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イワテバイクライフ 2007年 6月後半


6月30日(土)
けだるい梅雨の晴れ間。青空の広さも濃度も曖昧。夕暮れ、幕を引くように薄雲に覆われていった。 @岩手山麓

  めざしているのではない。
  方角を探しているのだ。


  急いでいるわけではない。
  風速を探っているのだ。

  何かが待っているわけではない。
  立ち止まる場所があるだけだ。
  すれ違う誰かがいるだけだ。

  (一糸乱れぬ観光旅行ではない)


6月29日(金)
そりゃあ「100%のカラ梅雨」なんてあり得ない。ただ、気紛れに降る雨の風情こそ問題だ。ありていに言えば「焼け石に水」。 @盛岡市(中央通り)

  美点は、
  流れる川の水の様に

  見過ごされる。

  汚点は、
  たったひと滴でも
  目ざとく掬い取られる。

  (その仕組がわかった者なら)
  ただ流れ続けることだ。
  未練も、悔いも、何も残さず、
  名誉も、恩賞も、何も求めず、
  傷を恐れず、潔く流れることだ。

  投げ込まれる礫の飛沫など、
  瞬間の出来事だから、
  こだわらず、ひるまず、
  流れることだ。


6月28日(木)
強い陽射しと霞んだ山並みと濃霧注意報で迎えた朝は、白濁の晴天に移ろい、不快なだけの真夏日。 @滝沢村

  事なきを得るために、
  真実を叫んだりしない。


  血に染まりたくないから、
  冒険心など去勢する。


  勇み足の判定を嫌って、
  青臭い夢を遠ざける。


  告発の嵐が襲う前に、
  魂のことなど語らない。


  一切の厄介を予測し、
  言動を極限まで削る。


  言掛りの隙を与えず、
  幽霊の如く道を行く。


  
(そのように巨像は息絶える)
   


6月27日(水)
もはや、ごく当然の様に真夏日。梅雨でありながら、どこか爽やかな大気は「梅雨以前」。 @岩手山麓

  「次はどこへ行きたい?
  希望を述べなければ、
  どうなっても知らないぞ」と
  わけ知り顔が問い詰める。

  私は、おもむろに
  ありきたりな落胆を
  ちり紙に包み、ごみ箱に放り込む。

  (そうですか、
  何も聞いていないのですね)と微笑み、
  暗いナイフを抜いた。


6月26日(火)
前日の天気予報「曇りのち雨」を嘲笑って昼前にはカンカン照り。白く濁った晴天。雨が欲しい。 @滝沢村(トライアルパーク)

  イーハトーブトライアル当日の朝。
  スタート地点の高原を
  めざしていて道に迷った。
  
  大草原に辿り着いてみると、
  そこは七時雨ではなく、
  阿蘇の草千里だったり、
  山口の秋吉台だったりするのだ。

  やがて、空は墨色の雲に覆われ
  豪雨と雷鳴が大地を揺さぶる。
  もしや、イーハトーブの仲間は、
  荒天を避け、
  森の懐に息を潜めているのか。
  (ならば、まだ間に合う)
  かすかな希望を追い続け、
  遂にスタート地点が見えてくる。
  そこには、
  雨に濡れて3人の老人が佇んでいた。
  忘れようもない仲間だった。
  (君を待っていたんだよ、ずっと)
  私は、泣き叫んで詫びようとして
  夢はさめた。
  (その日まで、あと2ヶ月だ)


6月25日(月)
空の蒼さの若ぞうめいた楽観や、平板な太陽のテンションに俯く者に、嬉しきは「夏休みの如き積乱雲」。 @岩手山麓

  光ある場所に影は宿る。

  樹木繁れば夏の影が現われ、
  鳥舞い降りて影は束の間囀り、
  人佇めば思いの色影となる。

  枯れる前のざわめきを
  土にうつし、
  墜ちる前のはばたきを
  風にうつし、
  旅の途中のあれこれを
  道にうつし、
  影は光を飲み、
  光は影を踊らせる。


6月24日(日)
梅雨の晴れ間ではない。梅雨の喪失と言うべき真夏の空だ。数値では表現できない汗の感触こそ「真っ盛りの夏」。 @秋田県協和町

求めて、
届かず。

定めて、
辿れず。

傷の数、
膨らむ。

不本意の連続にあって
なお、人は、折れず、屈せず、
瞳輝かせ、次の試練に向う。

遠のく夢を知りながら、

目前の難関に挑む。

何かひとつ
何かひとかけらの納得をもって
この日の剣をおさめるために、
心新たに
惨憺たる戦に飛び込んでいく。
  


6月23日(土)
まあ、よくある晴天だったが、梅雨の最中の出来事としては、妙なまでに爽やかだった。 @盛岡市(北上川)

  明日はトライアルのコンペだ。

  行きつけのバイク店で
  勝負タイヤを装着していたら、
  御殿の様なマシーンが店に滑り込んだ。
  中年ライダーが困り果てた様子だ。
  パニアケースの鍵を
  南の彼方に忘れてきたらしい。
  
  結局、こじ開けることも出来ず、

  近所の鍵屋へ向かった。

  (それにしてもだ)
  旅の途中で

  何が何でも
  取り出す必要があるものとは何だ?

  地図か?財布か?思い出か?
  名誉な会員証か?秘密指令か?

  (もし、私だったら)
  この光る風を掴む道具を
  取り出すためなら、
  鍵穴に爆薬でも何でも
  仕掛けるに違いない。


6月22日(金)
一年で一番日の長い一日の半分以上は、薄れていく曇天。夕闇が押し寄せる頃、ようやくの透明。 @滝沢村(トライアルパーク)

  日々継続する上で
  一番たやすい方法は
  誰かの言動をつけまわし、
  論評することだ。
  誰かの言動の正反対を
  主張することだ。

  ありきたりな教養と
  肥えた自尊心が辿り着く
  よくある手口だ。

  (しかし、だ)

  大地が割れる日に
  それでは、
  生き延びることは出来ない。

  一切が凍り付く夜に
  それでは、
  夢など語ることは出来ない。


  
自らを堂々と表明したいなら、
  ひとり山の頂に立って
  腹の底から声を出せ。
  


6月21日(木)
ついに梅雨入り(平年より9日遅れ)。挨拶代わりの小雨も、朝夕の緑に雫を乗せる程度で、実質、終日の曇天。 @滝沢村(トライアルパーク)

  ふと
  誤解されているのかと、思う。

  (いや、違う)

  誤解されていると思うことが、
  すでに誤解なのだ。

  私をありのままに見渡せるのは
  私ではなくて、世間に違いない。

  だから、
  誤解を解くための徒労を
  重ねるくらいなら、
  雨にけむる山に向き合うがいい。

  (出来るはずだ)という誤解を
  解くがいい。

  (出来るわけがない)という誤解を
  解くがいい。


6月20日(水)
最高気温・31度1分(盛岡)は、さすがに「らしくない感触」。洗い流してくれる雨を心待ちにしてみる。 @滝沢村(トライアルパーク)


新しい世界に飛び込んで

初々しく
驚いたり、慌てたり、
困ったり、
あれこれ挑む度
はね返されて、

泣き笑いしている頃が
一番良い。


すっかり手慣れた世界で

完璧であることが当たり前になったり、
些細なミスが許せず
不機嫌になるくらいなら、
もはや、居場所を捨てる時だ。

もっともっと山を登っていくがいい。
「今までのこと」など
何ひとつ通用しない場所をめざすぐらいで
ちょうど良い。


6月19日(火)
雲ひとつ無い夏空は、やがて熱気に霞み、最高気温29度5分(盛岡)。夕闇の風こそ極楽の日々。 @葛巻町

  もう、あとは、
  健やかに、
  怪我をせず、

  日々機嫌よく
  暮らしていられるなら、

  上出来だ。
  
  (なのに)

  越えられると確信することを、
  あえて越えてみたり、
  描き切れると直感することを、
  試しに描いてみたり、
  そんな無駄を重ねていないか。
  凡庸な日々を
  殊更に物語ってはいないか。

  いつものように働いて、
  明朗な汗をかき、愚痴もなく
  乾いた夕風とともに飲むビールが
  心底美味くて、
  それで何が不足だ。


6月18日(月)
盛岡の最高気温・29度2分は、もしや緑陰のデータなのか。アスファルトの照り返しは、ほぼ炎だった。 @盛岡市

  この土地を求めなかったら、
  この夕暮れはなかった。

  走ることを知らなかったら、
  ここに佇むこともなかった。

  至福の時を
  スケッチする習慣がなかったら、
  ここで深々と
  呼吸することはなかった。

  私が思い描く眺めを
  私ひとりのために
  用意していてくれる大地は、

  恩人という他ない。

  嗚呼、
  西の地平に沈む太陽さえ
  私を待っていてくれるなんて。


6月17日(日)
盛岡で28度6分など内陸で気温上昇。けれど、北国の夏空は梅雨入り前のせいか、どこか控えめ。 @滝沢村(トライアルパーク)

早朝練習が続く。

「一生懸命ですね」と冷やかされ、

照れ笑いする。

「目標は何ですか」と真顔で聞かれ、
曖昧な言葉を返す。

(打ち込むのは、明確な目標があるからだ)
と、人は思うのかもしれない。

けれど、この胸をいくら叩いても、
目標など転がり出しはしない。

(もしかすると、私は)

昨日の私から
遠く離れたいだけなのかもしれない。

心を照らすものが消えることを
恐れているだけなのかもしれない。

頂めざして駆け上がる瞬間(とき)の
あの静寂が愛しいだけなのかもしれない。

鋭利な爪と翼を身に付け、
鳥になりたいだけなのかもしれない。

善良な人々に囲まれ、
正気でいたいだけなのかもしれない。

そんな理由が許されるのなら、
今日も狂った様に夏空に叫んでいたい。


6月16日(土)
梅雨前線から遠く離れた空は、ひたすら澄み渡り、乾いた風の心地よさなど、梅雨明けそのもの。 @滝沢村(トライアルパーク)

  森には、
  日が暮れても
  帰ろうとしない子供がいる。

  
  実に不思議なことに、

  その子は歳をとらないのだ。
  一緒に遊ぶ子供達が、
  やがて大きくなって村を離れても
  その子だけは、

  鎮守の森で遊び続けているのだ。
  
  ある年、噂を聞きつけた旅人が、

  子供を森から連れ出そうとした。
  然るべき居場所に移そうとした。

  熱心に罠を張り、
  子供を追いかける姿は

  間もなく消えた。跡形もなく消えた。

  村人は囁き合った。
  (ほら、触った者は神隠し)
  
  木漏れ日の奥で

  今日も子供の笑い声がする。


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