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イワテバイクライフ 2008年 6月前半
2008年6月15日(日)
まあ、晴れた部類の空だった。岩手山も輪郭だけは浮き立たせていたから。そんなことより大地震の「その後」。 @滝沢村(トライアルパーク)
暮らしが すっかり落ち着くと、 今日の心より 明日の空が知りたくなる。 仕事が すっかり波に乗ると、 振り返るより 未来を手繰るようになる。 私自身が すっかり満たされると、 道端の不条理より 道の果てを語りたくなる。 世界が すっかり晴れ渡ると、 言葉より先に 国境を美しく越えたくなる。 |
2008年6月14日(土)
小雨まじりの曇天のもと、激震。奥州市衣川区で「震度6強」。 @葛巻町(写真は6月12日に撮影したものです)
兆しは あったのかもしれない。 尋常ではない 雲の乱舞を見た気がする。 ただ事ではない 光の儀式を見た気がする。 形容しがたい 夕闇の深さだった気がする。 ただ、美しいと眺めた私に 雲は落胆したのかもしれない。 光は見切りをつけたのかもしれない。 そして大地は、 思い知らせてやろうと思ったに違いない。 |
2008年6月13日(金)
青空だとか、陽射しだとか、そういうことではなくて、体の芯に届く爽快感は、今年一番。 @岩手山麓
心の焦点は、 オートバイではないのさ。 航続距離ではなくて、 オートバイで辿る道がいいのさ。 (とめどなく続く) 最高速度ではなくて、 オートバイで届く空がいいのさ。 (まったく奇跡だ) 旋回性能ではなくて オートバイが巡る時がいいのさ。 (熟成する四季だ) 鼓動などではなくて、 オートバイが刻む私がいいのさ。 (走り続ける心だ) たかが排気量100ccのオートバイで 不足なことは何ひとつ無い。 それほど、この天地は高性能なのさ。 |
2008年6月12日(木)
ひんやり透明な朝の印象が、今日のすべて。まるで初秋の空だった。日中は薄雲が広がって、盛岡では最高気温24度8分。 @葛巻町
(例えば、だ) 長距離爆撃機に乗っていた者が、 片田舎でポンコツのハンドルを握るくらいが ちょうど良い。 忙しそうだが、実は、のんびりだ。 (てきぱき片付ければよい) あとは、何処で昼寝をしようと勝手だ。 真剣ではあるが、焦ったりしない。 (決める所で決めればよい) あとは、何処に道草をしようと自由だ。 真面目そうだが、拘りはない。 (きちんと約束を守ればよい) あとは、何処で息を抜いても構わない。 厳格に見えても、臨機応変だ。 (要点を押さえていればよい) あとは、何処で辻褄を合わせても良い。 余裕のないところに 人生の樹は繁らない。 |
2008年6月11日(水)
朝方は、所により小雨。日中は、純度の低い晴天。いちおう夏日(盛岡市) @雫石町(網張スキー場の奥)
キーワードが同じだからといって、 理解し合えるとは限らない。 まして オートバイに乗ることなどで 他人同士を ひと括り(くくり)には出来ない。 走ることが 移動に過ぎない者もいれば、 求道に等しい者もいる。 流れる道が 速度計の出来事に過ぎない者もいれば 心に季節を運ぶ川に見える者がいる。 旅の記憶が、 走破した距離に過ぎない者もいれば, 自らに辿り着く道程と信じる者がいる。 実に様々。実に、それぞれ。 だから・・・ (今度、是非、ご一緒しませんか) そんな挨拶が、決別への第一歩になることもある。 |
愛機:ホンダ モンキー
2008年6月10日(火)
「入梅」の今日、季節は暴走して真夏に迫り、盛岡の最高気温は28度3分。 @八幡平市(樹海ライン)
奉仕することに 理由が必要なら ここに住めない。 助け合うことに 利害を疑うなら ここで酔えない。 賞賛することに 無理を感じたら ここで創れない。 主張することに こだわるのなら ここで眠れない。 加担することに 疑問を覚えたら ここに友は無い。 (退路を断てば、すぐに慣れることばかりだ) |
2008年6月9日(月)
晴れた。この時季の28度1分(盛岡)など「真夏日」以上の感触。所々小さな積乱雲。雷注意報。 @盛岡市
ひと儲けを目論むものが ささやきかける。 (美しい場所を知らないか?) 私は、正反対の方角を指差し ウインクする。 長い長い旅の途中の者が 泣きついてくる。 (この先に道は続いているか?) 私は、腕組みして首をかしげ、 ウインクする。 遂に涙も枯れ果てた者が たずねてくる。 (心救われる眺めはないか?) 私は、深くうなずいて導き 共にそこに立つ。 人と自然が向き合う場所に 思惑など、いらない。 答えなど、いらない。 ただ、安息の時があるだけだ。 |
2008年6月8日(日)
終日、快晴。気温上昇。盛岡では26度7分。7月中旬並み。所により真夏日迫った。 @山田町
森に流れる時間は 風のように移ろう。 緑の天幕に踊る光と影は、 子供のように気儘だ。 木立をかわし、 清流をわたり、 無数の岩を越えていると、 私は、私を忘れていく。 流れる汗や、 歓喜の声が、 いったい何歳の私のことなのか、 瞬間、記憶喪失になる。 この理想郷で この日曜日に、 一心に進むべき道筋(ライン)を探し、 自らの力で辿り続けていると、 私は、私を思い出していく。 あまりの回り道に 失ってきたものを思い出していく。 この瞬間が、嬉しければ嬉しいほど 塗り潰された道程が悲しくて、 緑陰に呆然とする私がいる。 |
2008年6月7日(土)
白く濁った晴天は、梅雨の気配。Tシャツで快適なのは、真夏への伏線。 @山田町
森の中に開けた広場は、 夕暮れを迎えて 野営の準備をする姿があった。 まったく、のどかなキャンプ場だ。 明日、ここで、 トライアルの激戦が 展開されることなど、 忘れてしまいそうだ。 私は、セクションを下見して 宮古の漁師宿に入った。 親戚付き合いのオヤジさん達と 囲炉裏を囲んで酒盛りである。 とれたてのアワビ、カキ、ホタテ それに真マスを 炭火で焼いていると、 明日のセクションのことが 遠ざかっていく。 |
2008年6月6日(金)
午前中は断続的な雨。午後には天気雨。総じて湿度を感じる一日。梅雨そのもの。 @盛岡市
失うことは、 悲しいことばかりではない。 手にしていたものが、 誰かに持たされていたことを 知ることがある。 (やっと、ね) 両肩にのせたものが、 誰かの代りに負っていたことが 分かることがある。 (とうとう、ね) 追いかけていた夢が 誰かに仕掛けられた幻だったと 気付くことがある。 (ついに、ね) 手の泥を払えば、 握りしめるものを カッコーが知らせて来る。 肩の力を抜けば、 負うべきものを 乾いた風が告げて来る。 虚しさを洗えば、 求めるべきものを 一面の水鏡が映し出す。 |
2008年6月5日(木)
純度の低い青空はあった。23度まで気温は上がった(盛岡)。でも「梅雨のはしり」の出来事。 @雫石町(岩手山麓)
一心に安穏を願うなら 術が無いわけではない。 立派である必要はない。 気にならない者であれ。 特に秀でる必要もない。 決まり通りの者であれ。 前に立つ必要などない。 むしろ埋れる者であれ。 正義を翳す必要はない。 指弾されない者であれ。 こんな容易いことさえ 私は我慢ならないから、 まっさかさまになって 青空に転落したくなる。 とりかえしのつかない 者になってみたくなる。 |
2008年6月4日(水)
最高気温23度2分。梅雨の晴れ間を思わせる白濁の光。「この陽射しを大切に」とテレビがオウム返し。 @岩手山麓
(猟犬はね) 波打つ腹に、 そっと当ててくれる手を信じる。 溺愛をすり込む手には横を向く。 下心のある手には牙を剥く。 (老練な猟犬はね)、 うっとうしい手が伸びて来ると よだれを垂らし、狂った目をして すんなり解放される。 (さあ、猟犬よ) 狡猾なウサギには目もくれず駆け抜けろ。 陽射しにぬくもる腹を波打たせ、 真の獲物を狙い定めろ。 |
2008年6月3日(火)
夕べの雨に濡れ、陽射しも風も無く、けだるい「ぬかるみ」が残った。 @矢巾町
これで良いのか良くないのか、 わかるのは、少し先のことだから、 まずは、このままだ。 (何も決めるな) どんなに悪かろうと、 今日は、このままだ。 これが最後か、まだ続くのか、 知るのは、見知らぬ明日の私だから、 まずは、知らん顔だ。 (思い煩うな) とっくに終わっていても、 今日は、一切未定だ。 ここで咲くのか、枯れるのか、 まったく気紛れな風まかせだから、 まずは、のらりくらりだ。 (生死を語るな) いっそ今日は、 造花になってみよう。 |
2008年6月2日(月)
盛岡市街地は、曖昧ながら青空があった。けれど山間部に入ると濃霧注意報は嘘では無かった。 @岩泉町
その場限りの道化師は、 声がかかれば化粧する。 飴玉ひとつ握らされ、 猫撫で声に縛られて、 大汗かいて使われて、 ご苦労さんと追い出され、 とぼとぼ帰る雨の畦道。 ちやほやされて 持ち上げられて、 心意気など試されて、 ご苦労さんと放り出され、 ぽつんと立つ雨の停留所。 傘と一緒に閉じる記憶に 今夜の私が笑ってる。 無理を重ねて愛想良く、 肩組み合って笑ってる。 (よく撮れた「お人よし」の遺影だ) 明日も、声がかかれば化粧する。 昨日の薔薇を焼き払い、 今日限りの舞台を削り出す。 |
2008年6月1日(日)
小雨断続。薄日に心許す瞬間もあったが、傘の手放せない一日。気温は、ひと月後退。 @滝沢村(トライアルパーク)
(思惑の霧の中で) 誰かの明日を 誰かが決めて、 その誰かのことを 別の誰かが、ねじ曲げる。 縛り合い、睨み合い、刺し合い、 己の未来すら描けない群になる。 そんな連鎖を 断ち切る術(すべ)は、 逃れることではない。 捨てることでもない。 その輪の中に在り続け、 自らの歳月をかけて 核心を見極め、 楔(くさび)を打ち込むことだ。 |