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イワテバイクライフ 2010年5月前半
2010年5月15日(土)
快晴。透明度の高い大気だった。内陸は18度前後と爽やか。花を急かさず育む理想の風。 @盛岡市
本当の恩人は、 あなたが知らないところで 力を出してくれる。 愚かな画策を潰し、 汚れた計画を阻止し、 あなたを救う。 それでいて、 道ですれ違っても会釈もせず遠ざかる。 隣で飲んでいる時さえ無縁を貫く。 手紙を出しても未開封で戻って来る。 (そういうものさ) 正面に飛び出して来て、 味方を名乗るなんて、 あなたの物語を知らない者だ。 |
2010年5月14日(金)
最高気温は10度前後。冷えて水滴まじりの曇天は、すなわち「梅雨寒」そのもの。 @八幡平市
その群は 誰かが引いた一本の白線の上を歩いている。 実に用心深く 一歩一歩を運んでいる。 周囲の歩調に合わせながら あるいは周囲の視線を気にかけながら、 おどおど、びくびく進んでいく。 ついには、じっとしたままの者や しゃがみこんでしまう者も出て来る。 あたかも その白線の両脇が、 断崖絶壁であるかのような緊張感だから、 僕は、群の背中をどんと押してやる。 悲鳴を聞きながら、 どしん、どしんと押してやる。 断末魔の叫びを楽しみながら、 体当たりしてやる。 |
2010年5月13日(木)
県内全域に低温注意報。まあ、寒いほどではないが、春先の印象が蘇る。初夏の空気など皆無。 @岩手山麓
その仕事が本当に好きなのかどうか、 よくわからなければ、 失ってみれば、わかるよ。 困っても、悲しくないのなら、 生甲斐じゃなかったのさ。 退屈でも、ほっとするのなら、 どうでもよかったんだよ。 自由を感じ、笑顔になったら、 きっと大嫌いだったのさ。 僕の場合はね、 腹の底から熱いものが、 わき上がって来るんだよ。 怒りや悲しみじゃなくて、 生きる決心みたいなものが、 ふつふつと、もう、ぐらぐらと 溢れて来たのさ。 (僕は、以来、活火山のままだ) |
2010年5月12日(水)
夕べからの雨は、時折強まり大地の春を洗い、若葉の緑を濃くした。夕刻に雨は止んだ。 @岩手山麓
美しい記憶を 隠し続けてどうする。 いつか、すべての不安から逃げ切って、 そっと開くアルバムなど、 色褪せて、陳腐で、滑稽なだけさ。 今日の春が明日はどうなるのか 見当も付かないから、 今日の花は美しいのだ。 今日の命は一日限り。 この季節はこれ限り。 そう思って仰げば、 すべてを濡らす雨の 何という優しさだ。 |
HONDA Ape100
2010年5月11日(火)
天気予報以上に空は明るく、陽射しもあり、走れば喉も渇き、汗がにじんだ。日暮れとともに雨。 @岩手山麓
暴き出す必要は無い。 人は、その本性を隠しようもないから。 卑劣漢は、悪事を積み重ねることで、 正真正銘の卑劣漢になる。 小心者は、決断を避け続けることで、 皆が認める小心者になる。 無能者は、無策であり続けることで、 無能者の烙印を押される。 そのように 人間の正体が証明されるまでには、 少し時間がかかる。 時間という鏡に 卑劣や小心や無能ぶりが 映し出されるまで待たなくてはならない。 この、ほんの少しの忍耐に慣れてしまえば、 日々の心模様もずいぶん穏やかだ。 |
2010年5月10日(月)
朝方は、澄み切った五月晴れだったが、日中は何処からか濁った大気が流れ込み、まったく興醒め。 @岩手山麓
一日一日を無心に過ごす。 春夏秋冬を素直に感じる。 一年一年を正直に生きる。 そのように時を見送れば、 また新しい一日がやって来る。 また新しい季節が巡って来る。 また新しい眺めが開けて来る。 すべては、 正しく終わらせることから 始まる。 |
2010年5月9日(日)
夕べ降った雨のせいだろうか。大気は澄み切って、風は肌にさらりひんやり。これぞ北国の五月。 @滝沢村(トライアルパーク)
縁もゆかりもない土地に根を張って、 親戚でもない人々と肩を組み、 「嗚呼、今日も楽しかったなあ」と、 「実に心地良い汗をかいたなあ」と、 「本当に腹の底から笑ったなあ」と言えるのなら、 もう何があっても、受け止められるさ。 もう何を失おうと、立っていられるさ。 この空をともに見上げた仲間がいる限り、 明日も、悪いことばかりではないだろう。 この風をともに浴びた山々が連なる限り、 未来は、暗いことばかりではないだろう。 (なにせ、ここは故郷だから) |
2010年5月8日(土)
20度近辺の乾いた空気。やや冴えない晴天だったが、小岩井の一本桜は満開。 @姫神山麓
この安らかさは何だ。 いつもの町並みが、やさしく見える。 青空に開かれた窓から、 誰かが手を振っている。 (思い出さないか) 処刑の朝、無罪が認められた夢を。 この清々しさは何だ。 いつもの野や山が、鮮やかに見える。 波打つ牧草の緑の中に、 原色の花が溢れている。 (思い出さないか) 火葬の朝、棺が開き蘇生した夢を。 (だが、この幸福の虚しさは何だ) いくら笑い叫び喜んでも、 心臓を貫く弾丸や 首を落とす刀の重さは消えない。 いくら歌い踊り祝っても、 視界を覆う火炎や 魂を焼く炎熱の痛みは消えない。 |
2010年5月7日(金)
花をさり気なく散らす小雨。大型連休の熱を冷ます雨滴。夕刻には天気回復。 @滝沢村
(かなうことなら) 春の雨になって、 この大地深く吸われてしまいたい。 もう二度と流れなくてよいように。 春の花になって、 この空に舞って消えてしまいたい。 もう二度と別れなくてよいように。 春の獣になって、 この里の罠にかかってしまいたい。 もう二度と撃たれずに済むように。 (そうなりたい) |
2010年5月6日(木)
夏日(盛岡で26度)。薄汚れた大気は、晴れか曇りか判別もままならない。何かが流れ込んでいる。 @小岩井農場
君は真顔で言った。 二度あることは、三度あるのよ。 何故そんなことが二度も起きたのか、 よくよく考えたことはないの? あり得ないとか、奇跡だとか、 想像もできないとか、 驚いているだけだから、 やすやすと、 そんなことが三度も起きるのよ。 (桜が繰り返し咲くようにね) |
2010年5月5日(水)
下界を逃れても、ほぼ夏日だった気がする。桜花の盛夏。まあ、そんな一日。 @室根山(一関市)
人の動きはね、 技術だけじゃないんだ。 心の動きがね、 結果を左右するんだね。 おそらく 今日の僕の「出来過ぎ」は、 明らかに そのような何かが 心に宿っていたんだ。 例えば、 おぞましい呪文から解き放たれた、とか。 鮮烈な夜明けの光を受け止めた、とか。 澄み切った風を胸一杯に吸った、とか。 あるいは、また、 この世界に僕を信じる人がいる、とか。 そんな希望のようなものが、 僕に、深い呼吸を促し、 迷い無く流れるイメージを誘い、 めざすべき一点へ導いてくれたのかもしれない。 |
2010年5月4日(火)
あたかも真夏日のようなけだるい晴天だったが、実際は20度を少し越えた程度の「凡庸な五月」だった。 @岩手山麓
鉄馬の風を美味くするものはね、 確かに、あるんだよ。 耐えた記憶は、 加速を滑らかにするのさ。 愛される心は、 先へ先へと急がないのさ。 嬉しい報せは、 地平をとろけさせるのさ。 (困ったことに) 孤独な日々は、 旅を物語に仕立てるのさ。 だから、今日も、 胸一杯に風をおさめるのさ。 走る私を噛み締めるばかりさ。 |
2010年5月3日(月)
汗の感触を思い出した。沿岸部は軒並み25度を越えて「夏日」。岩手全体、桜爆発。 @久慈市
光を知らない者は、何も探さない。 闇に光を探す者は、自ら炎となる。 闇を知らない者は、何も疑わない。 光に闇を疑う者は、自ら幕をひく。 (だから、無限に続く光や闇は無い) 今日もあるとすれば、 私という器にみたされた光と闇だ。 その中で喜んだり悲しんだりする。 宇宙に明滅するひとつの星の様に。 |
2010年5月2日(日)
午前中は所により不穏な雲が走ったが、岩手の最高気温も20度前後と、5月らしくなった。 @青森県大鰐町
人生は、 52枚のカードを渡されて始まる。 苦境やチャンスを迎えるたびに、 一枚また一枚と切っていく。 使えるカードを学び、 勝てるカードを覚えていく。 何と何を組み合わせると 何が起きるのか発見していく。 ごく稀に 52枚以外のカードもあることを 知ってしまうと、 人生は、遊技以上の深みにはまる。 |
2010年5月1日(土)
まったく、しぶとい陰気な空だ。いつまでも風に水滴がまじった。晴天は、夜になってから。 @姫神山麓
断崖の淵に立つ者に 近づく者などいない。 そのような者を引き受けるのは、 結局、その者自身だ。 何をもってしても 説明できず、処理できず、捨て場も無く、 ひたすらに厄介なものを おさめ、しずめ、おわらせる者は、 ただ一人、そこに立つ者本人なのだ。 疎まれ、憎まれ、危ぶまれ、 ひたすらに放置される魂を 強く抱きしめ、 静かに見送ることができるのは、 自分自身なのだ。 |