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イワテバイクライフ 2007年 5月前半


5月15日(火)
朝方の青空の後は、煮え切らない薄曇り。小雨をぱらつかせたり、周囲の山並みを現してみたり。 @盛岡市


  
数年に一度の豊作より
  絶え間無い営みの様なものでありたい。

  
  精緻な計算に拠るものより、

  今日の気持を映す様なものでありたい。
  
  出来栄えだとか仕上がりだとか

  そうではなくて、
  ここで生きる証のようなものでありたい。

  誰のためのものでもない。
  今日も私であることを確かめる
  三角フラスコの出来事なのだ。
  劇薬であろうと命の水であろうと、
  一面を飲み干すのは私なのだ。


5月14日(月)
ほのぼのと青空広がり、かすかな霞を纏って山並みは連なった。草花は秩序無く咲き乱れ、北国の春の堰は切られた。 @岩手山麓


  鳥が囀る。おそろしいほど美しく。
  だから、誰かの野心のために
  私は、手を貸すつもりはない。
  この光だ。自ら歌えばいい。
  (それどころではないのだ)
  
  道が走る。遥か彼方へ超高速で。

  だから、誰かの功名のために
  私は、犠牲になどならない。
  この空だ。自ら傷付き進め。
  (かまってなどいられない)
  
  山が叫ぶ。この世の緑を集めて。

  だから、誰かの思惑のために
  私は、沈黙を守ったりしない。
  この風だ、自ら燃え盛れ。
  (好きな様にすればいい)

5月13日(日)
まれに青空ものぞいたが、ありていに言えば梅雨の如き灰色。。天気雨あり、束の間の本降りあり、滴の音に気ぜわしく過ぎた春の一日。 @滝沢村(トライアルパーク)


  野原の三角ベースは
  いつも上級生と一緒だった。
  てんで
  プレーさせてもらえなかったけれど、

  外野の草むらでボール拾いをしながら
  試合に参加している気分だった。

  さて、今日の山で明白なことは
  一番下手なライダーが私であることだ。
  国際B級だとか国内A級だとか、
  そんな群の後を追い掛け
  練習の輪に飛込んだ。
  
  三角ベースの夕暮れ、
  「打ってみるか」と
  声がかかった嬉しさは

  今も忘れられないが、
  今日の山には、
  あの日によく似た嬉しさがあった。

5月12日(土)
翌日の雨が知らされていたから湿った曇天など気にもならなかったが、夕刻ぱらつき出した小雨は予想外。 @滝沢村(トライアルパーク)


  周囲を気にする君の知らない所で
  私は、自由自在だ。

  体裁をつくろう君とは無縁の場所で、
  私は、腹を空かせる。

  面子を保ちたい君が根回しする間に、
  私は、大義の草案をしたためる。

  そうこうしている間に
  野営料理は沸騰し、
  誰の評判がどうだとか、
  何が破綻の危機だとか、
  束の間、捨ておいて、
  とにもかくにも腹を満たし、
  ゆっくり考えようじゃないか。
  じっくり決めようじゃないか。
  迷わず動こうじゃないか。

5月11日(金)
薄日のぬくもりなど強風に払われ、最高気温は15度そこそこ(盛岡)。連日、白濁のベール。心の満開には、ほど遠い五月。 @盛岡市(北上川)


  立場をわきまえるのは基本で
  重い責任を負うことは当然で
  使命を果たすことは、宿命だ。
  
  いっさいを粛々とまっとうした後で
  さて、お前は、どうする。
  
  立場を離れて、どうする。

  (なお、四角四面か)
  
  責任から開放されて、どうする。
  (なお、犯人探しか)
  
  使命を果たしたあと、どうする。

  (なお、勲章自慢か)
  
  その腹が決まった上で、

  今日の立場や責任や使命に
  向き合うがいい。

  
  草むらに寝そべる内臓のぬくもりは、

  波打つ野良犬の脇腹と、
  所詮一緒なのだ。


5月10日(木)
薄曇りというより混濁。あるいは化学的な汚濁。大気に漂ったのは、無秩序な国の嘔吐の匂い。 @雫石町

  曖昧な、
  それでいて透明な
  グリーンの時を
  思い詰めた油絵の具で
  塗り固めたくはないのだ。
  
  呼吸するものに

  ひたすら南風を送り、
  もっと濃くしたければ色を添え
  もっと淡くしたければ水を足し
  そのように
  季節をパレットに泳がせ
  艶やかな筆に吸い取らせ、
  夕刻の心を染めていたい。

  衰弱する光にはブルーを
  夕闇の匂いにはパープルを
  夜の森には野性の血を
  水にしのばせ、
  とかしてみるといい。

  (ぽつり佇む私が滲み出る)


5月9日(水)
日本列島に猛暑の波。真夏日の地点続出。さすがに北国は、ほど良き温暖。見渡す山並みは霞の中。 @八幡平

  4度目の春を迎えて
  おまえのことが判った気がする。
  
  ふくよかな波動で

  私を包み込むおまえの気持ちが
  伝わった気がする。
  
  つまり、
  その火炎は、憂い無き光を吸って
  巻き起こるものだと
  おまえは言いたいのだ。
  
  見渡す一面を照らし出す光と、

  光にぬくもる風と
  行く手に漂う希望の微粒子を
  胸いっぱいに吸った時、
  おまえは、優しい吐息で
  走り続ける理由を告白するのだ。
  行く手の闇を沈黙させて
  突き進むのだ。

  (さあ涙を流し楽になれ)と
  私を揺さぶるのだ。


5月8日(火)
天気予報が歌い上げた「青空」など、ついに見当たらなかった。春霞か何か知らないが、温暖の他は曖昧な一日。 @鳥海山(秋田県)

  畦道から目を凝らしてみても、

  鳥海山は霞の中だ。
  鮮明なのは田園の水鏡ばかりで、
  春の強風に、さざ波を立てている。
  ファィンダーの中に
  老年の農夫が現われ、
  声をかけてきた。
  およそ聞き慣れない言葉に
  一瞬返事を詰まらせたが、
  旅人に笑顔を添える第一声の意味を
  推し量り、こたえた。
  (盛岡です。盛岡から来ました)
  すると老人は
  「おお、そうか」と小さく驚いた。
  道程の長さでも思ったのか、
  旅の目的を理解しかねたのか、
  その地名に特別な記憶でもあったのか、
  それとも私の返事が的外れだったのか。
  目をそらさず懸命に口籠もる人の
  次の言葉を

  私は微笑んで待った。


5月7日(月)
屈託の無い陽射しに誘われて太平洋まで走ってみれば、待っていたのは冷えた霧。帰路は一気に冬の夕闇。 @三陸海岸

  三日も続けて休むと
  案の定、夢を見る。

  
  胸騒ぎがして
  予定表を確かめると、

  連休の後は、
  今年いっぱいの休日が
  いつものやり口で削除されていた。

  
  私は、ついに裁判に訴えた。

  
  審判の日。

  裁判官は、私の目を覗き込んだ。
  「走っていますね。ひたすら」
  「しかも、この理想郷で」
  
  私が頷くと、判決は下った。

  「至福の日々を送る者に休日は不要」
  
  私はこみあげる笑いの中で呟いた。
  (この確信犯め)


5月6日(月)
朝霧が払われた後は、青空さえうっすら滲んでいた。けれど薄雲は厚みを増して、夕暮れ前には小雨が降り出した。 遠野市(トライアル場)

  入り口と出口の間には、
  最小限の道標があるだけで、
  それに従う限り、
  あとはどう走ろうと自由なのだ。
  自由だから
  迷い、誘惑され、無駄を重ねたりする。

  第一歩を誤れば、
  二歩目で辻褄を合わせることになり、
  三歩目で目算は崩れ、
  四歩目の置き場を失い、
  五歩目は袋小路に入り込む。

  困難のひとつひとつをを越える力は
  なるほど繰り返すほど身に付く。
  けれど、
  入り口から出口に続く

  生きものの如き道を走破するのは、
  どうにも、
  ひと筋縄ではいかないのだ。


5月5日(土)
未明の大地を揺らした雷鳴。気難しい曇天から時折陽もこぼれたが、結局、小雨に濡れたまま夜を迎えた。 @滝沢村(トライアルパーク)

  ただ上り切ることが目的ではない。
  胸を突く壁の先に広がる世界を
  思い浮かべているのだ。
  
  ただ越えられることが自慢ではない。

  岩ひとつ越えられず引き返す涙を
  もう流したくないのだ。
  
  ただ渡り切ることが嬉しいのではない。

  対岸で待つ明日を抱きしめるには、
  他に手はないのだ。

  
  求めるものに近づくために、

  越えるべき高さがあり、深さがあり、
  向き合うべきあらゆる困難があるのだ。
  
  ここで繰り返されることは、
  大自然の懐を旅する者の

  つまり「たしなみ」に他ならない。


5月4日(金)
今年一番の暑さ。沿岸部から県南部にかけて夏日の地域続出。ただ、陽射しも青空も白濁の皮膜越しだった。 @滝沢村(トライアルパーク)

  おそろしい夢を見て目が覚めた。
  水を飲み、また目を閉じた。

  そんなことを繰り返して、
  本当の朝を迎える。
  (13年間変わらぬ私の夜だ)
  
  せめて光のある間に

  心を修復しなければならないから、
  ひたすらに走る。
  
  風を浴びて涙を乾かし
  愛機の波動で暗い記憶を砕き
  流れ来る道を信じて笑顔を取り戻す。
  そんな日課を許してくれる大地こそ、
  私には必要だった。
  
  (ここは、素晴らしいホスピスだ)


  けれど、時折、わけもなく
  黒雲が胸の底に湧き上がり、
  山中を駆け上がる愛機が
  狼になりたがるのだ。


  (嗚呼、鶯が泣いている)


5月3日(木)
どこか腹にいちもつの曇天は、何を引き換え条件にしたか知らないが、渋々好天に向った。総括すれば「白濁した温厚」。 @盛岡市

  どんな惨状も、
  春の光に照らされれば
  (そんなものか)と思えて来る。

  黒土をえぐる迫撃弾の恐怖も
  吹き渡る五月の風を浴びて
  消えていく。


  サイレンの中に立つ血飛沫も
  尽きることのない花吹雪に
  霞んでいく。

  たかが土手の腐乱死体など、
  春の劇薬に較べれば、
  他愛ない残酷だ。


  川縁に死んだふりして横たわり、
  本当に眠ってしまえる夢があるなら
  見てみたい。


5月2日(水)
岩手山で山岳遭難事故。ふるさとの山頂は冬山なのだ。下界も陽射しは希薄で湿り続け、春爛漫の気分も薄れた。 @盛岡市

  冬が長過ぎたためか、
  冬を故郷と思うようになったからか。
  わたしは
  待つことを覚えてしまった
  悪い人間です。

  
  誰かが、

  颯爽と立ち去ってしまうことを
  待っています。
  
  何かが

  立ち消えになってしまうことを
  待っています。
  
  やがて、

  狂騒の季節が花と散るのを、
  待っています。
  
  抗わず、粛々と

  指折り数えることを覚えてしまった
  悪い人間です。


5月1日(火)
街や山を彩る花という花を艶消しさせた曇天。堪えに堪えた雨は、ついに宵闇を濡らした。 @花巻市(トライアルパーク)


  昨日に安住することを拒むのは、
  ごく自然なことだ。
  けれど、
  昨日を遙かに越えるのは
  並大抵ではない。


  挑むほど難解になり、
  繰り返すほど遠のく。
  焦りは、やがて無力感になる。
  例え昨日を少々上回ったところで、
  もはや喜べない。

  (まあ待て)
  出来ることを並べてみるがいい。
  その理由を明らかにせよ。
  出来ないことを数え上げてみろ。
  その理由を率直に語れ。

  一切が明快な理由を持つ場所で
  自らに向き合える幸せを
  噛み締めようじゃないか。

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