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イワテバイクライフ 2008年 8月前半
2008年8月15日(金)
夏から秋へ大気の入れ替えかなのか、雲行きは不安定。小雨断続。夕刻には晴れ間もあらわれた。 @室根山
夏山の懐に配置された10の競技区間を3周。 ゴールのタイムリミットまで30分を切っていた。 第5セクションへ向かう途中、 後方に猛烈なエンジン音が迫って来る。 振り向けば上位を争う二人だった。 私は、道を譲り、勇姿を見送った。 (いや、譲ったのではない) いつかは、ここで立ち止まってみたかったのだ。 まっすぐ駆け上がる者が 一番美しく見える坂だから、 その後ろ姿をどうしても見てみたくて、 ここしかない場所に 私は佇むことにしたのだ。 瞬く間に風は遠ざかり、静けさが戻った。 今日も置き去りにされていく私が 爽快な緑に染まっていく。 |
2008年8月14日(木)
午前中は雨が音を立てた。重く暗い一日。夕闇に晴れ間がのぞいて、穏やかな秋の夜を迎えた。 @雫石町
旅は、 乗り物で決まるわけではない。 快適で速いものに乗っているから 良い旅になるとは限らない。 めざす大地に思い焦がれ、 道を楽しみ、 風を受け入れ、 季節に染まり、 出会いに感謝して終われるのなら、 幸せな旅に違いない。 その旅を共にする相棒は、 生真面目に整備されていて 機嫌良く走ってくれれば充分だ。 新旧・大小の問題ではない。 心地良い波動が欲しければ、 流れ来る風景に心が高鳴ればよい。 それこそが豊かな波動であり、 快走のリズムとなるのだ。 乗り物の性能を確かめるだけの距離や時間を 否定はしないが、 結局、旅する者の性能こそが旅の基本だ。 (整備せよ、自らを) |
2008年8月13日(水)
窓を開ける数センチの間合いが睡眠を左右する。暑さのことでは無い。冷気のことだ。日中は、まあ夏らしく晴れていた。 @滝沢村
去年出来なかったことが 今年は、あっさり出来る。 (けれど) 同じ場所で 同じことを繰り返していれば いずれ慣れるものだ。 同じことを どんな場所でも出来て はじめて「力」と言える。 「力」を求めて苦しむ時、 迷いに迷って 辿り着く場所は、 結局、いつもの場所だ。 ここで 楽しむ事を知った。 汗の価値を知った。 挑む喜びを知った。 (原点を忘れてはいけない) |
2008年8月12日(火)
盛岡は真夏日(30度)。それは瞬間的な数値で、ほとんどの時間帯は不快指数も低く、日陰の涼しさは、すでに秋。 @久慈市
波は寄せ、 波は砕け、 波は引く。 その度、 無数の石が揺られ、転がされ 海岸線に音を立てる。 (叶うことなら) ここで いつまでも、 そうしていられるのなら、 ついには、 砂粒となって ある日の幼子の手に すくい取られてみたい。 |
2008年8月11日(月)
最高気温など、もう、いい。衰弱していく北国の夏だ。真昼の汗は夕風に乾き、太陽の印象は宵闇に冷え出す。 @滝沢村(トライアルパーク)
若いなあ、君は。 そうか、37歳か。 (その頃、俺は、どうだった?) 檜舞台らしき場所で あやしいライトを浴びていた。 凄まじい人混みの中で あやうい誇りを握り締め もっと上があるはずだと煮えたぎっていた。 住んでいる土地さえ 無数の塹壕のひとつに過ぎなかった。 窓から見える風景は 内戦に明け暮れる異国そのものだった。 頂を夢見て その日限りの塒(ねぐら)だった。 家族のことなんか顧みなかった。 ああ、ごめんよ、ごめんよ、ごめんよ、 子供達、そして妻よ。ごめんよ。 なあ、君よ。 夕闇と宵闇の境界線上で 飛ぶことを止めない君よ。 けれど、愛する人が待つことを、 けして忘れない君よ。 俺は、今すぐ あの日々の夕暮れに走って帰りたい。 |
2008年8月10日(日)
夜明けの風は明らかに秋だった。日中の青空に流れる雲もうっすら脱力した秋だった。最高気温28度5分(盛岡) @八幡平市
伝えるべきことは他に無いのか? 本当にそれだけなのか? 導火線は燃え続けている。 それでもバレーボールかい? (最後に時限爆弾を持たされるのは誰だ) 国境を挟んでミサイルが発射されていく。 地盤沈下は進行している。 それでもベースボールかい? (9回裏2死から起死回生の策はあるか) 崩壊した街跡に札束がばらまかれていく。 覇権の大波が寄せて来る。 それでも男子平泳ぎかい? (世界記録を破る泳ぎで逃げ切れるのか) 点在する少数の民は一色に塗られていく。 既得権の影が蠢いている。 それでもレスリングかい? (背後に回りこむ者を捕らえられるのか) 街に溢れる猛毒の出口が隠蔽されていく。 それら一切の無益をねじふせた者にこそ、 金色の栄光を。 |
2008年8月9日(土)
暑さも小休止か、盛岡の最高気温は28度9分。そんな数値を追う傍らに秋の虫。 @岩手山麓
昨日袋叩きにしたものを 今日は派手に持ち上げる。 ちょっとした美談一つで 次々に英雄を誕生させる。 ごく平凡なストーリーを 劇的な秘話にしてみせる。 何事かと思わせておいて、 何も無かったことを綴る。 深刻極まる国際問題まで 原色の漫画にしてしまう。 絶望的な未来予測の隣で、 男と女の妖しい話が踊る。 そういう感覚を研究したければ、 そういう紙面を開く他あるまい。 (世間を知るプロの仕業には違いない) |
2008年8月8日(金)
32度3分(盛岡)。揺らぎ無い夏空が続く。乾いた風が北東北であることを想起させてくれるだけ。 @八幡平アスピーテライン
才能にも色々ある。 突然現れるのではなく、 独力で出現するものでもなく、 ある種の関係性の中に成立する才能もある。 「彼はね、僕が一から教え込んだのだ」 「あの方は、私の恩師、いや恩人です」 「やつは、俺と同郷でね」 「先生は、私の祖父の教え子です」 「彼女の父親と僕は学生時代の悪友でね」 「あのろくでなしを拾い上げたのは私なんだよ」 「彼女はたまたま発表会の手伝いに来ていたんだ」 「彼を使ってみろと大御所のひと声さ」 「その腕を見出したのはうちの家内でね」 「カミさんの妹がその道の権威なのさ」 「あの男は先生の家に居候していたんだ」 「長いこと巨匠の鞄持ちをしていてね」 「いつの間にかこの世界に居付いていた」 「ひとつ何かやってみろということになった」 「審査員の中に、偶然師匠がいたんだねえ」 定期的に、順番に送り出されてくる才能とやらは、 いかにもそれらしい輪の中に発生するらしい。 真に自立した才能、あるいは天才は、 そのような輪の外に 忽然と現れるのかもしれない。 そして、表に立つ気も無く、 まして、脚光など照れ臭くて、 もの静かに暮らしているのかもしれない。 |
2008年8月7日(木)
32度4分(盛岡)。雲もまれな青空。いよいよ盤石の夏空。 @盛岡市
無駄なことのように見えることでも ひたすらに繰り返していますと、 日々の流れと言いますか、 移ろうものの正体と言いますか、 そのようなものを俯瞰する感覚が 芽生えて来るように思います。 学問だとか、道楽だとか 芸術だとか、労働だとか そんな特定のことではなくて、 どんなことでも良いのですが、 繰り返すうちに、全体がぼんやり見えてくる。 繰り返しながら、仕組みがわかってくる。 その見えてくるとか わかってくるという体験そのものが、 非常に大切なんですね。 様々な境界を越えて使える ひとつの鍵のように思えるわけです。 その感覚が無いと、 掘り下げるという行為は生まれないだろうし、 向き合っているものの意味がわからないだろうし 手応えの無い模索で終わるわけですね。 |
2008年8月6日(水)
最高気温33度9分(盛岡)。日毎の気温上昇。その夏の勢いが、まだ序の口に思えるから、おそろしい。 @岩手山麓
仲の良い兄弟が微笑み合っています。 弟は、手にしたナイフを 兄の喉もとに突き付けたままです。 「ああ、兄さん。じっとしていてくれ。 兄さんの思っていることが、 ナイフの先から伝わって来るよ。 そのひとつひとつに 僕は、反応してしまいそうだよ。 ああ、兄さん。何も考えないでくれ。 脳天まで突き通してしまいそうだから」 兄は、ピストルの銃口を 弟のこめかみに突き付けたままです。 「ああ、弟よ。おとなしくしていてくれ。 お前が感じていることは、 銃身を通して伝わって来るよ。 そのひとつひとつに 俺は、引き金を引いてしまいそうだよ。 ああ、弟よ。何も思い描かないでくれ。 脳天を撃ち抜いてしまいそうだから」 そうだね、 僕達は、ただ微笑み合いながら、 じっとしている他ないのだね。 語らず、歌わず、まして突き詰めず、 永久に「無」であり続けるんだね。 |
2008年8月5日(火)
最高気温32度1分(盛岡)。大気が沸騰し始める気配が漂った。それでも幾分乾いた大気は、心地良い宵風をもたらした。 @八幡平市
夕闇に一枚の紙が貼り出された。 それは告発状とも言えるものだった。 街を衰退させた者の罪が 整然と記されていた。 ある男が、怒りに震えて叫んだ。 「これは、私のことか」 街は静まり返った。 「隠しても、わかるぞ」 街は戸惑った。 「私を揶揄する気だな」 そこに老人が通り掛かって男に尋ねた。 「これは、本当に、お前のことか?」 男は、誇らしげに言い切った。 「この街の文化を創り上げたのは私だ」 老人は、じっと男の目を見据えた。 「自惚れる者よ。 なるほど、この紙に綴られた通りの者よ。 ならば、罪の一切を負うがいい」 老人は、火炎となって貼り紙を焼いた。 後には、惨めな男が、ひとり跪いていた。 |
2008年8月4日(月)
熱帯である。うつむく他ない熱射である。猛り狂う夏雲である。最高気温31度9分(盛岡)?それは、単なる数値だろ。 @盛岡市
今日の私を ずいぶん前に 私は知っていたように思うのです。 どんな道を辿るのか。 どんな扉を開くのか。 わかっていたのです。 でもね。 人は、他人(ひと)に関与して 初めて人になる「この世」なら、 私は、人と交わり「私」になるために、 5年10年と待つことになるわけです。 すでにわかっている私を先に行かせて、 足踏みして「この世の私」を待つのです。 それが、どうにももどかしくなると、 明日の欠片を語り出すのです。 他人は、それを妄想と言うのです。 ともあれ、私とは、 今日の心に確定している「未来」を 確認するために走り続ける私のことです。 |
2008年8月3日(日)
岩手は勿論、東北各地で真夏日。湿度と照り返しに、滝の汗。消耗戦の一日。 @宮城県村田町(SUGOサーキット)
出発の瞬間(とき)は 最善の一日を思っている。 (新しい自分を信じている) 事が始まってしまうと、 ままならないことばかりだ。 (昨日と変らぬ自分がいる) 事が進んでいくほど 妥協点を探し始めている。 (今日で精一杯の自分だ) 事が終わるころには、 今日を総括し始めている。 (理由を付け安心したがる) すべてが終わった後、 受け止めきれない結果が 待っている。 (それこそが、宝のはずだ) その宝に、向き合い続ける者こそが、 新たな出発の瞬間(とき)を迎えられるのだ。 |
2008年8月2日(土)
ありていに言えば「梅雨の一日」。暗く濡れた空。ジメジメ、シトシト、パラパラ。水滴を含んで重くなる街。 @雫石町
地縁血縁に固められた掟が 風は我慢ならない。 健全な軋轢もなく 黴のはえた申し渡しに従う老衰の町に 風は黙っていられない。 いい気なものを見ていると その童話の鼻をへし折ってみたくなる。 誰かがひとり占めする庭を 蹴散らしてみたくなる。 世襲されていく軽薄な冠を 叩き割ってみたくなる。 明瞭に、力強く、あるいは鋭利に、 変るべき明日のことを声にしたくなる。 ある夏の日に 狂騒の丘に立ち、光の風を浴び、 地平の彼方に高速で届く声を 腹の底から押し出してみたくなる。 たかをくくる一団の どてっぱらを撃ち抜いてみたくなる。 (そんな発作に襲われる) ※ 画像と本文は一切関係ありません。 |
2008年8月1日(金)
途切れ途切れの小雨。夕刻、かすかに空は明るくなったが、どこか梅雨寒。それでも「さんさ踊り」はスタート。 @盛岡市(惣門通り)
理想を述べたからには、 いいですか、 必ず形にしてみせてくださいよ。 「多くの課題が山積していて」などと 嘆いてみせて、先送りしないでくださいよ。 打開策を説くからには、 いいですか、 きっと道筋をつけてくださいよ。 「思いのほかに抵抗に遭って」などと 言訳を並べて、撤退しないでくださいよ。 大声で約束した限りは、 いいですか、 命がけでやり抜いてくださいよ。 「本当に充実した日々でした」などと 涼しい顔して、名誉だけ持ち帰らないでくださいよ。 いいですか。 汚れることを覚悟してください。 血も流れると覚悟してください。 美しい明日なんて 実に凄惨な夜の果てにやって来るのです。 それでも勇ましく立ち上がりたければ、 昨日までのあなたをきっぱり捨ててください。 ※画像と本文は一切関係ありません。 |