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イワテバイクライフ 2007年 6月前半


6月15日(金)
先送りされた梅雨入りの異議申し立てを夕刻の陽射しと青空が黙らせた。夜は体の芯に届く冷涼。 @滝沢村(トライアルパーク)

  山の緑は
  夕べの雨に洗われ澄み切っている。
  アカシヤの花は
  夕闇の風に吹かれ吹雪となる。
  
  平日の午後の
  それも暮れていくばかりの時に、
  まったく唐突に現われた私は、
  残された光を拾い集めるように
  山を駆け回る。

  私に出来ることを確かめるのではなく、
  どうにも出来ないことが
  今日も出来ないまま
  夜を迎えることを思い知るために、
  漆黒の山腹に向き合った。

  もはや力尽き、
  帰り支度を整え、振り向けば
  大地が動き始める。
  雲はざわめき、流速を上げ、
  次の夜明けを暗示する。

  
  (ついて来れるか)と山が呟いた。


6月14日(木)
一面の曇天に期待するのは、曖昧な青晴れ間より、山野を潤す雨だったのだが。梅雨入りの気配無し。 @北上高地

  ひしひしと感じる。
  私が片時も手放さなかった疑問の箱を
  一気に開けてしまうのを恐れる影がある。
  説明の付かない一部始終について
  私が問い質すことを恐れている。

  私の経緯(いきさつ)を知り尽くす者が、
  周到に手をまわし、
  安らかな日々を用意したことなど、
  容易く想像できる。

  けれど、季節の流れに抗わず
  ただ涸れていく大地を見渡すほどに、

  堰き止められた涙が煮えたぎる。
  
  容赦なく来た道をかけ戻り

  見覚えのある小心と卑劣と狡猾の
  胸ぐらを絞め上げ、揺さぶり、
  明るみに引きずり出したくなる。
  
  善良な花の香を胸におさめるほどに、
  そうしてやりたくなる。
  


6月13日(水)
真夏日大陸と化した岩手。盛岡では平年の夏をひと月も上回る30度突破。威勢の良いのは数字だけで、実際は疲労困憊。 @岩手山麓

  「何故だ」と、
  あなたは思ったことだろう。

  「おや?」と、
  私も思ったほどだったから。


  思いもよらない風が吹き、
  あなたは、旅立ちを急(せ)かされ、
  釈然としないまま荷物をまとめた。
  馴染んだ止まり木や、
  支配しかけた場所を追われたのだ。

  (まだ、わからないのか)
  触ってはいけないものに触り、

  動かしてはいけないものを
  動かそうとしたから、
  風は吹いたのだ。

  (ただし)
  風は、
  誰かの幸福のために吹くのではない。

  風は、
  巨大な何かを守るために吹くのだ。

  
  (だから、あなたを運び去ったのだ)


6月12日(火)
街に熱気が沈殿し、風が動くたび「真夏日気分」がスローモーションでわき上がった。盛岡で29度8分。 @岩手山麓

  積乱雲を突き抜ける摩天楼のロビーは
  閑散としていた。
  ガラスの向こうの都市は、妙に白く
  陽炎にとけて揺れている。
  
  私は、
  冷房のしみついたソファーに
身を沈め、
  誰かを待っている。

  
  大理石を叩く靴音が近づき、

  スーツの男が私に尋ねる。
  「最上階へは何年かかる?」
  私は、おどけて聞き返す。
  「何年?」
  カードを返すように真顔で告げる。
  「瞬く間さ。エレベーターは光速だ」
  疑い深く天空を見上げるサングラスに
  ひと言添えてやった。
  「ただし、降りて来た者はいない」
  
  炎熱の街へ消えていく靴音を聞きながら

  私の夢も、遠ざかった。
  
  暁の窓からしのびこむ風に
  大聖堂の午後が匂った。


6月11日(月)
朝から陽射しの強さは本気だった。案の定、最高気温は28度4分(盛岡)。なまぬるい夕風は、およそ北国のものではなかった。 @八幡平市

  どんな重荷も背負える時がある。
  
  誰かの思惑や狡猾とは無縁の荷なら
  背負っていける。
  
  他人(ひと)の荷であっても、

  祈りが込められていれば、
  背負っていける。
  
  真に心の底におさまるものなら、

  背負っていける。
  正気を噛み締め、歩んでいける。
  
  背負い切った途端、、

  掠め取られるものでなければ、
  血の汗流して踏み堪えられる。
  
  ところが皮肉なことに、
  肩に食い込む重さの正体は

  担っている間は、わからない。
  荷を解くまでわからない。


6月10日(日)
夏日にもう少しの、まあ、夏だった。青空もあったが、どうにも純度の低い夏だった。 @盛岡市

  1週間前、父母の岩手路に寄り添った。
  

  運転手として新緑を車窓に流した。

  
ツアーコンダクターとして、
  
秘湯と山菜料理を用意した。
  
カメラマンとして二人の笑顔を追った。
  

  その褒美なのか、

  
宅配便で一眼レフカメラが届いた。
  
親父が愛用していたものだった。
  
旅の途中で
  冗談にねだってみたものが、

  本当に届いてしまった。
  

  久しぶりのフィルムカメラだ。

  
ずしっと掌に馴染む。
  

  使い込まれた取扱説明書が

  
いかにも理詰めの親父らしい。
  

  ほとんど未使用に近いレンズに

  イーハトーブ
を呼吸させるのが、
  
恩返しというものだろう。


6月9日(土)
曇り空。薄日もさした。が、大気不安定。所によっては通り雨と雷鳴。 @盛岡市

  (遠い未来のことではない)

  時を忘れて
  風になっていられる日々は、
  いずれやって来る。

  引き返す理由もない旅が、
  嫌でも手に入る。

  光や雲を待つだけの日々など
  ごく自然におとずれる。

  走り、歌い、語り、描き、綴り、
  つつましくも、思いのままの日々が
  黙っていても押し寄せる。

  ここに佇み、
  彼方の不条理と目の前の倦怠を

  やり過ごしていれば、
  いつか、日焼けした初老の男が
  ここに現れる。
  
  ただし、この星と船と私が
  その日まで無事ならば、だ。


6月8日(金)
天気予報ほどには曇らず、濁ってはいたが青空もあった。盛岡は夏日寸前。夕刻、山岳地帯は雷雨に見舞われた。 @盛岡市

  味方に拍手されて、
  それでおしまいではない。

  
  お前を嫌う者が

  握手を求めるほどの仕事をせよ。  
  
  お前を憎む者が

  石礫を捨てるほどの事実を示せ。

  お前を付け狙う影が
  霧散するほど透徹した風であれ。

  お前を嘲笑いたがる灯が、
  ひとつ、また、ひとつと消えていくまで
  打ち込め。


6月7日(木)
早朝の青空は、みるみる雲に覆われ、昼過ぎには激しい雷雨に雹(ひょう)が混じった。 @盛岡市

  君は、手柄話を延々と語る。
  (みんな上手に驚く)

  君は、芸術論を得々と語る。
  (みんな深々と頷く)

  君は、突然
  的外れな質問を周囲に向ける。
  (みんな腕組みする)

  君は、手の内を高らかに明かす。
  (みんな手をたたく)

  得意気に差し出される君の手を
  僕は、力強く握り返し、
  くみし易いものの軽さを確かめる。


6月6日(水)
曇りのち小雨。大気不安定。所により大雨・洪水警報。 @岩手山麓

  なあ、
  他人が決めるアンタのことに
  願いをかけたら、あかん。
  恨んだりしたら、あかん。
  望みをもっても、あかん。

  願わずとも、飯を食い、
  恨まずとも、仕返しをし、
  望まずとも、満たされる、
  そんな、ぼちぼちで、どや。


  投げつける石を探して
  人生を棒に振ったら、
  つまらん。


2007年6月5日(火)
快晴 @(岩手山麓)


  わたくしは、ここで
  流れていく者達を眺めている。
  季節を愛でることもなく
  街の仕組みを知ろうともせず、
  遠くの山の頂ばかり見上げる者達を
  ここで、じっと眺めている。
  

  言い張り、欲を満たし、
  勝手気ままな足跡を残した挙句、
  流れて消える者達を
  ここで、じっと眺めている。

  夕闇を束の間焦がした議論の虚しさに
  わたくしは箒をかける。
  旅人の記憶を掃き捨てる。
  
  どんな約束も計画も

  別れの日を境に無に還る。
  何も引き継がれることなく、
  踏み台にされた荒野が残される。
  二度と明けることのない夜が匂う。

  次の旅人が現れる前の静けさだけが
  わたくしを微笑ませる。

2007年6月4日(月)
快晴 @(岩手山麓)


  君は優しいなあ。
  どんなに
  つまらなくて
  どうでもよいものにも
  目を輝かせ、話を弾ませる。

  
  君は立派だなあ。
  どんなに

  きたならしく、
  嘘にまみれたものにも
  向き合って、話を聞いている。

  
  君は残酷だなあ。

  どんなに
  希望がなくて、
  消えいくだけのものにも
  空を指差し、明日の話をする。

6月3日(日)
最高気温で見れば「夏日」ではなかった。けれど、Tシャツで噴水に飛び込みたくなる日は、つまり何と言うのだ。 @滝沢村(トライアルパーク)


  あえて困難な旅を選んだ。

  夏山に示された
  入り口から出口までの道筋には、
  無数の罠が仕掛けられ、
  挑む者の力を試す。
  
  オートバイで辿るには
  あまりに短い距離ではあるが、
  這い出ることすら至難な
  トライが続く。

  突き付けられる
  「我が身の非力」は、
  しかし、屈辱ではない。
  この忘れがたい連戦連敗こそが、
  明日から何をすべきか、
  教えてくれるのだ。

  最後の最後に
  胸を突く大斜面を完璧に登り切って、
  絶叫した。
  本当の出発点に立てた気がした。
  
  心底の納得だった。

6月2日(土)
まさに行楽日和。つつじ満開。夏日寸前(盛岡市)。迷いなき夏の青空だったが、夕刻、にわかに暗い雲に覆われた。 @盛岡市

  早朝からマシーン整備。
  
出勤前、いつもの店で
  
大会用のタイヤに交換していると、
  
渋民のSさんが現れた。
  
「お、勝負をかけているな」と
  
冷やかされる。
  笑って否定しようとしたが、
  
(たぶん、今朝は、そんな顔なのだ)

  装着したリヤタイヤを師匠が覗き込む。
  ブロックの角を撫でて呟いた。
  「ほう、走りが変わりましたか」
  ひと月前の試合の痕跡だった。

  (成績はさておき、楽しかった)
  すべてを仕上げ、見上げれば夏空だ。
  愛機も私も、何だか嬉しくなって、
  明日のキックスタートを待つばかりだ。

  (何かひとつでも掴めればいい)


6月1日(金)
夏日ではない。けれど明らかな夏空だ。それも煮えたぎり、束の間、夕刻を占拠したがる雲だった。 @北上高地

  良い音色とは
  
単に、良い音のことではない。
  
心の有り様を
  
正しく伝える過程の
  
美しいライン(軌跡)そのものだ。

  良い音色は、
  聞かせるものではない。
  溢れて流れ出すものだ。
  黙っていても、隠していても、
  一切が伝わってしまう
  人格のようなものだ。

  良い音色は、
  単純を極めた言葉に
  深い皺を刻む。
  難解を極めた楽譜を
  花や鳥に変えてしまう。


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