し引き「とんとん」なら
  なお利用され続ける魂胆か。
  
  心の川に原色の絵の具を
  たれ流され、
  愛しんできた草花の上で
  宴を開かれ、
  それでも差し引き「とんとん」なら
  知らぬふりして
  村人Aでいたいのか。

  思いを込めた日々を
  知らぬ誰かに値踏みされ、

  それでも差し引き「とんとん」なら
  微笑み続ける貧しさこそ
  どん底と言うのではないか。
  


3月4日(日)
まったく寝ぼけた曇天は、何食わぬ顔して凡庸な晴天に移ろい、最高気温12度2分(盛岡)のしたたかさ。 @八幡平市(岩手山麓)

  説いてみたくて、
  諭してみたくて、
  けれど振向く者などいないから
  臆病な捨て台詞を
  片隅に並べていないか。

  哀れなことに
  蔵書の重さこそが
  自らの人格と思い込み、
  それらしい振る舞いに
  酔ってはいないか。

  書庫で老いた言葉どもを
  番犬の如く使い気位を保っても、
  新しい風は一瞥もくれずに
  空高く舞い上がり
  山岳の彼方へ飛び去るだけなのに。


3月3日(土)
二日連続で最高気温10度(盛岡)。薄曇りか春霞か、にわかに判別できない温厚曖昧な空。 @秋田県(田沢湖畔)


  気持次第で誰でも走り出せる。
  時間があれば山を越えられる。
  金があれば海峡を越えられる。
  証があれば国境を越えられる。
  人脈があれば近道を手にする。
  縁故があれば絶景を目にする。
  勲章で飾れば長老が出迎える。
  隊列を組めば阻むものも無い。
  権威に頼れば道を支配できる。
  
  さて、
  背負うバッグに
  パンと水と夢を
  詰めただけの私は、
  水鏡を揺らして、
  日々の旅路を思うばかりだ。
  


3月2日(金)
最高気温10度(盛岡)はともかく、風に払われることなく街に充満する温もりは、桜の季節のそれだ。 @雫石町


  日々人知れず
  大地の宝石を拾う者は、
  愛されているか、
  憎まれているか、
  考えてみたこともない。
  
  何がどうであれ、

  吹く風は春めき、
  冬は遠ざかるばかりだ。

  
  どん底の私を救った手紙も

  窓辺の陽射しの中で
  
色褪せていく。
  
  有頂天の私を貫いた毒針も

  とけかかる季節の中で
  赤錆びていく。
  
  行き着く果ては
  善意も悪意も届かない場所だから、
  あれこれの顔を忘れて
  立ち尽くすばかりだ。
 


3月1日(木)
最高気温5度4分(盛岡)にすがりつく者はいない。。空の明るさは、すでに、ひと月先の春だ。 @盛岡市(岩手山遠望)

  
  幸福は黙殺され、
  不幸は注視される。
  
  季節を駆け巡り
  大地の精霊と語り合うことなど
  所詮、人ひとりの心の出来事。
  
  雪原に倒れこむ歓喜や、
  宇宙へ続く空の蒼さを
  どれほど愛しもうと、
  この世にとって如何程の事だ。
  片隅の美談など、
  放置するに不都合は無く。
  見捨てる事に反対は無い。
  
  (ところが)
  ひとたび氷雪の道に倒れ傷付けば、
  執拗に問い質され、喧伝される。
  
  (だから)
  日々の無事は、悪魔の如き仕業。
  走り続けるは、天使の如き確信。


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