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イワテバイクライフ 2007年 5月後半


5月31日(木)
曇天は、昼前にわかに状況をこじらせ、雷鳴と強い雨をもたらした。が、ほどなく空は回復へ向った。 @滝沢村

  田園が荒野になっても
  山の姿は変わらない。
  
  街から人影が消えても、
  川の流れは変わらない。
  
  夏が津波に飲まれても、

  海鳥は揺れる波の上だ。
  
  国境が歪み破られても、

  血は受け継がれていく。

  たかが私ひとり飢えても(花は咲く)
  たかが私ひとり眠っても(朝は来る)
  たかが私ひとり凍っても(春は来る)

  甘い風も、乾いた光も
  私を忘れて大地を走り
  遠い未来の誰かを包む。


5月30日(水)
薄雲に覆われ夜は明けた。西から迫る雨雲の知らせに身構えていたら、清々しい午後の青空。 @滝沢村

  地形に自らの走破力を重ねると
  風景が変って見える。
  
  行けるか行けないか。

  越えられるか越えられないか。
  それだけのことで、
  世界が開けたり、閉ざされたりする。
  
  道筋が見える時こそ

  人は岐路に立たされる。
  可能と不可能の狭間に立つ。
  
  握りしめろ。
  止まらぬイメージを。

  思い描け。
  乗り越える自分を。

  
  勢いは、迷いなき心。

  弾みは、信じ切る心。
  
  (ほら、行く手が輝き出す)


5月29日(火)
霞み加減の青空を貫通して陽射しだけは強かった。汗と疲労を誘う初夏。絶好の居場所は緑陰。
 @滝沢村


  いつも、にこやかで
  
無駄口は叩かず、
  持論など並べず、

  
まして毒など吐かず、
  
先を争わず、
  新しきを求めず、

  
礼儀をわきまえ、
  
何があっても顔色を変えず、
  
何をされてもやり返さず、
  
まったく安心できる
  
頭数のひとつでいられるなら、
  
いつまでも暮らしていける森がある。
  

  君臨する者は、

  
おしなべて気位が高いから、、
  
その弁舌に聞き惚れ、深く頷き、
  
感想より、まずは拍手するがいい。
  
その者が
  月を見れば、笛を吹くがいい。

  
花を見れば、歌をうたうがいい。
  
(けして上手でなくていい)
  
凡庸だが従順な者として
  
おさまるがいい。


5月28日(月)
実に、いつまでも、そのままであってほしい青空だった。澄み切っていた。温もりがあった。 @八幡平市(許可を受けて撮影)

  茨を踏んだことの無い者は、
  
地図を信じて歩み出す。
  誰かのルートを選び取る。

  さんざんな目に遭った者は、
  地図を一瞥して閉じる。
  自分で方角を嗅ぎ分ける。

  地図に裏切られ嘆いてみても、
  橋を消した濁流は止められない。
  道を塞いだ岩の山は砕けない。

  (そこで気付くのだ)

  地図の通りに歩んで来られた日々など、
  所詮、紙の上の出来事だったと。


5月27日(日)
薄弱な陽射し。最高気温は18度に届かなかった岩手。所によっては11度台で4月上旬並み。霜注意報。 @滝沢村(トライアルパーク)

  静かだ。何という静けさだ。
  安らかだ。深い深い安息だ。
  
  ある朝、突然消えるのだ。

  思い当たる不幸や
  抱えた憂いが消えるのだ。
  背負う重荷が消えるのだ。
  
  永久に至福の季節と戯れていてよいと

  神の許しが下るのだ。
  
  (本当によいのか)と呟けば

  (いいさ)と山がこたえる。
  どれほど裏切られた?
  どれほど血を吐いた?
  どれほど失ったのだ?
  
  痛みに麻痺した私に

  百年遅れて届いたプレゼントが
  つまり、モルヒネのような朝だ。

  
  
  ※
画像と文章は一切関係ありません


5月26日(土)
朝方の晴天ときたら、極上の空の蒼さと光線の透明度。けれど、やがて黄砂に霞み、広がる薄雲。 @滝沢村(トライアルパーク)

  澄んだ夜明けだった。
  
心は、ここへ急いだ。
  
ここで、こうしていたかった。
  
甘い風が吹き渡る頂で、
  
緑の光に染まっていたかった。
  

  眼下を見渡せば、

  
五年かかった道がある。
  
十年かかった道がある。
  
たった今、のぼり切った道がある。
  
そして、私を寄せ付けない道が
  
無数に続く。
  

  思えば、

  
この山肌に打ち込んで来たのは
  
日々のハーケンだ。
  未知の私へ続くルートを拓くための
  魂の楔だ。
  
そのひとつひとつを繋ぎ、
  
いつの日か、
  本当の頂に届くために、

  
今朝も、ここで、こうしているのだ。


5月25日(金)
午前9時だったと思う。罪な予報に従い小雨は降り始めたのだ。控えめに間断なく大地を湿らせた。 @滝沢村(トライアルパーク)

  三年先の進歩を求めるなら、
  三年先の困難に向き合うべきだ。

  自身の非力を思い知るべきだ。
  立ちはだかるものの高さを仰ぐべきだ。
  そこに
  三年間の生き方が見えて来るのだ。

  
  今日の一歩が
  いかに惨憺を極めようと、
  そこに
  夢が芽生えるのだ。

  
  先送りせず、逡巡せず、

  理想と現実の間合いを
  克明に測ることだ。

  

  まずは、
  打ちのめされることから始まるのだ。


5月24日(木)
なおも晴天は続く。最高気温25度3分(盛岡)。空に薄く白いベールがかかったが、岩手山だけは鮮明だった。 @石鳥谷(あたり)


  7ヶ月ぶりに
  エンジンオイルを交換した。
  ミッションオイルも入れ替えた。

  北上から花巻を抜ける頃には
  光はすっかり衰弱していた。
  立つもの、広がるものすべてが、
  影をすて、
  夜に紛れ込もうとしていた。

  アスファルトロードには
  陽の残り香と乾いた風が
  揺らめいていて、
  通りすがりの胸板に飛び込んで来る。

  この夕暮れを呼吸する火炎と
  冴え渡る波動が、
  一面の水鏡を波立てていく。

  夏用のグローブが
  暮れていくものを包み込む。
  高ぶる獣の腹を撫でるように
  私を包み込む。

5月23日(水)
白く霞んだ晴天は、彼方の緑までくすませたが、最高気温22度7分・湿度30%前後(盛岡)の大気は至福というべき。 @滝沢村(トライアルパーク)


  刀を振り下ろす間に
  言うべきことを言い切れ。

  抱き寄せキスするまでに

  目を見て口説き切れ。

  駆け上がり跳び越える間に
  イメージを燃やし切れ。
 
  だから、常に
  腹は決めておけ。
  殺し文句を用意しておけ。
  道筋を体に叩き込んでおけ。

5月22日(火)
乾いた陽射しが新緑を燃やし、初夏を運んで来る風が山を揺さぶった。 @滝沢村(トライアルパーク)


  ひとつの関門を前に
  
やってみようと決心するには
  暫くかかる。
  
よしいけると確信するには
  
季節を跨ぐ。
  
無心に行えるまでには
  
歳月が流れる。
  

  (しかし、それは稽古のことだ)

  
舞台は、常に一発勝負なのだ。

5月21日(月)
実に良く晴れた。ひんやり湿った夜明けは、日が高くなるほど温もり乾き、至福の夕暮れへと誘われた。 @滝沢村(トライアルパーク)


  易き場所に居つき始めていないか。
  慣れた汗を流し、
  そこそこの果実をもぎ取り、
  居心地良き場所の主になろうと
  してはいないか。
  
  やがて

  居場所を失うことを恐れ、
  守ることばかり考え出すのか。
  (そこに喜びはあるか)
  
  もはや
  抱きしめてきた思い出は
  破り捨てる時だ。

  色褪せていく場所から
  離れる時だ。

  
  新しい道には

  泥の海屈辱の山が待っている。
  そこから
  立ち上がる力こそ逞しい。

  頂を見上げる眼差しこそ輝いている。

5月20日(日)
季節の歩みなど足蹴にされて、冷えた曇が払われたのは夕刻やっとのこと。最高気温15(盛岡)では暖房に着火。 @滝沢村(トライアルパーク)


  墨をふくませた筆が
  
空間を欲しがり
  
走るのだ。
  
あらわれるものは、文字以上だ。
  
(ほとばしり、描き切れ)
  
  春を翼に捉えた鳥が
  
太陽をめざして
  舞うのだ。
  辿り着ける場所は、天国以上だ。
  (燃え尽きて、旅を終れ)
  
  イメージに満ちた者が

  その先を求めて
  挑むのだ。
  困難に刻む轍は、物語以上だ。
  (明日を信じ、越えていけ)

5月19日(土)
岩手山麓の緑は小雨を纏い霞みきっているが、菜の花だけは、ごく稀な陽射しを浴びて鮮烈。 @滝沢村


  アフリカ大陸の真昼。
  私は、焼けた砂を蹴って走っている。
  
  ポスターカラーのような青空の下に
  白い城壁がどこまでも続いていて、
  譲らぬ国境を示している。
  
  真上に太陽を見上げて走る私は、

  捕虜交換のために
  たったひとつの扉を開けるのが任務だ。

  (時刻が迫っている)

  請け負う数を無線で確認すれば、
  埃の彼方で「捕虜の数は数億」と叫ぶ。
  その意味を思った瞬間、
  私は轟音とともに宙に舞った。
  地雷の土煙が眼下に立ち上る。
  スローモーションで回転する天地の中に、
  白い壁を越えていく群衆が見える。
  国境を越える黒い津波だ。
  結末を見届けた途端、私は砂漠に落下し、
  夢は叩き割られた。
  
  雨音が(ここは日本だ)と告げていた。

5月18日(金)
木々の葉の広がりと緑の濃度に心奪われていればこそ、この大切な季節の陰鬱な空を忘れられる。 @盛岡市


  雨戸を閉め切った木造家屋の暗がりは、
  異様にかび臭い。
  
  ようやく目が慣れて

  部屋の形を手で探っていくと、
  
40年も前に私が暮らしていた家なのだ。
  
(間違いない)
  
柱の傷が指先の記憶と符合する。
  

  突然、何かが雨戸を突き破る。

  
重機のエンジンがうなりを上げる。
  
金属の塊が放り込まれ、引き抜かれる。
  
亀裂から差し込む光の中に
  
銃を手にした人影が雪崩れ込んでくる。
  
催涙弾があたりを白く濁し、
  襖が蹴破られる。

  

  私の魂は、いったいどれほどの歳月、

  
この記憶の暗がりに息を潜めていたのだ。
  
私は、救い出されようとしているのか、
  
それとも、
  あまりに暗過ぎる罪を問われるのか。

  

  誰かが私の腕を掴み上げて、
  夢はさめた。

5月17日(木)
朝8時を過ぎて降り出した小雨は、やがて水溜りをつくり、傘の中に吹き付け、梅雨の記憶を匂わせた。 @盛岡市


  事故であれ偶然であれ
  ある拍子に
  まだ見ぬ道程や舞台
  あるいは拠るべき世界の

  すべてを見てしまうことがある。
  
  そんなことは誰も信じてくれないから

  何食わぬ顔で旅を続け、
  物語を追うことになる。
  
  行き着く先を知っていても

  道に迷ってみせたり、
  結末がわかっていても
  どんでん返しを期待してみせたりする。
  
  (けれど、記憶は恐ろしいほど正確だ)
  その先に待っているものが
  すでに見てしまったものと
  寸分違わぬものであることを
  確かめるばかりなのだ。
  (そんな旅や物語がある)

5月16日(水)
明日からの雨模様を思うほどに、今日の青空と陽射しは宝物だ。たとえ透明度が低くても。 @盛岡市(岩洞湖)


  決断の鍵は
  暗く愚かな手に握られている。

  その絶望的な光景を前に
  もはや嘆き憤慨する時は過ぎたのだ。
  
  (せめて見届けようじゃないか)
  
積み上げたものが
  くだらぬ一手で振出しに戻る様を。
  起死回生の機会が
  無為無策の果てに遠ざかる様を。
  闘い続ける者達が
  孤立し見殺しにされていく様を。
  (泣き叫ぶことなく見届けようじゃないか)

  
重用される鈍感や寵愛される凡庸。
  破り捨てられる夢や幽閉される志。
  ついに停滞は逆行へと加速し
  見事なまでの馬鹿馬鹿しさで
  崩壊していく様を見届けようじゃないか。
  (残酷なまでの必然を見届けようじゃないか)
  

  暗愚の何たるかを学ぶ
  またとないチャンスには違いない。

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