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イワテバイクライフ 2010年4月前半


2010年4月15日(木)
青空な中、寒気に歪められた雲が踊った。最高気温8度7分(盛岡)も、強い風で数値以下の冷たさ。 @岩手山麓


 君たちが大人になっても、
 僕は、ここで少年のままさ。

 夕暮れになると、
 ここに停まるひとりぼっちの影を
 思い出してくれ。

 少年は生涯少年のまま、
 思い描いた雲を待ち続け、
 遂に叶わなかったことを想像してくれ。

 君が老人と呼ばれる春、
 そうだったのか、と頷いてくれ。
 一輪の花をここに置いてくれ。
スポーツスター883R


2010年4月14日(水)
朝方には強い風に乗って雪が舞った。日中は薄日も射したが薄ら寒かった。 @盛岡市


  交通標識も読めないものが
  賢人を轢き殺すことがある。

  子供の悪戯が放った弾丸が
  英雄を撃ち殺すこともある。

  世間知らずのお坊ちゃんが、
  恩人の首を切ることもある。

  不条理などというたいそうなものではなく、
  馬鹿馬鹿しいほどのものが、
  何もかも滅茶苦茶にして、
  ポカンとするのだ。
  何が起きたのか理解できず、
  へらへら笑って、
  それでお終いなのだ。

  実に、そのように、
  まっとうな憤りだとか無念の情など、
  立ち入ることさえできない現実が、
  未来を決めていく事があるのだ、




  ※本文と画像は一切関係ありません。
HONDA Monkey


2010年4月13日(火)
全国的に寒気襲来。それでも盛岡で11度台なら早春のレベル。雲の暗さの割には本降りにならなかった雨。 @岩手山麓


  私が立っている場所は、
  昨日までの此処ではなく、
  もはや異質な何処かなのかもしれない。
  一見、何も変わらない眺めだけれど、
  地下深く変質が進行し、
  価値や基準、
  骨格という骨格が溶け出し、
  得体の知れない流体が、
  巣を作り始めている気がしてならない。
  言語や人の顔は、確かに此の地のそれなのだが、
  未来に向かうベクトルの
  軽く薄く痩せ細った様は、
  目を疑うほどのものだ。
  にもかかわらず、魔法をかけられたように、
  真実を叫ぶ姿はない。

  こんな時代に、
  相も変わらず自然を賛美し、季節に陶酔し、
  愛だとか美だとか謳っていられる者は、
  実に希少な「おめでたき者」だが、
  一面が異郷になり果てる日まで、
  そのような者になり切っている方が、
  救われるのかもしれない。
HONDA Ape100


2010年4月12日(月)
陰気な曇り空から朝に夕に霧雨。薄ら寒さに桜の蕾も固く・・・。岩手の4月は3月の延長線上にある。 @盛岡市


  あなたが、
  考え抜いて出した結論や、
  口にした決意も、
  あなたが去った途端、
  紙くず同然になるのなら、
  もう、思案することも言葉にすることも
  止めていただけませんか。
  結局、落胆して終わるだけの「夢物語」や
  ねじ曲げられて終わるだけの「青写真」など、
  持ち出さないでくださいませんか。

  波乱を恐れて無為な日々を選び、
  崩れ去っていくものの中において、
  前向きで思い切った約束は、
  後ろ向きで古臭い慣習より
  時に罪なものです。
  信じるほどに希望に満ちるからこそ、
  数グラムの裏切りにも耐えられないのです。

  不安の波間にいっときの光を与え、
  不意に消してしまうなど、
  魂ひとつ叩き潰すに充分な仕打ちです。

  だから、ほら、二度と失望したくない者が、
  今日もまた一人、鉛の海に身投げするのです。



  ※本文と画像は一切関係ありません。
  
HONDA ベンリィ50S


2010年4月11日(日)
福島の雨を暗示する雲を振り切って盛岡に戻れば晴天の夕暮れ。 @福島県飯野町(明治トライアルパーク)


  僕は南へ走り、
  君は北へ走り、
  僕らは再会し、
  同じ空の下に、
  今まで通りの
  一日を創った。
  たったそれだけのことではあるけれど、
  それだけのために、
  僕らは、何かを捨て、何かを越えて、
  南へ走ったのだ。
  北へ走ったのだ。
  自分を確かめ、友情を確かめ、
  互いに生きていることを噛み締めようと、
  同じ花の下に集ったのだ。

  (嗚呼、良い一日だったよ)
2010トライアル東北選手権シリーズ(第2戦福島大会)にて


2010年4月10日(土)
晴れてはいても風が冷たい盛岡から福島へ南下。5月並の陽気に桜花爆発。 @盛岡市


  友よ、
  君を失ったら、
  私は、何を語ればいいのだ。

  妻よ、
  君が逝ったら、
  私は、何を守ればいいのだ。

  街よ、
  私が去ったら、
  何を思い出してくれるのだ。

  人生の
  無念も
  孤独も
  歳月も
  束の間の日溜りにとけて、
  その意味さえ土にかえる。
HONDA Monkey


2010年4月9日(金)
暗い雲はみるみる払われ、晴天、春霞。まずは、コートもいらない一日だった。 @岩手山麓


  何が不幸なのか
  わからないまま
  戦場に棲む者より、
  何が幸福なのか
  わからないまま
  楽園に棲む者の方が、
  俺は、悲惨だと思うよ。

  風よ。今朝の風よ。
  山麓にたなびくものは、何だ。
  戦を告げる狼煙か。
  それとも、
  春を告げる浮雲か。
  何も知らず走る俺には、
  そのどちらも美しいと思えるんだよ。
スポーツスター883R


2010年4月8日(木)
最高気温11度(盛岡)など上出来と思いきや、平年以下。なるほど、そういう時季なのだ。 @岩手山麓


  私は、友達を失ったのではない。
  私が、より私を求め、私を得られたから、
  友達の居場所が無くなったのだ。

  私は、明日を失ったのではない。
  私が、より今日を求め、抱きしめるから、
  明日の出番が無くなったのだ。

  私は、幸福を失ったのではない。
  私が、より不幸を知り、知恵を得たから、
  幸福が特別で無くなったのだ。
HONDA Ape100


2010年4月7日(水)
暗い雲が、ちぎれ、乱れ、走り、まれに水滴が吹き付け、早春の空は険しかった。 @岩手山麓


  白鳥が北へ飛んでいく。
  安息の場所を告げていく。

  戦闘機が彼方へ加速する。
  終わらせるべきものを告げていく。

  神々が天空に立つ。
  これから始まることを告げて立つ。
HONDA ベンリィ50S


2010年4月6日(火)
太陽の熱を風が攪拌し、雪はとけ、大地はとろけ、人は汗を滲ませた。 @岩手山麓


  有り余る時間と
  持て余す自由を
  好き勝手に浪費する日々なんて、
  すぐに飽きる。
  やがて地獄だ。
  金を払ってでも
  多忙な自分を取り返したくなる。
  命を削ってでも、
  決められた仕事に追われたくなる。

  それが、どうにも許せないなら、
  ひとつの大陸を持つことだ。

  日々を画布として
  思いを絵筆として、
  我が身を弦として、
  描くべき大地を、奏でるべき四季を
  懐にしのばせることだ。

  有り余る時間が大河のように流れ、
  持て余すほどの自由が翼となって舞い上がる。
  そんな天地を持つことだ。

  その準備は、多忙の中でこそ始めるべきだ。
  (早過ぎることはない)
スポーツスター883R


2010年4月5日(月)
雨が降りそうで、まあ、降っても、かすかな水滴で、街を濡らすまでには至らなかった。 @盛岡市


  心底の思いを
  日々絞り出すことより、
  日溜りで欠伸して、
  居るのか居ないのか
  わからないくらいの者でいる方が、
  生きやすいよ。

  用心されないから、扉が開く。
  邪魔にならないから、声がかかる。
  空気を乱さないから、誘われる。
  重くないから、持ち上げられる。
  独断で動かないから、任せられる。
  わかりやすいから、表彰される。
  (そのように)
  穏やかで良い人だったことになる。
  自分を捨てて他人を大事にしたことになる。
  何でも受け入れる大きな器だったことになる。

  努力じゃないんだよ。
  才能じゃないんだよ。
  勝敗じゃないんだよ。
  佇まいなんだよ。



  ※本文と画像は一切関係ありません。
HONDA Monkey


2010年4月4日(日)
青空の霞み加減。光の優しさ。いささか強い風ではあったが、その棘の無さ。これぞ春。 @三陸沿岸


  栄達とやらのために、
  精緻な白地図をつくりあげて、さて、それでだ。
  いつ色を塗る?
  どんな色を選ぶ?
  どこに色がある?
  絵筆はどうする?

  すべてが終わってからでは、
  遅いんだよ。

  俺はね、今日も、
  この地の風に染まり、海に染まり、
  空に染まり、人に染まり、
  見渡す一面の季節に染まって、
  この地の人間になっていくんだよ。

  するとね、わかるんだ。
  あさましい欲望や画策の果てに
  作り上げた地図が、
  いかに虚しいものか、わかるんだ。
  色など添える価値もないことが、
  見えてくるんだ。

  生きるための地図とは、
  行き先だとか、距離だとか、行程だとか、
  そんなものとは無縁なものさ。
  日々重ねる心模様さ。
ヘリテイジ ソフテイル クラシック


2010年4月3日(土)
午前中はぼんやりながら青空。午後になって時折の霙(みぞれ)や小雨。 @岩手山麓


  本当の思いを掘り当てることなんて、
  幾多の思い違いを手にした末の
  稀な出来事なんだよ。

  他人の心の奥深くに届く言葉なんて、
  幾多の罵倒と嘲笑を浴びた末の
  ほんのひとかけらさ。

  迷いなく歩んでいける道を得るのは、
  幾多の徒労と誤謬を重ねた末の
  実に偶然の出会いだ。

  そんな思いや、言葉や、道を求めるのは、
  日々の川底に宝石を探るようなものだ。
  実は、山のように積み上げられた石ころこそ、
  私が私であり続けようとした証なのかもしれない。
  流れるものの中に身を投じ続けることで、
  掬い取れる真理は、ひとつか、ふたつか。

  日々誰かの宝を抜き取って、
  己の正当にすりかえる恥知らずとは、
  そこが違うのだ。
スポーツスター883R


2010年4月2日(金)
実に曖昧な、それが春らしいと言われれば「そうかな」という程度の青空だった。 @盛岡市


 新聞を開いても
 その事実は、見当たらない。

 テレビをつけても、
 その光景は、けして映らない。

 本を読んでみても、
 その道筋は、ついに明かされない。

 だから、今日の事実は自ら残す。
 だから、日々の眺めは自ら探す。
 だから、明日への道は自ら綴る。
HONDA Ape100


2010年4月1月(木)
小雨にけむる一日は、そこそこ空気もやわらかく、遠くの眺めさえ諦めれば、まずは春。 @盛岡市



  道の行方を
  生真面目な者に聞いてはならない。
  今日の一歩に懸命だから。
  辿り着く場所など幻の類だから。

  道の変化を
  大真面目な者に尋ねてはならない。
  地図を辿るばかりだから。
  予定外の事態などタブーだから。

  道の意味を
  糞真面目な者に質してはならない。
  距離を語るばかりだから。
  前進を続けることが目的だから。


  厄介な道に終止符を打ちたければ、
  悲しいほど誠実で、
  泣けるほど一途で、
  笑えるほど頑迷な者にこそ任せるべきだ。
  見事な働きぶりで一切を導くから。



  ※本文と画像は何ら関係ありません。

HONDA Monkey


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